ロリュオス遺跡群

シェムリアップから南東に約15キロ
アンコール朝初期の都だったロリュオス遺跡群があります。
ここではアンコール朝初期の寺院を知ることができます。

写真はロレイの2002年の姿


ロリュオスは現在では小さな村ですが、ここはアンコール朝の創始者であるジャヤヴァルマン2世が最後に暮らした地であり、孫であるインドラヴァルマン1世が王都と定めた場所です。かって、この地は「ハリハラーラヤ」と呼ばれました。ハリハラというのはヴィシュヌとシヴァの合体神です。


プリア・コー



プリア・コーとは「聖なる牛」の意味。この寺院は879年にアンコール王朝の創始者ジャヤヴァルマン2世の供養のためインドラjヴァルマン1世が建てたもので、中央伽藍にジャヤヴァルマン2世を、その両側の塔にはジャヤヴァルマン2世の先祖を祀っています。アンコール朝で先祖を供養するために造られた最初の寺院で、その後の王達も同様の目的で寺院の造営を行いました。




正面からすると3基の祠堂があるようにしか見えませんが、実際には基壇の上に6基の祠堂が並んでいます。
インドラヴァルマン1世にとってジャヤヴァルマン2世夫妻は母方の祖父母にあたるそうで、ここでは祖先にあたる3人の王とそれぞれの王妃の冥福を祈るためにシヴァ神像3体と女神像3体が安置されました。残念ながら、2002年に訪れた時も2006年に訪れた時も修復中でした。

寺院の名前の由来となった聖牛ナンディが祠堂を向いて置かれ、祠堂入口には獅子が左右に並びます。獅子はたてがみが長く、胴が短い姿ですが、これは古い様式なのだそうです。

   



プリア・コーの建物は煉瓦で造られ、その上から漆喰で飾られました。
今では一部にしか残っていませんが、元々は真っ白な建物だったわけです。

   


漆喰の残る部分を撮ってみました。美しいです。

   




バコン




バコンは881年にインドラヴァルマン1世がシヴァ神を祀るために建立した寺院です。5層の基壇からなるピラミッド状の建物で、このようなピラミッド型寺院としてはカンボジアで最初に造られたものだということです。
最上層にある中央塔は12世紀中ごろにスールヤヴァルマン2世が建て直したもの。かっては5層の基壇には説話のレリーフが彫られており、中央塔にはリンガが置かれていました。


この寺院はロリュオス遺跡群の中で最大の規模のもので、かなりの大きさです。基壇には獅子や象の彫刻が置かれ、ピラミッド型寺院の周囲には幾つもの塔堂が置かれています。上から見ると参道の長さや寺院の周囲に周壁がめぐらされていたのがよく分かります。




こちらは下から見たピラミッド型寺院と周囲の塔堂。
ピラミッド型寺院の基壇には象が置かれています(鼻が取れちゃってます)。
周囲の塔堂はプリア・コーと同じく煉瓦造りです。かっては漆喰で飾られていたのでしょう。





参道入り口にあったナーガ。欄干になってます。
アンコールではナーガの欄干はおなじみですが
実は、ここのナーガが最初に欄干とされたナーガなのだそうです。






ロレイ




ロレイはプリア・コーやバコンを建立したインドラヴァルマン1世とその后を祀るために、息子であるヤショーヴァルマン1世が893年に創建した寺院です。

この寺院はインドラヴァルマン1世が造った大きな貯水池の中央島に築かれました。現在は水は枯れていますが、東西3.8キロ、南北800mという巨大な貯水池で、王の名をとってインドラタータカと呼ばれました。インドラヴァルマン1世は灌漑事業に熱心で農業の生産力を向上させ、王朝の基盤を作った賢王だったようです。

祠堂は煉瓦で築かれ、漆喰で飾られています。プリア・コーと同じ建築様式ですね。神像は顔が丸い気がします。動きは少ないですが、腰がくびれた随分とグラマーなデバターです。

   


漆喰による装飾は見事でした。

   


ヤショーヴァルマン1世は、両親の菩提を弔うロレイ寺院を建立した後、アンコールに遷都します。そして、父王を見習うかのようにアンコールの東に巨大な貯水池を造ります。


アンコール・ワットやアンコール・トムに比べれば地味な遺跡です。
しかし、アンコール朝の歴史を調べると、とても重要な遺跡だということが分かりました。
シェムリアップからも近いですし、一度は見ておくべきではないかと思います。


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参考文献

アンコール 遺跡を訪ねる旅 日本語版(ARCHIPELAGO PRESS ディエリー・ゼフィー箸)

基本的にガイドさんの説明に基づいてまとめています。