アンコール・ワット

クメール王国のスールヤヴァルマン2世が建造したアンコール・ワット
12世紀前半、1130年から30年余りの年月をかけて造られました。
ヒンズー教寺院であると同時に、王の霊廟として計画されたものと言われています。
2002年1月、2006年12月訪問

写真はアンコール・ワット全景



インドネシア半島の歴史をまとめると、まず、インドの影響が強い扶南という国が2世紀ころから栄えました。その後、5・6世紀ころから「真臘(シンロウ)」すなわち「クメール」が次第に勢力を伸ばし、7世紀後半にジャヤヴァルマン1世がカンボジアを統一します。

ジャヤヴァルマン1世の死後、一時、クメールは乱れ、8世紀後半にはインドネシアでボロブドゥールを築いたシャイレーンドラ王朝が勢力を伸ばしたりしました。

しかし、802年にジャワから戻ったジャヤヴァルマン2世が再びカンボジアを統一し、アンコール王朝を開きます。そして、889年にヤショヴァルマン1世がアンコールを王都としました。
その後、12〜13世紀にはアンコール王朝はインドネシア半島のほぼ全域を支配するほど隆盛を極めます。スールヤヴァルマン2世がアンコール・ワットが建造した12世紀前半はアンコール王朝の黄金期の初期にあたります。



アンコール遺跡群の観光拠点はシェムリアップという町ですが、遺跡群の中で一番町に近いのがアンコール・ワットです。町のホテルを出て車で20分もすると、大きな池のようなところに出て、水の向こうにアンコール・ワットがかすんで見えて来ます。

この池のようなものは、アンコール・ワットを取り囲む環濠。幅が190mもあるといいます。
写真中央から左にかけて写っているのが西塔門。アンコールワットは王の霊廟でもあると言われ、西を向いているので、西が正面入り口となります。右の方に写っているのは象の門。




環濠の中、190mの参道を抜けると、ようやく西塔門。この門を抜けるとアンコール・ワットの美しい姿が見えてきますが、その前に塔門の美しいデバター(女神)達を見ておくことをお勧めします。


デバターのギャラリーとも呼ばれる美しいデバター達は西塔門を入ってすぐ右手で会えます。アンコール・ワットのレリーフは薄彫りで撮影しずらいのですが、とてもかわいく、繊細な美しさ。

アンコール・ワットのデバターは実在の女官をモデルにしたとかで、同じものは一つとしてないらしいです。とても綺麗で、チャーミング(なおかつ、しっかりクメール人の顔立ち)。

   



デバターを堪能したら、いよいよ本堂を目指します。2006年12月に訪れた時は人が多すぎて、全景を見るのも困難な状態でしたので、人が少なかった2002年1月の写真で説明します。



正面から見ると、アンコール・ワットは中央祠堂の左右に小さな塔が並んでいるだけのように見えますが、実際は、ヴィシュヌ神を祀る高さ65mの中央祠堂を4つの堂塔が取り囲んでおり、これは須弥山の姿を模しているものだそうです。
この5つの堂塔を第1回廊・第2回廊と2つの回廊が取り囲んでおり、その回廊のレリーフもアンコール・ワットの見どころの一つです。第1回廊の長さは上の写真からもお分かりになると思います。実に巨大な寺院です。

参道もかなり長く、塔門から中央祠堂だけで350mもあるそうです。近づくにつれて、次第に大きくなる寺院の姿は感動的です。

長い参道の両脇にはところどころにナーガが立ち上がっています。参道を進むと両脇に聖池があり、左側の池からはアンコール・ワットの定番写真が撮れます。冒頭の写真もそうですが、思わず何枚も撮ってしまいます。この角度からだと中央祠堂を4つの堂塔が取り囲んでいるのが分かりやすいですね。





第一回廊

第一回廊はレリーフで有名です。
西面は古代インドの叙事詩マハーバラタとラーマーヤナのレリーフ。
ハヌマーンとラーマ王子(左下)と、対する20本の腕と10の頭を持つ魔王ラーヴァナ(右下)

   



南面西側はスールヤヴァルマン2世の行軍、南面東側は天国と地獄のレリーフ。

座っているのがスールヤヴァルマン2世。かっては金箔が貼られていたともいいます。




左下は王の行軍風景。右下は天国と地獄の閻魔大王。18の手に剣を持ち水牛に乗っています。

   



東面南側は乳海撹拌

不死の霊液アムリタを得るため、神々とアスラが大蛇で綱引きをして海中をかき回します。
幾つもの頭を持つ蛇を引く神々。上では天女が踊ります。



北面は後世に中国人が彫ったのではないかといわれる稚拙なレリーフもありますが、神々の姿の美しいレリーフも残っています。大きなレリーフで、しかも薄彫りなので写真を撮るのは大変です。デジカメになってからは撮りやすくなりましたが。



第一回廊は外に出ることもできます。ちょっと覗いてみると面白いです。
左下は第一回廊から参道部分を見たところ。獅子のお尻がかわいい(笑)。
右下は第一回廊の装飾レリーフとデバター。後ろは連子状窓。

   


第一回廊の天井には花紋状のレリーフが彫られています(左下)。ところどころ彩色も残っています(右下)。
   


第一回廊のデバターたち。みなさん、美しいです。

     



十字回廊

第一回廊をレリーフを見ながら、ぐるりと一周してから十字回廊へ。ここは正面入口を第一回廊から第二回廊に進む中間地帯です。


十字回廊というのは、文字通り十字に回廊があるのですが、ここには4つの沐浴場があります。

4つの沐浴場のために回廊がある、というほうが正しいのかもしれません。

本来、正面入口から第一回廊、第二回廊、第三回廊を突っ切って進めば中央祠堂に出るので(今は通れなくなっていますが)、その手前のここで身を清めたのでしょう。

右の写真の下の部分が沐浴場です。

今は水がありませんが、元々は、ここに水がたたえられていたわけです。

この沐浴場は天空の聖池を表わしているともいわれていますが、地面より高い建物の中に池を作るということは、技術的にも凄いことらしいです。

連子状窓も見事。


ちなみに、有名な日本人の落書きも、この十字回廊にあります。

17世紀に森本右近太夫一房が父の菩提を弔うために仏像を寄進したという内容の落書きです。


アンコール王朝は、14世紀ころからタイのアユタヤ朝の侵攻を受けて徐々に衰退し、15世紀半ばには、ついに王都アンコールも放棄され、ジャングルの中に埋もれていくことになりました。それでも、17世紀にこの地を訪れた日本人森本右近太夫一房は、ここを祇園精舎と信じ、仏像を寄進したわけです。落書きでも歴史的価値があるということで、彼の落書きは保存されています。



第二回廊




第一回廊を出たら、第二回廊に進みます。階段を登りますが、ここの階段は第三回廊への階段に比べれば、それほどきつくありません。

第二回廊の壁はデバター(女神)のレリーフで飾られています。彼女達は顔も表情も、そして頭飾りやアクセサリーも、全て一体一体が違うので、ほんとうに見ていて飽きません。

全てモデルがいるということは・・・モデルになった彼女達は自分がアンコール・ワットのどこに彫られたかを知ることができたんでしょうか。





わたし好みの美しいデバター。

   




第三回廊


第二回廊の内陣は、いよいよ中央祠堂とそれを取り囲む4つの堂塔をつなく第三回廊です。


第三回廊へは階段を登らないといけないのですが、この階段は怖い。本当に怖い。まじ怖い。

マヤのピラミッド並みの急勾配で、なおかつ、一段一段の幅が非常に狭いのです。
マヤのピラミッドと違って、登る距離が短いのがせめてもの救いです。

一段の幅が狭いせいか、小柄な人の方が安心して登れるみたいです。

実は本当に怖いのは降りるとき。
登るときより、ずっとずっと怖いです。

右の写真からも、降りる人達のへっぴり腰が分かると思います。
笑ってはいけません。降りるときはみんな、こうなります。
大柄な白人男性などは、真っ青になっていました。彼らは、きっと、私たち以上の恐怖を味わっているのでしょう。

一時期登頂禁止になったと聞きましたが、事故でもあったのでしょうか。

最近は再び登れるようになったそうですが、足元には十分注意してください。

この階段は恐ろしいですが、怖い思いをしても登る価値は十分すぎるほどあります。


第三回廊から見た中央祠堂です。
素晴らしいレリーフをまじかで見ることができます。

   


また、第三回廊内のデバターは特に美しいものが多い気がします。

   


何よりも、その眺めは素晴らしい。
夕暮れに訪れると、ジャングルに沈む太陽や夕日に映える建物を見ることができます。

左下は第三回廊から見下ろす西参道。うっすら西塔門も見えます。
多くの人達が太陽の沈むのを見ていました(右下)。

   



日没に合わせて観光プランを立てるのがいいと思いますが
夜明けのアンコール・ワットも見逃せません。

最後に夜明けのアンコール・ワット




観光しやすい年末年始のころは太陽が昇る位置が建物から少し遠いですが
早起きしても見る価値がある幻想的な美しさです。




納得の世界遺産アンコール・ワット
2002年に比べると凄い観光客が増えているみたいですが
世界遺産の中でもトップクラスの美しさなのは間違いないと思います。






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参考文献

アンコール 遺跡を訪ねる旅 日本語版(ARCHIPELAGO PRESS ディエリー・ゼフィー箸)

基本的に現地ガイドさんの説明に基づいてまとめています。