エチミアジン大聖堂と教会群、スヴァルトノツ

世界で最初にキリスト教を国教にしたアルメニア
アルメニア正教の総本山エチミアジン大聖堂は世界最古の公式教会。
首都エルヴァン近郊の教会群をまとめました。
2009年5月訪問

写真はエチミアジン大聖堂



エチミアジン大聖堂

エチミアジン大聖堂はエレヴァンの西約20キロのところにあります。301年に世界で初めてキリスト教を国教としたアルメニアは、その年に当時の首都であったエチミアジンに大聖堂を建立し、アルメニアの大主教座を置きました。エチミアジン大聖堂はアルメニア正教の総本山であるとともに世界最古の公式教会として世界遺産となっています。


バスを降りたら円形ドームのある建物が目に付きました。
アルメニア正教の神学校だそうです。



大聖堂の近くには多くの建物が立ち並んでいて、ちょっとした町のようになっています。
神学校や神父・生徒の宿舎・洗礼を受ける場所・・・・、
大聖堂まで多くの建物が並びます。

現代的なモニュメントもありました。



アルメニア正教はキリスト教の中でも最も古い流派のひとつだそうです。
大聖堂の周囲には若い神学生が非常に多いのに驚かされます。
   


こちらのモダンな建物は洗礼を受ける場所。



神学校などの奥にエチミアジン大聖堂はありました。
301年の創建時は木製の教会でしたが、
7世紀に石造となり、17世紀に鐘楼が加えられたそうです。

 大聖堂正面
 鐘楼

エチミアジンというのは「神の唯一の子」という意味。

アルメニアにキリスト教を布教した聖グレゴリウスが、「キリストが空から降り、金のハンマーで大地を打つと、そこから教会が現われる」という夢を見て、夢に従って建てた教会と言われています。
グレゴリウスはアルメニア王をキリスト教に改宗させ、キリスト教を国教化させ、この教会を建てた聖人です。

内部は写真撮影禁止なのが残念ですが、入り口から入ると博物館のようになっていて、「ノアの方舟の一部」「イエスが磔にされた十字架の一部」「イエスの脇腹を刺したと言われる槍」という聖遺物などが展示されています。

聖遺物はどれも小さなもので、もちろん真偽は不明ですが、ノアの方舟が流れ着いたとされるアララト山がすぐ近くにあることから信じたくなってしまいます。
もちろん、信者からは聖遺物は深く信仰され、大切に扱われてきており、金銀宝石で飾られています。

展示のため世界中に貸し出されることが多く、聖遺物が3つ揃っているのは珍しいそうですが運よく3つとも見ることができました。


写真撮影禁止だったので、代わりに入場券を載せておきます。
聖遺物は宝石で飾られています。写真は聖遺物の十字架・・・かなあ。
ちょっと自信はありません。十字の真ん中に小さい木片があったような気が・・・・

イエスの脇腹を刺したという槍・・・いわゆるロンギヌスの槍は、これで人が刺せるのか・・という形
当時の槍の形態だということですが、まあ、そこは信心の問題なんでしょう。
ロンギヌスの槍は、今、世界で3つくらいあるはずです。
でも、ここで真偽を語るのは野暮なことで、
見るべきは聖遺物に向けられた人々の篤い信仰心・・・という気がします。


大聖堂内部も写真撮影禁止でしたが、実にフレスコ画が美しかった。
柔らかな色合いの、ちょっと少女趣味と言ってもいいような美しさでした。
ペルシャのアルメニア人が描いたということですが、世界中のアルメニア人の寄進によるとか。
入口の美しさから、中の素晴らしさを察して下さい。
   




聖フリプシメ教会

アルメニアの首都エレヴァンからエチミアジンに向かう途中に聖フリプシメ教会はあります。
この教会も世界遺産に登録されています。



フリプシメ教会の「フリプシメ」というのは実在した女性の名前。アルメニアがキリスト教を国教としたきっかけとなった女性です。聖フリプシメ教会は彼女が殺害された場所に7世紀に建てられたもので、アルメニア教会の典型というべき構造をしています。

教会の地下にはフリプシメのお墓があります。

伝説によると、フリプシメは非常に美人のキリスト教徒でした。
彼女はローマ皇帝から求愛されますが、皇帝がキリスト教徒でないことを嫌って、拒否し、アルメニアに逃れます。

アルメニアでキリスト教の布教をしていた彼女の美しさに、当時のアルメニア王トゥルダト3世も求愛します。
しかし、彼女はキリスト教徒でない王の求愛をやはり拒絶します。
王はこれを恨み、彼女を石で撲殺し、キリスト教徒の迫害を始めます。

ところが、王は病気になってしまいます。伝説では頭が豚になる病気だったと言います。

王が病気になってから、王の姉が当時囚われていたキリスト教布教者グレゴリウスを助ければ王の病気が治るという夢を見て、夢の通りにグレゴリウスを助けると王の病気が治ります。

王はこれをきっかけにキリスト教に改宗し、キリスト教を国教にしたと伝えられています。

それって、自分の思い通りにならない女性を殺害し、その仲間を迫害した罪悪感から病気になったんで、同じ仲間のグレゴリウスを助けることで罪悪感から解放されたんではないの?・・・と突っ込んでしまいたくもなりますが、やはり、一国の国教を変えるきっかけになった女性なわけで、歴史に名を刻んだことは間違いありません。

 聖母子
 祭壇に描かれたフリプシメ


また、この教会はアルメニアで最初にドームをもった教会。当初は真っ直ぐな屋根だったのをドームに変えたのだそうで、最初のドームであることから低いということでした。ドームと十字架の形の建物がアルメニア教会の特色。



ドームには12使徒の意味の12の窓があるということでした。鐘楼は17世紀に増築されたもの。

   




スヴァルトノツ

エチミアジンの近郊にあるスヴァルトノツは7世紀に建てられた教会の跡です。



スヴァルトノツは10世紀に大地震で倒れ、ローマ遺跡のように円柱が立ち並ぶだけとなっていますが、かっては高さ49mもある3階建ての教会でした。

   


興味深いのは円柱が丸い形に配置されていること。
今では見られない様式です。祭壇も地下にあったということで変わっていますね。




現在残っているのは20世紀に修復された一部分。
周囲には未だ倒れたままのアーチや柱頭が転がっています。
かっては浴場や厨房、更にはワイン醸造所もあったそうです。
左の写真の穴が開いた丸い石は薬を作る石だということでした。

   


こちらは日時計
アルメニア語が刻まれています。
アルメニアのアルファベットは現在とほとんど変化がないのだとか。


日時計を指さしているのはガイドのバラさん。
日本留学経験もある日本語が堪能な有名ガイドさんです。




ホルヴィラップ修道院

世界遺産ではないものの外せないのが、このホルヴィラップ修道院。
アララト山に最も近い場所にある修道院です。



エレヴァンから車で40分、アララト山が大きく迫って来る場所にホルヴィラップ修道院はあります。
この修道院は元々は監獄でした。アルメニアの歴史に度々出てくるキリスト教の国教化を成した聖グレゴリウスも、ここの監獄に囚われていました。
キリスト教がアルメニアの国教となった後、4世紀に教会が作られます。7世紀のアラブの本では「白い石の教会」と書かれているそうです。その後、要塞として利用されたため、古いものは残っておらず、現在の教会は13世紀に建てられたものですが、その歴史的意味とアララト山を臨むロケーションの素晴らしさから、是非、訪れたい場所です。




修道院は周囲を壁で囲まれ(左)、聖グレゴリウスが囚われていた監獄も壁の中にあります(右)。
   


ここで現地ガイドさんから聞いた聖グレゴリウスのお話をまとめます。

聖グレゴリウスの父はアルメニア王を殺害したことから、アルメニアを離れ、幼いグレゴリウスはカッパドキアで育ち、キリスト教を学びます。

成長したグレゴリウスはアルメニアでキリスト教の布教を始めますが、国王暗殺者の息子と分かり、深い穴の監獄に入れられてしまいます。

それが、ここです。グレゴリウスが入れられていたという監獄は丸くて深い、井戸のようなところでした。

しかし、ここに老女が毎日パンを投げ入れたことから、グレゴリウスは生き延びます。

王がフリプシメに求愛し、拒絶された王が彼女を殺し、キリスト教を迫害したのは、聖グレゴリウスが、この監獄に囚われていた時でした。

フリプシメを殺害した王は病気になり、王の姉の夢見に従って、グレゴリウスを助けることによって、王の病は治ります。これにより、王はキリスト教に改宗し、キリスト教を国教とします。

その後、聖グレゴリウスはエチミアジン大聖堂を建て、キリスト教布教に努めることとなります。


雲に隠れがちですが、アララト山は素晴らしい。


立ち去り難い場所です。



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参考文献

21世紀世界遺産の旅(小学館)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。