バンテアイ・スレイ

アンコール・トムの北東約30キロ。
薔薇色砂岩のバンテアイ・スレイ寺院があります。
デバター等で飾られた寺院は本当に美しい。
2002年1月、2006年12月訪問。

写真は祠堂のデバター



バンテアイ・スレイはシヴァ神とヴィシュヌ神に捧げられたヒンズー教寺院で967年に建立されました。王の側近ヤジュニャヴァラーハが菩提寺として建てたものです。

規模こそ小さいですが、レリーフ等で飾られた薔薇色の寺院は美しいの一言に尽きます。野焼きで発見されたことから、ところどころ焦げていますが、その美しさは損なわれていません。美しいデバターと薔薇色の建物であることから「女の砦」という意味のバンテアイ・スレイと呼ばれています。


寺院の周囲を第一回廊が囲み、小さな入口があります。
小さな門ですがレリーフは素晴らしい。3つの頭の象に乗るインドラ。

   


しばらく参道が続きます。参道にはリンガを模したという石柱が並びます。
途中左右に小さな堂があり、ナンディに乗るシヴァと妻パールヴァティーが彫られていました。

   


いよいよ寺院の中心部です。人が少ない2002年の写真です。
中心部手前の参道の左右は池となっています。



中心部を正面から撮った上の写真を使って寺院の構造を簡単に説明します。

まず、中心部の入口には第二回廊の塔門があります。この塔門は姿もレリーフも美しいものです。

塔門をくぐると第三回廊の塔門です。踊るシヴァ神のレリーフがあります。そして、第三回廊の塔門をくぐると、いよいよ正面に中央祠堂、左右に北塔・南塔という3つの祠堂が並びます。この祠堂のデバターは美しく、アンドレ・マルローが盗もうとした有名なデバター「東洋のモナリザ」はここにあります。しかし、2002年1月1日から中央祠堂付近には入れなくなってしまいました。私が最初に行ったのは同年1月3日で、残念ながら数日の差でデバターに会えなかったわけです・・・。

3つの祠堂の両脇というか前に屋根とレリーフが美しい北経堂・南経堂が並びます。このため、正面から見ると、5つの建物が並んでいるように見えます。
上の写真で言うと門・回廊の奥は左から南の経堂・南祠堂・中央祠堂・北祠堂・北経堂となります。


入口の塔門です。写真では左が少し切れてしまいましたが、実に美しい姿です。




入口正面のレリーフ。カーラに乗るヴィシュヌ。




左右から象の祝福を受けるラクシュミー。ヴィシュヌの妻で日本では吉祥天です。





中央祠堂は塔堂の前に礼拝堂があります(左下)。右下は礼拝所入口上のレリーフ。

   


後ろから見た中央祠堂と南堂・北堂。




近くに寄れないので遠くから見るしかありませんが・・・実に美しいレリーフの数々。




中央祠堂にはデバターではなく男性像が彫られています。




この2つの建物の間に東洋のモナリザがいるはずですが・・見えません。




しかし、東洋のモナリザ以外のデバターも十分すぎるほど美しい。

   



北の経堂の屋根飾り。曲線に縁どられた姿が美しい。マハーバラタのレリーフも見事です。
ナーガのレリーフが屋根を飾ります。

   


こちらは南の経堂のレリーフ。
シヴァ神の住居・カイラーサ山を持ち上げようとする魔王ラーヴァナ
魔王は10の頭と20の手を持ちます。





連子状窓も、ところどころで見ることができます。細かなところまで美しい建造物です。





池から見たバンテアイ・スレイ




東洋のモナリザを見ることができなくなってしまったのは残念ですが、バンテアイ・スレイは本当に美しい。小さな寺院とはいえ、これだけの美しさの寺院を王ではなく重臣が建てることができたというのは、それだけアンコール王朝が財力を持っていたということでしょう。アンコール・ワット、アンコール・トム以外にあと一つ見るとしたらどこか、と聞かれたら、バンテアイ・スレイをお勧めします。

2002年1月に訪れた時、シェムリアップからバンテアイ・スレイまでの道はないに等しく、大きく削られた道を何時間もかけてたどり着いたものでした。それが2006年には綺麗な道ができていて、1時間ほどで到着してしまったし、寺院の前には土産物屋までできていました。カンボジアの復興のスピードは凄いものです。その後も、きっと更なる復興が続いているのでしょう。


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参考文献

アンコール 遺跡を訪ねる旅 日本語版(ARCHIPELAGO PRESS ディエリー・ゼフィー箸)

基本的に現地ガイドさんの説明に基づいてまとめました。