ルクソール神殿

ルクソール東岸にあるルクソール神殿
カルナック神殿の副神殿として造られました。
2004年12月訪問

写真はライトアップが始まった第一塔門とオベリスク


ルクソール神殿はカルナック神殿同様にアメン神を祀るもので、オベトの祭礼を行うために造られたものです。オベトの祭というのは、毎年、ナイルの増水期に行われるアメン神と妻ムト女神の結婚の祭礼。聖なる船にアメン神像を載せ、10日間に渡ってお祭りをしたのだそうです。そのため、神殿には祭りの様子を描いたレリーフが数多く残っています。

元々は中王国時代に小さな神殿が建てられていたのを、新王国時代になってアメンへテプ3世が塔門や列柱室などを奉献し、更にラメセス2世が第一塔門や中庭等を奉献し、現在の形になりました。
アメンへテプ3世とラメセス2世の間に、アクエンアテンによる宗教改革(アテン神を唯一神とするアマルナ時代)があることを考えると、ちょっと面白いですね。アクエンアテンの宗教改革はアメン神官達が強大な力を持つに至ったことから、これに対抗する意味があったとも言われていますが結局は失敗し、再びアメン神信仰が隆盛するわけです。


スフィンクス参道

神殿の入口手前にはスフィンクス参道が残っています。


この参道、もともとはカルナック神殿とルクソール神殿をつなぐもので、かっては3キロにわたり、このスフィンクスが並んでいたそうです。
このスフィンクス参道はアメンへテプ3世が建てたもの。アメンへテプ3世はラメセス2世より100年以上前の紀元前1400年ころの王で、当時のエジプトは繁栄の絶頂期にありました。


第一塔門とオベリスク

右の写真は第一塔門とオベリスクを横から見たところです。

古代エジプトの塔門は重量を考慮したからか、台形の形に石を積んで作っています。
この角度からだと塔門の構造がわかりやすいですね。実に巨大です。人との比較から巨大さが分かるかと思います。

この第一塔門とオベリスクはラメセス2世によって造られたもの。
入口の左右にはラメセス2世の坐像があり、かっては、オベリスクが2本立っていました。

しかし、19世紀に当時の権力者モハメッド・アリがフランス皇帝にオベリスクの1本を寄贈したため、今ではご覧のとおり1本が残るだけです。

右の写真の坐像の前には、持ち去られたオベリスクの台座らしきものだけが残っています。ここにあったオベリスクは今ではパリのコンコルド広場に飾られています。

フランスは時計を贈って、ここのオベリスクを持ち去ったのだそうです。2本残っていたら、さぞ壮観だったでしょうに、残念ですね。



ちょっとわかりにくいけれど、オベリスクの左奥にはラメセス2世の頭像が置いてあります。左下の写真がそれ。上の写真には写っていませんが、王の座像の右にはラメセス2世の立像が残っているので、もともとは左にも王の立像があり、その頭の部分だけ残ったもののようです。

   



ラメセス2世の中庭

塔門を抜けると、ラメセス2世の中庭と呼ばれるラメセス2世の像が立ち並ぶ空間。

ここでも、ラメセス2世は自分の像を立てまくっています。
全部でいくつあるのか・・数えて来ればよかった。




ラメセス2世だけでなく、愛妃ネフェルタリなども彫られています。

左下はラメセス2世。右下はネフェルタリのレリーフ。
彼女のレリーフは、どれもほっそりした姿。
   


アメン神のレリーフがいくつもありました。
   

アメン神は勃起した生殖器を持つ姿で描かれています。もともとは、ミン神と呼ばれる豊穣神がこのような姿で表わされていましたが、後にアメン神はミン神の性格をも持つようになり、このような姿で表されるようになったのだそうです。アメン神は二枚の大きな羽根を冠としてつけているのが目印です。


壁には、お祭りのレリーフが多く残されています。

お祭りのための捧げ物を運んでいるレリーフ。
この牛も捧げものにされちゃうのです。



ラメセス2世の王子達が神殿を礼拝する場面。


ラメセス2世には92人の王子がいたということですから、王子の行列は凄かったでしょうね。


ラメセス2世の中庭には若々しい国王夫妻の坐像も残っています。

この坐像、現地ガイドさんからは「ツタンカーメン夫婦の像」であって「ツタンカーメンのものは、ほとんど残っていないので珍しい」との説明を受けました。
ところが帰国してから読んだ日本の本では、ラメセス2世と妻ネフェルタリの像と書かれていました。

ラメセス2世の中庭に置いてあるんだから、ラメセス2世のものと考える方が素直なのかな・・・と思っていたら、その後、日本のテレビでツタンカーメン特集をやっていた時は、この像がツタンカーメンと紹介されていて・・・。

どっちが本当なのか、結局よく分からなくなってしまいました・・・。現地ガイドさんの説明と日本の本の説明が違うって、結構あるんですよね。

私としては、非常に若々しい国王夫妻の像であることから、17歳くらいで亡くなった少年王ツタンカーメンと、その妻と考えたい気がします。
ツタンカーメンはアクエンアテンの宗教改革を否定し、アメン神信仰を復活させた王でもあります。



大列柱廊



ラメセス2世の中庭を抜けると、そこから奥はアメンへテプ3世が築造した部分となります。巨大な柱が、ラメセス2世の中庭からアメンホテプ3世の中庭と呼ばれる広場をつなぐ形で並んでいて、大列柱廊と呼ばれています。高さは17m。柱の形は開花式パピルス柱というもの。



アメンへテプ3世の中庭



大列柱廊を抜けると、アメンへテプ3世の中庭と呼ばれる場所に出ます。こちらの柱は、パピルスを8本束ねた姿を表したもの。


この中庭の奥にオペドの祭りの時に、アメン神を乗せた聖船を安置する祠堂があり、そこでアレキサンダー大王がアメン神に捧げ物をしたことからアレキサンダー大王の間と呼ばれています。
一番奥の至聖所は残念ながら一番壊れてしまっているのですが・・・。


中央のアメン神に捧げ物をしています。右は妻であるムト女神。


アメン神の妻であるムト女神はライオンの頭をしています。


祭りの捧げ物を描いたレリーフ




カルナック神殿に規模は及びませんが立派で綺麗な神殿です。
10日間のお祭りのために、こんな立派な神殿を造っちゃうなんて・・・
やっぱりエジプトは凄いですね。



ルクソール博物館

ルクソール神殿のそばにはルクソール博物館があります。
展示品の数は多くないものの、優品揃いの博物館です。

 アメンヘテプ3世像頭部
アメン神のためルクソール神殿を建築した王。
エジプト絶頂期の王と呼ばれます。
 アクエンアテン象
最高神アメン神を否定し、
太陽神アテン神を唯一神とする宗教改革を断行

アクエンアテンはアメンヘテプ3世の息子でツタンカーメンの父
特徴ある顔は異彩を放っています。


トトメス3世像
エジプトの領土を最大にした王
カルナック神殿から発見されたもの。
 
 ワニの頭のセベク神とアメンヘテプ3世
神と王が並んで彫られています。
セベク神はワニの力から守り神とされました。


こちらは将軍像。ライオンの頭を持つ勝利の女神の杖を持っています。
小さな像ですが髪の毛や装飾の繊細な彫りが素晴らしい。
   


イウネト女神の座像
イウネト女神は地方神アルマントの妻。その微笑から古代世界のモナリザと呼ばれているそうです。
   


ハトホル女神座像
碑文によるとアメンヘテプ3世が好んだ女神でルクソール神殿に奉納されたものだそうです。
   


ツタンカーメン墓の副葬品・メヘトウィレト女神の頭像
メヘトウィレト女神というのはハトホル女神の化身の一人
冥界に赴く死者の魂を歓迎し、来世への再生復活を導く神なのだそうです。


写真では分かりずらいですが涙を流しています。
ツタンカーメンの死を悼んで泣いているのだそうです。素敵ですね。



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参考文献

図説古代エジプト2(河出書房新社ふくろうの本)
世界遺産を旅する12(近畿日本ツーリスト)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。