アクロポリス周辺

アクロポリス南東のハドリアヌスの門とゼウス神殿
アクロポリス南麓のイロド・アティコス音楽堂
そして、北西麓の古代アゴラを廻りました。
2016年9月訪問

写真は古代アゴラから見たアクロポリス


アクロポリスはアテネ最大の見どころですが、アクロポリス周辺には他にも多くの見どころが点在しています。ツアーでは余り訪れない場所に自由時間を使って行ってみました。

空港からアテネ市内に入ると最初に目に入るハドリアヌス門
交通量の多いアマリアス大通りに面しています。



ハドリアヌス門

大通りから見た門
 
 反対側に回ると門の向こうにアクロポリス

ハドリアヌス門は2世紀のローマ皇帝ハドリアヌスが建てた門。この門の西側には「テセウスが作った街」、東側には「ハドリアヌスが作った街」と書いてあったそうです。テセウスは古代アテネの王子。クレタ島の牛頭人身の怪物ミノタウロスを倒した英雄です。テセウスが作ったとされる古代アテネの街をハドリアヌスが拡張したことを意味しているのでしょう。高さ約18m。幅約13.5m。


大通りを渡ってハドリアヌス門まで行ったら、ゼウス神殿が隣に見えるので行ってみました。
すぐ隣なのに入口が結構遠い。間違えたかと思って戻ろうとしたころ、やっと入口発見。

ゼウス神殿

かっての門でしょうか。ここから入ります。



やたら大きい。全景を入れようとすると凄い小さくなってしまう・・・



ギリシャ神話の最高神ゼウスに捧げられたこの神殿は前6世紀に僭主ペイシストラトスが建設を始めました。しかし、途中で計画は頓挫。

その後も、建設再開の話が出たものの、結局、後2世紀まで放置されました。

2世紀のローマ皇帝ハドリアヌスが神殿建築を再開。長さ約110m、幅約43m、高さ15mの柱が104本並ぶ巨大な神殿を完成させます。

神殿にはオリンピアのゼウス像を模して作られた象牙と金製のゼウス像が置かれました。このため、この神殿はオリンピュア・ゼウス神殿とも呼ばれます。
しかし、神殿にはハドリアヌス皇帝の像も置かれ、神殿は皇帝に捧げるものとされたそうです。神と並ぶローマ皇帝・・・というわけですね。

しかし、折角完成した巨大な神殿も、キリスト教が広まるとゼウス信仰が否定され、5〜6世紀にはキリスト教会を作るために神殿の石材が持ち去られることとなります。かって104本あった柱は現在は15本しか残っていません。

それでも15mの高さの柱が並ぶさまは圧巻。

パルテノン神殿の柱の高さは10mですから、その1.5倍ということになります。



コリント式の美しい柱



ここからはアクロポリスも良く見えます。


折角だから、もう少し散策してみることにしました。


ディオニシウ・アレオパキトゥ通り

ハドリアヌス門のあたりから、アクロポリスの麓の道は遊歩道になってます。
カフェや土産物屋が並ぶお洒落な通り。



通りを歩いていると、猫やら謎の遺跡に出会えます。

 
 


しばらく歩いたら、立派な建物に出ました。

イロド・アティコス音楽堂




中に入りたいけど、入口が閉まってる・・・・後ろの丘の上にはパルテノン神殿。


地図からすると、どう見てもイロド・アティコス音楽堂なのですが、入口は閉まっているし、入場料払う場所も閉まってるのか見当たらないので、やむなく諦めました。う〜〜ん。残念。

しかし、翌日、アクロポリスに行ったときに、途中から、内部を見下ろすことができました。

やはり、ここはイロド・アティコス音楽堂。後2世紀の大富豪アティコスがアテネに寄贈した音楽堂です。

つまり、ギリシャがローマ帝国の属州になった後の建物です。アティコスが妻の死を悼んで建てたものだということですが、現在では修復されて様々なコンサート等に利用されています。観客席は6000席だとか。

どうやら、入れなかったのは何かコンサートがあったからのようです。それにしても2000年近く前の音楽堂でのコンサートなんて凄い贅沢。

ギリシャの劇場は斜面を利用して作られたといいますが、ローマ時代のこの音楽堂も、アクロポリスの斜面を利用して作られているんでしょうね。昔の人は頭が良い。


アポストル・パヴルウ通り

別の日に、今度はアクロポリスの西麓を通っているアポストル・パヴルウ通りを通って
古代アゴラに行ってみることにしました。
ラッキーなことに現地ガイドさんが帰りがけに古代アゴラ入口まで案内してくれました。

ここも歩いていると謎の遺跡多数。
   

現地ガイドさんが説明してくれたけど、色々あって良く分からなくなってしまった・・・。
さすがギリシャ。遺跡なんて掃いて捨てるほどあるんでしょう。


この通りもカフェは多いんですけど、手作りの土産物屋が目に付きます。
現地ガイドさんによると失業者や難民が開いている店らしいです。
あまり気にならなかったけど、やっぱり経済危機が続いてる?



古代アゴラはアクロポリスの北西麓に位置します。
テセイオン駅の近くが入口。
派手な電車がアクロポリスの下を走っていました。



古代アゴラ

古代アゴラの入口からはアクロポリスが正面に見えます。
アクロポリスに通じる道がパンアテナイア通り。


アゴラとはポリスにおける市民生活の中心となった場所。アテネにはローマ時代のアゴラもあり、古代ギリシャ時代のアゴラをローマ時代のアゴラと区別して古代アゴラと呼びます。アクロポリスに通じるパンアテナイア通りは古代アテネ最大の祭りであるパンアテナイア祭りの時に人々が祭列を組んでアクロポリスへと通った道。古代アゴラで中央通りのようになっていたようで、周囲を多くの建物が並んでいました。古代アゴラは紀元前6世紀ぺイシストラスの僭主制のころから整備が始まり、民主制の発展とともに発展していきました。

入口にあった古代アゴラ再現図に建物の名称を入れてみました。


再現図の中に「柱廊」という建物がいくつもありますが、これは「ストア」と呼ばれた吹き抜けの列柱館のこと。店が入っているだけでなく、屋根で日差しを遮り、風を通しやすくすることで人々に快適な日陰を提供していたものです。またアゴラには今の国会議事堂的役割を果たしたブーレウテリオンがあり、30歳以上の男子市民500人からなる評議会議員が議論を行いました。プーレウテリオンの近くには公文書館とでも言うべき公文書や判決等の記録を集めたメトロンや、評議員の会食・宿泊用の円形の建物トロスもありました。また、アゴラ内には神殿や祭壇も設けられていました。要するにアゴラは古代ポリスの経済・政治・文化・宗教の中心だったわけです。

とはいえ、現在の古代アゴラにはほとんど建物は残っていません。
廃墟にかっての面影を探す、といった感じでしょうか。
現地ガイドさんも帰ってしまったので、案内図を見ながらうろうろしてみました。

アグリッパの音楽堂

古代アゴラの中にあるローマ時代の建物
   

アグリッパはローマ帝国初代皇帝アウグストゥスの腹心で後に娘婿になる人物。軍才に優れた将軍で、多くの建造物を建てたことで有名。アクロポリス前門にも彼の名の付いたアグリッパの記念碑の台座が残っていますが、アゴラにも音楽堂を建てています。今では柱が3本残るだけですが、かっては2階建てで1000人を収容した建物だったそうです。


エポニュモイ像の台座



地味ながら外せないのが、このエポニュモイ像の台座。エポニュモイというのは半神いわゆる英雄のことで、ここには古代アテネを構成する10の部族の始祖である英雄の像が置かれていました。前506年のクレイステネスの改革でアテネの10部族の代表各50人による五百人評議会が成立した時に造られたものです。英雄像の台座が各部族ごとの掲示板となっていて、各部族ごとの通知文や新しい法律を作るときはその案文が予め掲示されました。民主制では情報の公開が不可欠ですが、ここは古代ギリシャの情報公開の場だったわけです。残念ながら、ブロンズ製だったという各部族の英雄像は今では全く残っていません。部族ごとに個性出してたのでしょうか。

エポニュモイ像の台座の近くには、評議員が集まって評議会を開いたブーレウテリオンや公文書館だったメトロン等があるはずなのですが、正直、あったと思われるあたりは地味な廃墟だったので、古代アゴラに入る前から気になっていたヘパイストス神殿を目指すことにしました。

ヘパイストス神殿は前5世紀、パルテノン神殿と同じころに建てられた神殿で、ギリシャで最も保存状態の良い神殿と言われています。
アテネ王子テセウスの活躍が描かれたレリーフがあることから、テセウス神殿と呼ばれていましたが、今ではヘパイストス神に捧げられた神殿であることが分かっています。

ヘパイストスは火山と鍛冶の神。不細工で足が悪かったものの優れた武器や武具、更に様々な家具調度品を造り出す神々の中の技術者でした。この神殿は古代アテネの職人たちが、その技術向上を願ってヘパイストス神に捧げた神殿と考えられます。

地図を見ると、このヘパイストス神殿の手前にはアレス神殿やアポロ神殿があったはずなのですが、基壇が残るだけで、正直、かっての姿を想像するのも困難です。


ヘパイストス神殿(テセウス神殿)



近づくと保存状態の良さがよくわかります。
前面約14m弱、側面約32m弱と小ぶりの神殿ですが、実に保存状態が良い。
内陣の周囲を外柱が並び、屋根が付けられるという構造。
中に入れないのが残念。

外柱の上の壁にはメトープ
 
 柱はドーリア式


メトープに残る彫刻
 
 内陣にもレリーフ

内陣に描かれていたのは、アテネの王子テセウスが親友のラピテス族の結婚式に招かれた時、同じく招かれていたケンタウロス族が酒に酔って花嫁にまで乱暴を働いたのでラピテス族と大乱闘となったけど、テセウスが加勢してケンタウロス族をやっつけた・・というお話。これはパルテノン神殿のメトープにも描かれた古代アテネで大人気のお話で、上半身が人・下半身が四脚の馬というケンタウロスが大暴れしています。それにしても信じられないほど保存状態が良いなあ・・・。




ヘパイストス神殿は高台に建っているので見晴らしが良い。
右手高台がアクロポリス。その下に残る柱の列が中央柱廊。
そして左手の赤い屋根の建物がアタロスの柱廊・現古代アゴラ博物館。


降りていくと円形の建物の基壇らしきものがありました。

トロス



トロスは評議員たちが会食をしたり、宿泊をしたりした円形の建物。いわば詰所でしょうか。
この周辺は、かってのアテネ民主政治の中心だった場所です。

トロスからアゴラの東に位置するアタロスの柱廊を目指します。
途中、円柱が無数に残る場所に出ました。中央柱廊の跡のようです。

中央柱廊




上の中央柱廊はアクロポリス方面に通り抜けできるようになっていたということです。
地球の歩き方によると長さ約120m、幅約15mで、かっては市場があったとのこと。円柱が真っ直ぐ並ぶ様子から、大きな建物だったことが分かります。昔は賑わう中心街だったんでしょうね。
このあたりに裁判所もあったらしいのですが、正直、かなりの廃墟で、探すのは難しそう。

廃墟の中、柱頭などが残る遺跡の向こうに、赤い屋根の立派な建物が見えて来ました。
古代アゴラの中で唯一完全に復元された建物・アタロスの柱廊です。

アタロスの柱廊は長さ約115m、幅約20m。2階建ての建物で、ペルガモン王アタロスが寄進したもの。

後3世紀に砦となり、その時に古い建物が取り込まれたおかげで多くの部分が残っており、綺麗に復元することができたのだそうです。

現在は古代アゴラ博物館として、古代アゴラから発掘された出土品が展示されているというので行ってみることにしました。


行ってみると凄い立派で、びっくり

アタロスの柱廊・古代アゴラ博物館

こんな立派な場所で古代ギリシャ人は生活していたのですね。
吹き抜けが気持ちいい。


かっては1階と2階に各21の店が入っていたそうです。
昔のお店部分が展示室になっているみたいです。

 象牙のカップ
鹿を襲うグリフォン
 ヘラクレス
小品ながら、逞しい肉体が目を惹きました。


吹き抜け部分に置かれている彫刻にも優品が多い。
下の美しい2体。説明文によるとどちらもアフロディテのようです。

エロスを肩に載せたアフロディテ
 
 水がめを持つアフロディテ

アフロディテは裸体像が多いですけど、私は服着てる方が好きだなあ。


他にも美しい彫刻が幾つも置かれていました。

 流れる動き
 美しいトルソー


古代アゴラは、かなりの見ごたえ。

満足しての帰り道、また、猫がたくさんいました。

   


アクロポリス周辺には
他にも面白そうなところがいっぱい。
機会があったら、他の場所にも行ってみたい。


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参考文献

古代ギリシャ・時空を超えた旅(2016年東博展覧会図録)
図説ギリシャ・エーゲ海文明の歴史を訪ねて 周藤芳幸著 ふくろうの本
図説ギリシャ神話・神々の世界篇 松島達也著 ふくろうの本
図説ギリシャ神話・英雄たちの世界篇 松島達也・岡部紘三著 ふくろうの本
古代ギリシャがんちく図鑑 柴崎みゆき著 バジリコ株式会社