ムツヘタ

グルジアの古都ムツヘタ
紀元前4世紀からの歴史をもつ、グルジアの信仰の中心です。
グルジアは世界で2番目にキリスト教を国教にした歴史を持ちます。
2009年5月訪問

写真はスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂



グルジアの古都ムツヘタはカスピ海と黒海のちょうど中間あたり、アラクヴィ川とクラ川の合流地点に位置します。この地は古来からペルシャと地中海を結ぶ東西交通路にあり、しかも、ロシアとの交易路も通ることから、交易の要衝の地として栄えて来ました。

下の写真で、上から流れてくるのがアラクヴィ川、右から左に流れるのがクラ川です。アラクヴィ川はロシアから、クラ川はトルコから流れてきているそうです。写真右が現在のムツヘタ市街です。



紀元前4世紀に興ったイベリア王国はムツヘタを首都とし、紀元前3世紀のパルナハズ王の治世以降、イベリア王国は繁栄を始め、後334年にはローマ帝国より早くキリスト教を国教化し、ムツヘタはグルジア正教会の総主教の居所となります。4世紀から5世紀にかけてムツヘタは最盛期を迎え、その市街地は川の両岸に広がり、現在の6倍のもの広さがあったといいます。

6世紀に首都がトビリシに移ってからは政治的中心からは外れますが、グルジア正教会の中心としての地位は変わりませんでした。しかし、グルジアは交通の要衝だったことが災いし、8世紀以降、アラブ人・モンゴル人・ペルシャ人・トルコ人と次々と異教徒の侵略を受けることとなります。
歴史の中でムツヘタは徐々に衰退しましたが、グルジアはキリスト教を守り抜き、古都ムツヘタはグルジア人の信仰の中心となっています。



ジュワリ寺院

ムツヘタの山の上に建つジュワリ寺院はグルジアに最初にキリスト教が伝えられた伝説の地であり、聖地でもあります。ジュワリとはグルジア語で「十字架」の意味。



伝説によると、ニノという名の修道女がカッパドキアから布教に訪れ、自分の髪とブドウで編んだ十字架を山の上の異教徒の神殿に立てたのが、この寺院の始まりと言われています。
ニノが訪れた当時、グルジアでは偶像崇拝が行われていました。しかし、ニノはイベリア王ミリアンと民衆をキリスト教に改宗させます。王が狩りに出た際、日食が起こり、ニノが祈りによって奇跡を起こし、王を改宗させたのだそうです。

聖女ニノが十字架を立てた場所に6世紀に小さな教会が建てられ、以後、増築されて現在の姿になりました。教会は「ジュワリ」「十字架」という名前のとおり、上から見ると十字架の形をしているのだそうです。

   


正面から見たジュワリ教会(左)と、教会から見下ろすムツヘタの街(右)。
教会は石造りの素朴な建物です。
山の上にあったことから、異教徒の破壊を免れたとも言われているそうです。
現地ガイドさんによると川に抜ける秘密のトンネルもあるのだとか。
   


教会入口。
天使が十字を支えています。
時代を感じる古いレリーフです。



教会内部は素朴な造りで、2つの十字架が目を引きます。
教会内部の十字架はキリストに関連する様々なレリーフが彫られていました。
十字架の中央には十字架にかけられたキリストが彫られています。
   


非常に大雑把な言い方をすればグルジア正教会はギリシャ正教・東方正教会の系列に入ります。
十字架の後ろにはいくつもイコンが置かれていました。
グルジア正教では神へのとりなしを聖母マリアや聖人にお願いするのだそうです。
   


多くのイコンが置かれていました。美しい。
   


真ん中は竜を倒す聖ジョージ。グルジアの英語表記はGeorgia。グルジアの守護聖人です。
     




スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂

ムツヘタ市内のスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂。
グルジア正教の総主教座が置かれる聖堂です。
いわばグルジア正教大本山ですね。



スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂とは舌を噛みそうな名前ですが、スヴェティ・ツホヴェリとは「生きている柱」という意味。グルジアの伝説によればユダヤ人の男がキリストの服の一部をグルジアに持ち帰り、姉に渡したところ、姉は喜びの余り、服をつかんだまま亡くなってしまいました。布が取れなくなってしまったので、姉とともに埋葬したところ、そこから杉の木が生え、その樹液が人々の病を癒すようになります。そこで、人々がその木で教会を建てることにしたところ、柱の1本が浮かび上がり、聖ニノの祈りにより、やっと地に降りたのだそうです。大聖堂の名は伝説に基づくわけです。

伝説が示すように、スヴェティ・ツホヴェリ大聖堂は最初は木造の寺院で、4世紀に聖ニノによって建てられたと言われています。キリスト教が国教となってすぐの時期にイベリア王国の王宮の庭に建てらたのだとか。現在の建物は11世紀に石造で再建されたもの。


ジュワリ教会から見たムツヘタの街(左)と、街中にあるスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂(右)
外壁に囲まれたスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂が見えます。
   


山を下りてムツヘタ市内のスヴェティ・ツホヴェリ大聖堂へ。
大聖堂は城壁のような高い壁で周囲を囲まれています。



鐘楼も立派です。かっての宮殿の跡が少しだけ残っています。



大聖堂の入口には聖母子のフレスコ画がありました。
   


聖母子像


大聖堂の中は残念ながら写真撮影禁止。内部には多くのフレスコ画があります。現地ガイドさんによれば、ソ連時代にフレスコ画は全て白く塗られ、ソ連からの独立後、修復したものだとか。
イベリア王国時代、王の戴冠式はこの大聖堂で行われ、それは王国の首都がトビリシに移された後も変わりませんでした。大聖堂には王の墓も残っています。

内部の写真撮影が禁止なので大聖堂の外側を撮って廻りました。
中央のドームの高さは40m。
外壁は多くのアーチで飾られており、これがこの大聖堂の特徴なのだそうです。



外壁のレリーフ。
キリストと12人の弟子を表しているのだそうです。
一番左下がユダ。ユダだけ模様がありません。



かっては大聖堂の外壁を多くのレリーフが飾っていたようですが、今は僅かに残るだけ。
グルジアの守護聖人竜を倒す聖ジョージのレリーフが残っていました(右下)。
   


大聖堂の由来を示す木彫りのレリーフもありました。柱を天使が浮かせています。




大聖堂からは山の上のジュワリ寺院がよく見えます(左)。
大聖堂で見かけたグルジア正教の司祭様(右)。
   


今は小さな街ですが、歴史の重みというか、なんともいえない風情があります。
訪れた時、大聖堂ではミサが行われていて多くの人々が集まっていました。
男性が白、女性が青い服を着た聖歌隊も素敵でした。
お天気が悪かったのが、ちょっと残念。


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参考文献

ユネスコ世界遺産3(講談社)
21世紀世界遺産の旅(小学館)
世界遺産を旅する10(近畿日本ツーリスト)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。