ピラミッド

エジプトと言えばピラミッド
世界七不思議で唯一残る謎の建造物
3大ピラミッドで有名なギザとサッカラの階段ピラミッドを訪れました。
2004年12月・2005年1月訪問

写真はカフラー王のピラミッドを背にするスフィンクス


エジプトのピラミッドは紀元前2620年ころから約1000年に渡り造られたとされています。
ナイル川に沿った台地の縁に、およそ120キロに渡って多くのピラミッドが建てられました。
ピラミッドが何であるのかは今でも分かっていません。一般には王の墓と言われますが、ピラミッドから王の遺体が発見されたことはなく、神殿とする説も有力のようです。


ギザのピラミッド

カイロから15キロほどの台地にギザの三大ピラミッドはあります。
行ってみると、街のすぐ近くにあるのに驚きます。

写真は展望台から見たギザの三大ピラミッド
ピラミッドが台地の縁に建っていること、すぐ後ろには街が迫っていることが分かるでしょうか。
左からクフ、カフラー、メンカウラーのピラミッド


この角度から見るとカフラーのピラミッドが一番大きく見えますが、
実際は左のクフ王のピラミッドが最も大きなピラミッドです。
クフ王のピラミッドは元々の底辺が約230m、高さは約147m。
カフラー王のピラミッドは底辺が約215m、高さは約144m。
そして、メンカウラーのピラミッドは底辺が約105m、高さが約66m。


左がクフ、右がカフラー




クフ王のピラミッド



クフ王のピラミッドは世界最大のピラミッドで底辺の方向が正確に東西南北を向いていることでも有名です。綺麗な正四角錐の形は完成された美しさと言えますが、どこからみても同じ形。

外から見るだけでなく、やはり中に入りたいものです。ピラミッド内部は入場制限があり、私が行った時は午後は150人のみという厳しさでした。


ピラミッドの入口は北側にあります。写真の真ん中当たりに写っているのが本来の入口です。
観光客は、もうちょっと下の盗掘用の入口から入ります。で、入るときにカメラを没収されます。
ピラミッド内は写真厳禁なのです。凄い残念。

盗掘用の穴を通るだけあって、最初のうちは中腰で進まないといけません。しかも、観光客で混雑しているので結構、辛いです。
途中で地下の玄室に向かうトンネルとかも見えますが、鉄の扉で閉ざされてて一般観光客は入れてもらえません。

で、更にしばらく中腰で行くと、突然大回廊にでます。
ここは凄いです。
天井がぐ〜〜んと高くなって、巨大な石が見事に左右対称に整然と組まれていて・・・。天井の石組みも見事・・・。
よくインカの石組みが「剃刀も入らない」と言われますが、ここの石組みも剃刀も入らないくらい見事です。しかも、4500年以上も前だし。

ピラミッドの石組みの本当の凄さは内部に入らないと分からないのではないでしょうか。


大回廊は全長50mくらいあって、しかも傾斜がかなりきついけど、なんといっても腰が伸ばせるので気持ちがいい。
で、登りきると、その先の通路が再び狭くなっていて、かがんでよたよた進めば、今度は王の墓所だとも言われる「玄室」。玄室内も天井は高いし、石組みは立派です。

しかし、王の石棺といわれるものは人が寝るには小さい気がします。本当に、お墓なんでしょうか。なんか違うような・・・。

玄室には通気孔と呼ばれる穴が二つ両壁に開いていて、北側の通気孔からは当時の北極星が南側の通気孔からはオリオン座の三ツ星が見えたという説があるとのこと。覗いてみたら、ごみが詰まってました。エジプト観光局の皆さん。お掃除してください。

玄室で「ここ音響いいね」とか話しながら、しばらくたたずんからで戻ることに。なんせ石棺といわれるものが奥にあるだけの、がら〜〜んとした何もない空間なのです。

帰り道で、大回廊の入口の下の「王妃の間」に続くトンネルを覗いてみたりしましたが、ここも扉で閉ざされていて入れないし、奥も見えません。観光客が見ることができるのは、ごく一部なのです。
それにしても、中腰での下りの帰路は辛い。これ、かなり足腰にくるかもしれません。

外に出てからぶらついてみたら、化粧石が残っている一角がありました。今のピラミッドは石組みがあらわになっていますが、元々は右の写真の下の方みたいに化粧石で全体が覆われていたとのこと。化粧石で覆われていたころは、真っ白で日の光を受けて輝いていたとか・・・・。そうなると、かなり印象が違ったでしょうね。それにしてもこれだけの石をどうやって積んだのでしょう。

   


ピラミッドは元々は単独で建っていたものではなく、周囲に葬祭殿や河岸神殿、参道等の付属設備と一体となったピラミッド・コンプレックス(複合体)として建てられたものでした。クフ王のピラミッドは付属の建物は残っておらず、近くに小さな王妃のピラミッドが残るだけですが、ピラミッド近くの地下から太陽の船と言われる古代の木造船が発見されています。写真の小さなピラミッド(王妃のピラミッド)の手前に柵で囲まれているのが、太陽の船が発掘された場所です。




太陽の船を展示する博物館がピラミッドのすぐ脇に建てられています。

で、右がその「太陽の船」。
レバノン杉でできている木造船で、釘は一本も使われていません。
長さ43.3m、幅9m、高さ7.9mという巨大な船です。

釘のかわりに縄を使っていて、縄が濡れることによって膨張して、船体には水が入らないようにできているのだそうです。
昔の人の知識は凄いですね。

発見された時はバラバラで、14年かけて復元したのだそうです。それも凄い話です。


この船、クフ王の葬儀用の船で、死せる王を太陽まで運ぶための船、つまり天空を旅するときに使う船だとかいうロマンティックな説があり、そこから「太陽の船」と呼ばれました。
しかし、実際に使っていた跡もあるとかで、本当のところはよくわかっていないそうです。

この船、実はもう一つあって、それは最近吉村作治先生が発見したはず(おぼろな知識だけど。ひょっとしたら発掘はまだかも)。

昼の船と夜の船・・・とか。色々とロマンあふれる説があるようです。



カフラー王のピラミッドとスフィンクス

スフィンクスとカフラー王のピラミッド(左)。右はクフ王のピラミッド。


カフラー王のピラミッドは有名なスフィンクスを始め、多くの付属施設が残っているピラミッドです。
スフィンクスの横(左側)には河岸神殿が残っているだけでなく、スフィンクスの横からピラミッドまで参道も残っています。河岸神殿からは9体のカフラー王の座像が発見され、現在はカイロの博物館に展示されています。また、この神殿は巨石が使われており、その石組みも見事です。

     


河岸神殿を抜けるとスフィンクスの真横に出ます。
スフィンクスより5mくらい地面が高いところから見学する形になります。
スフィンクスは全長60m。高さ20m。岩山を刻んで造られた巨大な彫刻作品です。


スフィンクスを見て感じたことは、前足が長く、体がすらりとしていること。しっぽもあるので身体がライオンなのは間違いないのでしょうけれど、頭がやけに小さくバランスが悪い気がします。

ピラミッドとスフィンクスの作られた時期については、カフラー王の時代(紀元前2500年ころ)というのが通説ですが、スフィンクスについては地質学者がスフィンクスの体等に残る浸食の跡から、エジプトの降水量が多かった紀元前7000〜5000年もしくは紀元前1万年ころという説を唱えているそうです。スフィンクスは長く砂に埋もれていて顔しか出ていなかったともいいますが、顔は浸食の跡がなく、体だけ跡があるのも不思議な気がします。本来は違う頭だったのを、後に王様の顔に彫り変えたのではないでしょうか。河岸神殿より5m近く低い場所にあるのもスフィンクスの方が古い時代のものだからのような気がします。

スフィンクスの横顔(左)と後姿(右)
   




サッカラの階段ピラミッド

カイロの西南25キロにサッカラの階段。ピラミッドはあります。
写真は南側から見たピラミッド。手前はセド祭(王位更新祭)の神殿。


サッカラの階段ピラミッドは紀元前2620年ころにジョセフ王によって建てられた最初のピラミッドと言われています。ギザのピラミッドより100年以上古く、高さ60m。底辺は140×118m。

このピラミッド以前の王墓はマスタバという日干し煉瓦を長方形に積んだ形のものでした。ジョセフ王の時代に、宰相のイムヘテプがマスタバを6段積み上げるということを考え付いて、この階段ピラミッドになったのだそうです。そして、この階段ピラミッドの後に、ギザのピラミッドのような真正ピラミッドが建築されるようになっていったと言われています。

また、このピラミッドは周囲にセド祭(王位更新祭)のための神殿や葬祭殿が残っています。このピラミッドからピラミッドは周囲に付属施設を持つピラミッド・コンプレックスとして造られるようになったわけです。



かってはピラミッドの周囲を南北550m、東西240mの壁が囲んでいたとのことで、現在も一部が残っています。現在も残る周壁にある入口から入ると円柱の列柱廊があり、中庭に出ます。ここの建造物の石組みはレーザーで切ったのではないかと思われるほど綺麗に切られています。

中庭では王の若返りを行うセド祭(王位更新祭)が行われました。セド祭というのはファラオが若さをアピールするために牛と戦って王の力を示したもの。王は中庭を走ったりもしていたようで、ファラオもなかなか大変だったようです。



ピラミッドの北側には葬祭殿があったということで現在も小さな部屋が残っており、覗くと王の像が置いてありました。ここにあるのはレプリカで本物はカイロの博物館にあるそうです。

ジョセル王の階段ピラミッドの地下は迷路のような複雑な造りになっていて、埋葬室が幾つもあるそうですが、ジョセル王の時代のミイラは見つかっていないようです。

サッカラは階段ピラミッドの他にも多くのピラミッドや貴族らの墓があり、できれば時間をかけて見学したい場所です。私のツアーだと駆け足だったので階段ピラミッドと貴族の墓を少し見られただけだったのが残念。


サッカラからは他のピラミッドも見ることができます。
階段ピラミッド北側から見たギザのピラミッド群(左側)とアブシールのピラミッド群(右側)。



こちらは階段ピラミッドの南側から見た風景。
ダフシュールの屈折ピラミッド(左側・手前に小さなピラミッド?が見える)と赤ピラミッド。



ピラミッドは、やはりロマンです。
謎が解けてほしいような、謎のままであって欲しいような・・


アフリカの遺跡に戻る



参考文献

図説古代エジプト1(河出書房新書ふくろうの本)
世界遺産を旅する12(近畿日本ツーリスト)
古代エジプトうんちく図鑑(芝崎みゆき バジリコ株式会社)


基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。