エレヴァン
アルメニアの首都エレヴァン
紀元前8世紀からの歴史を持つ都市
アララト山も良く見えます。
2009年5月訪問

写真はエレヴァン市内から見たアララト山


アルメニアの首都エレヴァンはアルメニア最大の都市。アルメニア中西部に位置し、トルコとの国境も近く、天気に恵まれればアララト山も良く見えます。 アララト山は大アララト山と小アララト山からなり、小アララト山はちょっと富士山に似た姿。
エレヴァンは紀元前8世紀に拓かれ、以後、ローマ、パルティア、アラブ、ティムール、ペルシャ、オスマントルコと次々と強国の支配下に置かれました。19世紀にロシア帝国に併合され、ソ連の支配を経て1991年にアルメニアが独立すると、その首都とされました。

高台から見たエレヴァン市街
高層ビルも結構目立ちます。




エレブニの丘


エレヴァンの街にあるエレブニの丘は紀元前8世紀にウラルトゥ王国のアルギシュティ1世が要塞を築いた場所で、エレヴァンという名前も、ここに由来します。いわばエレヴァン発祥の地。

ウラルトゥ王国とは紀元前9世紀から紀元前6世紀にかけてアナトリア地方を支配していた王国です。

ウラルトゥ王国は元々東トルコのヴァン湖周辺を本拠地とする王国でしたが、紀元前8世紀の王であるアルギシュティ1世が黒曜石を求めて、この地に要塞を築いたのだそうです。

この丘からは神殿・宮殿・食糧庫跡などが発掘されているということですが、正直、行ってみても建物の基壇だったのかなと思わせる石や壁の跡と思われる石組みが僅かに残っているだけです。

ウラルトゥ王国はアッシリアに対抗するために建国されたと言われています。

最盛期は紀元前9世紀から8世紀。紀元前6世紀にスキタイの侵入により滅びました。


丘にウラルトゥ語が彫られた石が残っていました。
楔形文字です。



丘の片隅に少しだけ修復復元されたような場所がありました。
この後行った博物館に復元図があったので並べてみます。
   

上の復元遺跡、小さな写真だと目立ちませんが、実は結構ぼろぼろ。
大きな写真だとあらが目立つので小さい写真にしました。
せっかく復元したんだから、きちんと保存したら良いのに・・・・

上の場所には壁画も復元されていました(左下)。ライオンに乗った神?
幾何学模様が目立ちます。明るい色が使用されていて鮮やか。
右下の写真は他の修復されていた場所。柱の跡でしょうか。
   
正直、丘自体は見どころが少ない。丘を下りて博物館に移動します。


丘を下りる途中で花を摘んでいる女性たちに会いました。
このお花、なんと胃腸薬になるんだそうです。




エレブニ博物館

エレブニの丘からの出土品を展示している博物館
子供たちが見学に訪れていました。
   

帰国後調べたら、ウラルトゥはアッシリアに対抗する目的で建国したものの、他方でアッシリアの影響を色濃く受けていたようです。博物館入口付近に置かれていた像もアッシリアの人頭有翼牡牛を思い起こさせますし、ライオン像もアッシリアというかメソポタミアの影響を感じます。文字が楔形文字なのも、アッシリアの影響によるもののようです。
また、エレブニ要塞を築いたアルギシュティ1世はウラルトゥ最盛期の王とされ、コーカサス支配を確立するために多くの街を築いたそうです。エレブニ要塞も、その一環だったのでしょう。


博物館に置かれたエレブニ要塞の復元模型
周囲を高い壁で囲んでいたことが分かります。



入ってすぐにある見事なレリーフ。質問したらイメージ展示ですって。
牡牛を踏みつける戦いの神
 
 ライオンを踏みつけるハルティ神
トルコのアナトリア文明博物館で似たようなものを見た気が・・・。
帰国後確認したら、ウラルトゥの出土品に似たものがありました。
ちょっと現代風にアレンジされてますがイメージに間違いはないようです。


壁画のレプリカ
美しい青地に描かれた牡牛とライオン、そして幾何学模様。
この幾何学模様と明るい色彩がウラルトゥの特徴



リュトン(角杯)。ワインを入れていたそうです。
   


右下は本物の壁画だと思うのですが
左下の木彫はオリジナルにしては素晴らしすぎる気もします。美しい。
   

エレヴァンの歴史を学んだ後は、今のエレヴァンを見学



バザール

エレヴァンのバザールです。
色々売ってますが、お菓子が可愛くて美味しそう。
   


綺麗なお花を抱えている人も。お花屋さんも目に付きます。
   

お洒落で可愛い街です。



マテナダラン



マテナダランは世界有数の古文書館です。


マテナダランの正面に置かれているのはメスロプ・マシュトツの像。

メスロプ・マシュトツは5世紀にアルメニア文字を作り、聖書をアルメニア語に翻訳した学者です。

このマテナダランにはメスロプ・マシュトツの時代からの多くの古文書が保管・展示されています。

紙や印刷技術が発明されるまで、本は牛の皮で頁を作り、そこにクルミの皮から作るインクで文字を書いていました。
1冊の本を作るのに牛1頭を使ったということもあったそうです。

本は貴重品とされ、ラピスラズリで青い色を、虫で赤い色を作り、美しく描かれただけでなく、金や宝石を使って飾られました。

ここに保管されているものは、手書きのものだけで11000冊。

聖書、薬学、音楽と様々な分野の本が並びますが、やはり見ごたえがあるのは聖書でしょうか。



ここの蔵書はかってエチミアジンの教会に保管されていたのをソ連時代に没収され、エレヴァンに移されたのだそうです。また、世界中に離散した本の買戻し・返還もなされているとのことでした。


なかなか気合の入った博物館です。
この先の写真撮影は有料でした。お金払わなかったので写真は撮れませんでした。
   



国立美術館・歴史博物館

共和国広場に面した建物の中に国立美術館と歴史博物館があります。



私たちのツアーでは歴史博物館だけを見学しました。残念ながら写真撮影禁止でしたが、セヴァン湖近くから出土した大弓やスヴァルトノツ寺院の復元模型(3階建ての円形の建物)などが興味深かったです。そして、オスマントルコ時代に起きたアルメニア人虐殺についての展示もありました。トルコは否定している大虐殺。トルコとアルメニアの関係に深く影響しています。


アルメニア人虐殺は第一次世界大戦中にオスマントルコによってアルメニア人が虐殺されたとされるものです。

アルメニアではイスラム国であるオスマントルコが少数派であるキリスト教徒のアルメニア人を虐殺したものとされていますが、トルコではロシアに内通しようとしたアルメニア人の反乱を鎮圧したものとされていて、両国の対立は深いものとなっています。

犠牲者の数もアルメニアでは150万人とされているのに対し、トルコは30〜50万としているそうです。難しい深刻な問題です。

アルメニアとトルコの微妙な関係はエレヴァン市内の各地でうかがえます。

右の写真はエレヴァン高台の公園にあるアルメニアの母の像。

この公園は見晴らしが良く、市民の憩いの場になっているのですが、実はミサイルや戦車も置いてあって、しっかりとアララト山方向つまり、トルコを向いています。
アルメニアの母の像も大きな剣を持っていますし・・・。


アララト山はエルヴァン市内からは実に良く見えます。


ノアの方舟が流れ着いたとされるアララト山はアルメニア人にとっては非常に大切な山。
しかし、アララト山は現在はトルコ領で、トルコとアルメニアは多くの問題を抱えています。
それだけに目の前にそびえるアララト山に対するアルメニア人の思いは深いようです。



アルメニアの遺跡に戻る

コーカサスの遺跡に戻る





参考文献

アナトリア文明博物館(日本語版)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。