ディオクレティアヌス宮殿

アドリア海東岸の最大の街スプリット
ローマ皇帝の宮殿に人々が住み着き、街に発展したという特異な街
古代から現代までが混在する魅力ある街です。
2019年10月訪問

写真は宮殿の中心部ペリスティル


ローマ皇帝ディオクレティアヌスは隠棲所としてアドリア海東岸のスプリットに宮殿を建設し、305年の退位後、311年に亡くなるまでの6年間を過ごしました。ローマ帝国滅亡後、宮殿は廃墟となっていましたが、7世紀に異民族の侵攻があった際、周辺の人々が城壁に囲まれた要塞のような宮殿に避難して住み付き、宮殿は街に姿を変えていきます。人々は城壁を拡張して街は拡大していきます。このため宮殿内には古代・中世・近世と様々な時代の建造物が残されました。宮殿を中心に発展したスプリットは現在首都ザグレブに次ぐクロアチア第2の都市となっています。

宮殿復元図


宮殿は東西約170m、南北約200m。城壁に囲まれ、南側は海に面していました。宮殿には東西を走る道があり、海側(南側)は皇帝の公的・私的空間で皇帝の住居や3つの神殿、そして皇帝の霊廟も置かれていました。北側は兵士や使用人の居住空間だったと考えられています。

宮殿には東西南北に4つの門があるのですが、南側の門から入ることになりました。
かって海に接していた宮殿ですが、今では海との間に建物と道ができています。


復元図を見ると海に面した側だけは堅牢な城壁ではなくアーチが並ぶ柱廊になっていたようです。
皇帝は柱廊から美しいアドリア海を眺めて引退後の生活を過ごしていたのでしょうね。
宮殿前に建物が建ち並ぶ今も、なんとなくローマ時代の面影が残っています。

大聖堂の 鐘楼が見えます
 南側の門(青銅の門)

南側の門(青銅の門)はとても簡素な造り。
かっては船から荷物を搬入したり、皇帝が私的に海に出るのに使用されていたもの。

青銅の門を入って階段を下り、お土産屋が並ぶ道を真っ直ぐ進んで
再び階段を上ると宮殿の中心部ペリスティルに出るのですが
門から降りてすぐ左手に地下宮殿への入口があります。

地下宮殿



青銅の門を入って階段を下りると、そこにはガランとした地下室が広がっています。

この地下部分は、海に面した宮殿を建築する際に、宮殿の基礎部分として建築されたもの。
元々の地面に傾斜や高低差があったことから、宮殿の土台として建てられたのだそうです。

地下には大小様々な部屋が続いているのですが、この基礎・土台部分の上に皇帝の宮殿が建てられたため、地下の構造と地上の宮殿の構造は同じになっているということでした。
そのため、今は多くが失われてしまった宮殿のかっての構造を知ることができるのだとか。

部屋の数は50とのことで、かっての宮殿の豪華さが偲ばれます。隠棲所といってもローマ皇帝の隠棲所ですから豪華なものです。

地下宮殿は後には倉庫やワイン作りなどに使われたこともあったそうですが、宮殿に人が住み着くようになるとゴミ捨て場となってしまいます。でも、捨てられたゴミで地下空間が埋められたことで宮殿の強度が保たれ、結果的に保存状態が維持されたというのですから面白い。
ただ、今では地上の住居からの水漏れが深刻な問題になっているとのことでした。

地下の構造図。かっての宮殿の構造図でもあります。


地下にはディオクレティアヌス帝の胸像も置かれていました。
ディオクレティアヌスは解放奴隷の子として生まれ、一兵卒から皇帝まで上り詰めた人物。

3世紀、広大になり過ぎたローマ帝国では動乱が相次ぎ、軍人皇帝が乱立する危機を迎えていました。この混乱を収めたのが284年に皇帝となったディオクレティアヌスです。
彼は286年に帝国を東西に分け、自身を東の正帝、腹心マクシミアヌスを西の正帝とし、更に292年には東西の副帝を置いて四分割統治を始めました。彼の軍事・政治手腕により帝国は安定したとされています。

晩年体調を崩した皇帝は隠棲所として故郷サロナに近い場所にこの宮殿を建て、宮殿が完成した305年に退位します。自らの意志で退位した最初のローマ皇帝だそうです。

しかし、彼は帝国の安定のためキリスト教徒を激しく弾圧したため、キリスト教徒からは最も憎まれた皇帝の一人でもありました。
そのため、ローマ帝国が滅亡し、キリスト教が盛んになるとディオクレティアヌス帝に関わるものは破壊されたり、宮殿から撤去されてしまっています。


地下の見学の後、ガイドさんに従ってお土産屋さんの横から地上に出ました。
鐘楼と大聖堂(右側)が見えます。



大聖堂はかってディオクレティアヌス帝の霊廟だった建物
後にキリスト教徒によって大聖堂に改築されました。
八角形の建物を美しいコリント式の柱が囲んでいます。


大聖堂には裏手から入りました。
中に入ると雰囲気が一変

煌びやかな天使たち
 
 キリスト像


なんと煌びやかな天使の横を通って正面に回り込みます



大聖堂正面


ここは元々はディオクレティアヌス帝の霊廟で皇帝の石棺が置かれていた場所。

しかし、キリスト教徒に憎まれていた皇帝の石棺はキリスト教が盛んになると破壊され、代わりに皇帝の迫害によって殉教した聖ドムニウスの棺が置かれて、霊廟は聖ドムニウスに捧げる大聖堂に改築されます。

コリント式の柱が丸く取り囲む聖堂内には4つの祭壇が置かれ、ロマネスク・ゴシック・バロックなど様々な様式で飾られていて何とも厳かで美しい。

左の写真の煌びやかな正面祭壇は17世紀のもの。黄金で飾られています。
その右には15世紀の聖ドムニウスの祭壇、そして左には15世紀の聖ストシャの祭壇。

聖ストシャも殉教者で首に重い石を付けられて殉教したのだそうです。聖ストシャの祭壇は世界遺産になっているシベニクの聖ヤコブ大聖堂を建築したユライ・ダルマティナッツによるもの。

更に聖ストシャの祭壇の左には18世紀に造られた聖ドムニウスの祭壇が置かれています。

聖ストシャの祭壇(15世紀)
 
 聖ドムニウスの祭壇(15世紀)


聖ストシャの祭壇・彫刻部分


ユライ・ダルマティナッツ作の聖ヤコブ大聖堂洗礼室も素晴らしかったけど、この祭壇も実に素晴らしい。
日本での知名度は低いけれど素晴らしい彫刻家・建築家ですね。精神性が高いと言うか・・・
聖ストシャについては何も知らなかったのですが思わず姿勢を正してしまいます。


聖ドムニウスの祭壇(18世紀 バロック)
   

こちらはひたすら優美


13世紀の説教台や正面入口の扉も素晴らしい。扉にはイエスの生涯が刻まれています。
どちらもロマネスク様式の傑作と言われています。

説教台
 
 扉・十字架に架けられた場面など・・・


霊廟だったころ、天井は美しいモザイクで飾られていたそうです。
ディオクレティアヌス帝を讃えるモザイクは全て消されてしまいました・・・。


しかし、天井近くにディオクレティアヌス帝ではないかと言われるレリーフがひっそり残っています。

 ディオクレティアヌス帝
 妻プリスカ

名残惜しいですが大聖堂を出ます。
本来の入口が訪問時は出口専用になっていました。

大聖堂入口(訪問時は出口専用)
 
 階段を下りると鐘楼が見えます


本来の入口から出ると宮殿の中心ペリスティル



大聖堂に裏側から回り込む形で観光したので、宮殿内の位置関係を再確認することにします。
大聖堂は上の写真の左側。鐘楼の下部部分も写っています。そして、上の写真の正面に写っている4つの柱が美しい建物が、かっての皇帝の住居の玄関でした。この玄関の前は美しいコリント式の柱が並ぶ中庭(ペリスティル)になっていてディオクレティアヌス宮殿の中心部分にあたります。



玄関に近づくと、大聖堂に近い場所にスフィンクスが置かれているのが分かります。これはディオクレティアヌス帝がエジプトから持ち帰ったもの。皇帝は東の正帝としてローマ帝国の東半分で活躍していましたから、エジプトもその領土だったわけです。宮殿には他にも幾つものスフィンクスが置かれていますが、頭が残る保存状態の良いものは、この一体だけ。ペリスティルの見事な円柱もエジプトから運ばれてきたものということでした。また、この玄関の下は地下に通じる通路となっていて、階段を下りてお土産屋さんが並ぶ通りを真っ直ぐ進めば青銅の門に通じています。

頭が残るスフィンクス
 
 玄関付近から見た鐘楼

玄関付近からのペリスティルの眺めも素晴らしい。


玄関の中に入ると、天井から丸く青空が見えます。
前庭と呼ばれる丸い広間です。



ここは皇帝の玄関広間だった場所。この奥の謁見の間で皇帝は人々と謁見しました。この丸い広間で皇帝の謁見を待ったのでしょう。天井が落ちてしまっていますが、元々はモザイクで飾られたドームがあったそうです。また壁の窪みには彫像が置かれていたとのことで今とは全く違う豪華な空間だったんでしょうね。この広間の場所によっては天井の穴から鐘楼が見えるそうです。場所を探してみたかったですが、クロアチアの伝統音楽であるクラパが始まるところだったので遠慮しました。クラパはアカペラの男声合唱。とても美しい歌声で魅了されました。CDも売ってます。

   

熱唱中



洗礼室(ジュピター神殿)

ペリスティルから西に進むと洗礼室と呼ばれる小さな建物があります。
この建物、地図によってはジュピター神殿と表記されていて、それはディオクレティアヌス帝が建てた当初はジュピター神殿だったものを後にキリスト教徒が洗礼室に改築したから。

かっては宮殿には3つの神殿があったのだそうですが、現在はジュピター神殿しか残っていません。
ジュピターはギリシャ神話ではゼウスに相当するローマ神話の最高神。ちょっと興味深いのはディオクレティアヌスは自身をゼウス、腹心マクシミアヌスをヘラクレスとして皇帝の神格化を図っていたということ。ジュピター神殿もディオクレティアヌス帝と同一視されて破壊されたんでしょうか。

現在洗礼室には十字の形をした大きな石の洗礼盤が置かれています。11世紀のプレ・ロマネスク様式の歴史的にも貴重なもの。彫られているのは十字架を持ったクロアチア王。

この洗礼室には普段は洗礼盤の後ろにイヴァン・メシュトロヴィッチ作のヨハネ像が置かれているのですが、訪れた時は展覧会に貸し出し中で不在でした。

洗礼盤も興味深いですが、何より目を奪われたのが美しい天井のレリーフ
確認し忘れましたが、神殿建築当初のローマ時代のものだと思います。



宮殿では東西南北に置かれた門も見どころです。
南側青銅の門から入ったので他の門も見て回ることにしました
東西に走る道と南北の道がペリスティルで交差する構造なので迷いません。

まずはペリスティルから一番近くわかりやすい銀の門(東門)

 アーチが残る銀の門
19世紀に再建されたもの
 銀の門からペリスティルに戻る途中
八角形の大聖堂と鐘楼がよく見えました

銀の門の外に出ると青果市場があるそうです。
買い漁っているツアーの同行者もいました。


北側の金の門を目指します。

金の門は二重の門になっていました。

 内側の門
 外側から見た金の門

金の門からは宮殿の城壁が良く見渡せます。高さ約20m。


宮殿ができた当時、北側の金の門は近隣の大都市サロナへの道が通じていました。

サロナはローマ帝国ダルマチア州(アドリア海東岸)の州都だった街で、ディオクレティアヌス帝の故郷と言われています。宮殿が建てられたころのスプリットは海辺の小さな村に過ぎずソロナの方が大きな街だったので、ソロナに通じる金の門は宮殿の正門として機能していました。

現在は金の門を出ると公園が広がっていて、木々の緑が美しい。
金の門のすぐ近くには右の写真のような巨大な彫像が置かれています。

10世紀にクロアチア語で最初にミサを行った聖グラグールの像です。像の左足の親指に触れると幸せになれるということで人気のスポット。

作者はイヴァン・メシュトゥロヴィッチ。洗礼室(ジュピター神殿)の聖ヨハネ像の作者でもあり、クロアチアを代表する20世紀の彫刻家なのだそうです。

スプリットにアトリエがあったとのことで、宮殿内には他にも彼の作品が置かれています。


最後の鉄の門(西門)は良く分からなかったのでペリスティルに戻って探しました。
建物の中に埋もれているというか・・・ちょっと分かり難い。

鉄の門
 
 鉄の門を出ると広場


ナロドニ広場



鉄の門を出たところの広場はナロドニ広場。

鉄の門の脇に建つゴシック様式の時計塔が印象的なお洒落な広場です。

ナロドニ広場はヴェネツィア支配時代にディオクレティアヌス宮殿の外側に造られた広場で、ヴェネツィア支配時代の市庁舎も残っています。

ヴェネツィアのスプリット支配は1420年から1797年までの377年にも及びます。ヴェネツィア出身者が街を支配し、自治権は制限されましたが、スプリットはバルカン半島内陸を支配するオスマン帝国に通じる要衝の地であったため、港湾都市として発達していきます。

左の写真がベネツィア出身者が暮らした市庁舎。ゴシック様式の建物で意外と小さい。

ヴェネツィア支配時代は街の政治の中心だった
場所ですが、今ではお洒落なカフェが建ち並んでいて一休みには最適です。
広場にはゴシック様式の建物だけでなく、ルネッサンス様式の建物、更にはベネツィアの後に支配を受けたオーストリア様式の建物も建ち並び、なんとも明るく可愛い雰囲気。

写真だと分かり難いですが実にお洒落な建物が並びます。
正面の建物は外壁が綺麗で、実に可愛かった。


ナロドニ広場から海の方向に進むと別の広場があります。

ブラチェ・ラディッチ広場



昔は果物市場が開かれていたというブラチェ・ラディッチ広場。ベネツィア時代の塔が印象的ですが、クロアチア文学の父と呼ばれるマルコ・マルリッチの像も立っています。この像もイヴァン・メシュトロヴィッチの作品です。

 ベネツィア時代の塔
 バロック様式のミレシ宮殿


旧市街を出て海沿いの道を進むと、そこは現代の町並み。



海沿いの道には多くのカフェが並び賑わっています。



港には多くのクルーズ船



古代の遺跡や宮殿跡が残る街は多いですが
古代の宮殿に人々が暮らして街になっているというのは
他に例がないのではないでしょうか。
クロアチアの世界遺産の中で最も感銘を受けました。
納得の世界遺産です。


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参考文献

21世紀世界遺産の旅 小学館
るるぶ クロアチア・スロヴェニア

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。