エウフラシウス聖堂

イストラ半島西部の町ポレチュ
美しいモザイクが残る聖堂には
長い歴史がありました
2019年10月訪問

写真は聖母子のモザイク


クロアチア北西部、アドリア海に突き出たイストラ半島にある港町ポレチュは紀元前2世紀にローマ帝国の軍営地とされた長い歴史のある町。ローマ帝国の支配下にあった後3世紀ころからキリスト教が広まりました。布教の中心となったのが聖マウルス、聖マウルスは迫害を受け殉教しますが、4世紀に聖マウルスに捧げる聖堂が建てられ、6世紀にエウフラシウス司教により現在の聖堂が建てられました。聖堂は美しいビザンティン様式のモザイクで飾られ、そのモザイクは初期キリスト教美術の代表作として世界遺産に登録されています。

ローマ時代から続くメインロード・デクマヌス通りから北に折れたところに聖堂はあります。

石畳のデクマヌス通り
 
 聖堂入口


聖堂の目印になっている黄金のモザイク
思わず撮っちゃいましたが、現地ガイドさんによると20世紀の作。



中に進むと聖堂の案内図がありました。
ご覧のとおり、聖堂は複数の建物からなっています。
正式にはエウフラシウス聖堂建築群と言うべきもののようです。


聖堂に入ると、まず@柱廊をめぐらせた前庭(アトリウム)、A8角形の洗礼堂(6世紀)、B鐘楼(15世紀).。アトリウム左手の建物は司教が暮らしていた建物で、C2階は博物館、D1階は古い時代の聖堂部分が残り、モザイクなどが置かれる展示室となっています。Eは5世紀の聖堂跡、Fはビューポイント、Gは聖具保管庫、HはCella trichoraとありますが訳せませんでした(見学もなし)。そして、Iが最大の見どころ、モザイクが見事なエウフラシウス聖堂(6世紀)です。

実際の順路とは少し違いますが、案内図の番号に沿って紹介します。

柱の綺麗なアトリウムと鐘楼
 
 洗礼堂

洗礼盤は結構大きい。大人が洗礼を受けた時代なのでしょう。
洗礼を受けると白い服に着替えて新しく生まれた・・という儀式をしたのだとか。

アトリウムからは大聖堂の壁が見えます。
モザイクは聖マウルスのお弟子さんたちで修復はしているけど6世紀のもの


初期キリスト教会でこのようにアトリウム・洗礼堂・教会が残っているのは珍しく
非常に貴重なんだとか。


司教館2階の博物館には近隣の教会の祭壇画や聖像が展示されていました。
   

ここで展示されているものは閉じられてしまった教会から持ってこられたもの。
クロアチアでも地方の小さな町は過疎化が進み、教会が維持できなくなっているんだそうです。
若い人が大きな街に出てしまうんでしょうね・・・。


1階では古い聖堂から発掘されたモザイクなどが展示されています。
   


 司教の椅子
 魚はキリスト教のシンボル


古い聖堂跡
現在の聖堂に隣接する形で古い聖堂の跡が残っています。

 5世紀の聖堂の床
 黒いモザイクは3世紀のもの

元々エウフラシウス聖堂はローマ帝国時代の貴族の館跡に建てられています。この地で伝道し、殉教した聖マウルスに捧げる聖堂が4世紀に建てられ、以後、増改築を重ねて行ったと考えられていますが、現地ガイドさんによると、この聖堂跡の黒いモザイクがある場所に聖マウルスが葬られているんだそうです。本当かなあ・・・・。聖堂が建てられる前にも、この地には小さな礼拝堂があったのではないかと言われており、その時代のモザイクかもしれません。

案内図ではG聖具保管庫とある場所だと思うのですが
ここも、かなり古い時代のもののようです



いよいよエウフラシウス聖堂



6世紀に建てられたエウフラシウス聖堂は3つの後陣を持つ3廊バジリカ式の聖堂です。その中央後陣を飾るのが金色に輝くビザンティン様式のモザイク。聖堂の壁や天井が簡素な造りなのはモザイクを引き立たせるためなのでしょうか。薄暗い聖堂の中に輝くモザイクは本当に美しい。
初期キリスト教会時代のモザイクは余り現存しておらず、この聖堂のモザイクは大変貴重なもの。

ため息が出る美しさ。神秘的で荘厳なモザイクの輝き。
   

6世紀にエウフラシウス司教が聖堂の建設を始めた時、ポレチュの町はビザンティン帝国の支配下にありました。当時、ビザンティン帝国では高価なガラスや石・タイルを贅沢に使ったモザイクによる宗教画が流行しており、エウフラシウス聖堂の中央後陣も豪華なモザイクで飾られました。
しかし、ビザンティン帝国では8世紀になると「宗教画は偶像崇拝を禁じたキリスト教の教えに反する」とする聖像破壊運動が起こり、多くのモザイクの宗教画が破壊されてしまいます。幸いなことに、ポレチュの町は聖像破壊運動が起こった時には既にビザンティン帝国の支配下から離れ、フランク王国の支配下に入っていました。このため、聖堂のモザイク画は守られたのです。



後陣上部にはキリストと12使徒
その下、ドーム状のヴォールトには聖母子



最上段 「私は真の光である」と書かれた本を手にしたキリスト。


こんなに若々しいキリスト像は珍しい気がします。

アーチには神の羊と女性殉教者たち



聖母子


聖母子は父なる神の象徴である手の下で天上の玉座に座っています。聖母子を囲むように天使と聖人たち。左から2番目に描かれているのが聖堂を建てたエウフラシウス司教。手にエウフラシウス聖堂の模型を手にしています。エウフラシウス司教と聖母子を拡大してみました。

エウフラシウス司教
 
 父なる神の手と聖母子

マリア様、凄い美人。

後陣の左右にも聖母マリアが描かれています。

 受胎告知
 聖母マリアの聖エリザベト訪問

受胎告知の場面で聖母マリアは左手に紡ぎ糸を持っています。受胎告知後、聖母マリアは聖エリザベトが身ごもって6カ月になると告げられ、聖エリザベトを訪問します。老齢になってから妊娠をしたエリザベトは洗礼者ヨハネを生み、後にヨハネがキリストに洗礼を施すことになります。

天蓋にも受胎告知が描かれています。


モザイクが余りに見事で目を奪われてしまいますが中央後陣に置かれた天蓋も見事です。元々あった天蓋を13世紀に新しくしたもので、天蓋を支えるのは6世紀からある大理石製の4本の柱。
また、中央後陣の下の壁を飾る石板も非常に美しい。青貝をはめ込んだりしている豪華なもの。





柱と言えば身廊と側廊を分ける列柱も大理石製です。
柱頭には細かな彫刻が施され、アーチには美しい化粧漆喰。
   


聖堂の下には古代のモザイクが残っています。




中央後陣には入れないので写真を撮るのはちょっと難しいのですが
失敗した写真にも素敵な天使が写っていました。



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参考文献

21世紀世界遺産の旅 小学館
図説バルカンの歴史 芝宣弘著 ふくろうの本 河出書房新社
バルカンを知るための66章 芝宣弘著 明石書店
るるぶ クロアチア・スロヴェニア
いちばん親切な西洋美術史 池上英洋著 新星出版社

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。