バクー

カスピ海を臨むアゼルバイジャンの首都バクー
バクーは古来からシルクロードの要衝でした。
現在もコーカサス地方最大の都市です。
2009年5月訪問

写真はシルヴァン・シャー宮殿


バクーはカスピ海に突き出したアプシェロン半島にあるアゼルバイジャンの首都です。古くから水陸交通の要衝とされ、シルクロードの中継地点として栄えました。また、石油・天然ガスに恵まれた地でもあり、現在も石油関係の仕事で繁栄しています。

東にカスピ海、西に黒海、北にコーカサス大山脈、南にイラン・トルコが位置するコーカサス地方は交通の要衝であるとともに、ペルシャ・アラブ・トルコ・ロシアなど様々な民族が入り乱れる地でもありました。コーカサス三国(アゼルバイジャン・グルジア・アルメニア)のうち、アゼルバイジャンは唯一のイスラム国。バクーにはイスラムの色合いの強い建築物が残ります。



バクー旧市街

バクーはかって二重の城壁で囲まれた街でした。
今では12世紀末に造られた内壁だけが残り、旧市街を形作っています。
世界遺産となっている旧市街は、あちこちに古い城壁が残り、風情があります。
   


なかなか、お洒落な、雰囲気のある街並みでもあります。
     


かってのキャラバン・サライ(隊商宿)を利用した店もありました。
廃墟になったキャラバン・サライばかり見て来ましたが、案外、かってはお洒落だったのかも・・・。
     

キャラバン・サライ内のバー。イスラム国なのにバーがあるのはソ連時代の影響でしょうか。
面白いのは、このドア。このようなドアは初めて見ました。
   



シルヴァン・シャー宮殿

旧市街の見どころのひとつがシルヴァン王国の宮殿、シルヴァン・シャー宮殿です。

シルヴァン・シャー王朝は13世紀から16世紀にかけて、この地を支配した王朝です。

様々な文明・支配者が交錯するコーカサス地方ですが、シルヴァン・シャー王朝はティムール帝国からオスマン・トルコの時代にかけて独立を維持した国だったようです。

シルヴァン・シャー王国は13世紀当初は首都をバクーより西の内陸のシャマフに置いており、バクー近くのカスピ海の小島に避暑用の夏の宮殿を造っていました。

この夏の宮殿は、大地震でカスピ海に沈んでしまいますが、15世紀になって勢力を強めたシルヴァン・シャー王国はバクーに遷都し、新しく宮殿を築きます。それが現在のシルヴァン・シャー宮殿です。

宮殿内部には複数のモスクや、聖者廟、王族の霊廟、議会の場、浴場など多くの建物が建てられています。

宮殿の特徴はシンプルさでしょうか。この宮殿はアゼルバイジャン建築の傑作と評されているそうです。
(写真は物見の塔)


ケイクバット・モスクと聖廟

ケイクバット・モスクは神学校でもあったモスクです。聖廟は地下にあります。


庭に置かれているのは水没した夏の宮殿からの発掘品
アラビア語とともにイスラムでは禁じられているはずの人の顔や動物も描かれています。


シャー・モスク。15世紀の建造です。
色タイルを使わないシンプルな建物ですが、かえって文様が映えますね。
   


宮殿内にあった浴場跡です。陶器のパイプラインやタイルが残っています。
女性は月に3回ということですが・・・乾燥地帯だから?
   


王族の霊廟(左)と宮殿(右)。宮殿は今は博物館になっています。
霊廟は元々タイルを使っていないそうです。シンプルな造りですね。
宮殿には27の部屋があったとか。カスピ海の見える部屋が客室だったそうです。
   


こちらの綺麗な建物は裁判所。下は監獄だそうです。


宮殿内の建物は結構密集していて、案内がないと道に迷うかもしれません。
建物の建造年代は様々だそうですが、みなシンプルな石組みが美しい。



シェマハ門

かって隊商達が通ったシェマハ門(12〜14世紀)も旧市街で見落とせないものの一つです。
門の上には2匹のライオン(太陽のシンボル)と牛(月のシンボル)が彫られています。

   



市場の広場跡

旧市街に15世紀ころのマーケットの跡が残っています。

この周辺には紀元前の住居跡も残っていて発掘がなされていました。



乙女の塔

乙女の塔は宮殿と並ぶ旧市街の見どころで、バクーを象徴する建物とも言えます。

「乙女の塔」というロマンチックな名前ですが、これは要塞。

高さは28m、壁の厚さは4〜5mという堅牢な造りです。

上層部は12世紀のものですが、基礎部分は更に歴史を遡ると言われているそうです。

内部は螺旋階段になっていて、階段は128段。

かって守りについていた兵士達の復元などが置いてありました。

乙女の塔という名前は、かってバクーを治めていたモンゴル人の王が自分の娘に言い寄り、悲しんだ娘が、この塔からカスピ海に身を投げたという伝説に由来するそうです。

今はカスピ海から少し離れていますが、かっては、海際に建てられた要塞だったわけです。

モンゴルの支配も受けた、この地ならではの伝説かもしれません。
塔の近くには東洋人の顔立ちの像も残っていました。

塔の頂上からは、少し遠くなってしまったとはいえ、カスピ海が良く見えます。
   




拝火教寺院

バクー市郊外に拝火教寺院があります。


拝火教は紀元前7世紀ころに、ゾロアスターによってイランで生まれた宗教ですが、石油や天然ガスが豊富なバクーでは自然に地表で火が燃えることも多く、古くから信仰を集めたようです。この寺院は7世紀にアラブ人・イスラム教が進出するまで使用されていたということでした。

寺院は中央に火を燃やす堂のようなものがあり、中庭を僧坊が取り囲むという構造をしています。
かっては、中央の堂の屋根にある4本の柱からも火が燃えていたらしく、当時の復元図(左下)がありました。地表から天然ガスが出て自然発火していうのですから、火を崇めたるもなるでしょう。
堂には不思議なレリーフもありました(中央)。寺院入口には火の象徴のライオンと太陽のレリーフがうっすら残っています(右下)。

     


拝火教寺院がある周辺は油田地帯らしく、石油を汲み上げる櫓がいたる所で見られます。
   




シャヒドゥラール広場・殉教者の小道

バクーの街の高台には公園があります。
写真は公園入口にあるモスクと、公園奥にあるモニュメント
   

この公園内に殉教者の小道があります。ここはソ連末期の1990年1月20日に起こったソ連赤軍の侵攻や、アルメニアとの戦争で命を落とした一般人366人の墓地と慰霊碑があります。故人の写真がある墓標です。

歴史上、様々な支配者が入れ替わったアゼルバイジャンでは民族問題も複雑です。

1991年のソ連解体により独立するも、アゼルバイジャン西南部のナゴルノカラバフ州には多くのアルメニア人が居住していたため、ナゴルノ・カラバフ紛争が起き、アルメニア軍との戦争になります。
現在も、アゼルバイジャン西南部はアルメニアに占拠されていて、紛争地帯となっています。


この公園からはバクー市街とカスピ海が良く見渡せます。
左は旧市街と新市街。宮殿が真ん中あたりに写っています。右は港。
   


予備知識なしに訪れたのですが、素敵な街でした。
予想外というと失礼なのですが、街がとてもお洒落です。



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参考文献

21世紀世界遺産の旅(小学館)

ほとんど日本では文献が見付けられませんでした。
基本的に現地ガイドさんの説明を元にまとめています。