クノッソス宮殿

ギリシャ本土に先立ちクレタ島で花開いたミノア文明
伝説のミノス王にちなみ名付けられた文明です。
ミノス王の迷宮と言われるクノッソス宮殿を訪ねました。
2016年9月訪問

写真は遺跡の北入口


ミノア文明はクレタ島を中心に紀元前2000年ころから始まった文明です。紀元前1780年ころにクレタ島は大地震に襲われますが、その後復興して新宮殿時代と言う繁栄期を迎えました。

ミノア文明の特徴は「宮殿」と呼ばれる建造物。宮殿は王が祭祀を行う場所であると同時に経済活動の拠点だったと考えられています。宮殿には広い中庭を中心に、その周囲に多くの貯蔵庫や作業所、祭祀を行ったと思われる場所、そして居住区が置かれていました。その代表的遺跡とされるのがクレタ島で最も大きな街イラクリオンからほど近い場所にあるクノッソス宮殿です。

紀元前1450年ころにギリシャ本土のミケーネ文明の侵攻を受け、ミノア文明の宮殿は滅びますが、クノッソス宮殿だけは紀元前1350年ころまでミケーネ人が使用し続けました。

下の写真はイラクリオンの考古学博物館に置かれていたクノッソス宮殿の復元模型。



広い中庭が印象的。丘の斜面に造られた宮殿には1500以上の部屋があり、4階建や5階建となっている部分もありました。
この複雑な構造からクノッソス宮殿はギリシャ神話のミノス王の迷宮のモデルと言われています。

ギリシャ神話では、フェニキアの王女エウロペを見初めたゼウスが美しい牡牛に化けて近付き、背に乗ったエウロペを連れ去った場所がクレタ島だったとされています。エウロペはゼウスとの間に3人の息子を生み、その一人ミノスがクレタの王となりました。
しかし、ミノスは王となるため海神ポセイドンを利用し欺いたことから、その怒りをかい、妃が牛の頭の怪物ミノタウロスを産むことになります。

ミノス王はミノタウロスを閉じ込める迷宮を造り、アテネに少年少女を7人ずつ生贄として送ることを求めました。これに憤ったアテネの王子テセウスはクレタ島に向かい、ミノス王の娘アリアドネの助けを得てミノタウロスを倒します。
このテセウスのミノタウロス退治の伝説はアテネで非常に好まれ、後のローマ時代でも盛んに描かれました。右は旅行前の2016年7月まで東京で開かれていたポンペイの壁画展のテセウス。ちょっと分かりにくいですが、画面左下、テセウスの足元に牛頭の怪人が倒れています。

ミノア文明は、かってエーゲ海一体を支配していたとも言われ、アテネに生贄を求めたという伝説は、その名残かもしれません。


ギリシャ神話の迷宮伝説に惹かれ、クノッソス遺跡を発掘修復したのが、イギリス人のアーサー・エヴァンズ卿です。左は遺跡入口にあるエヴァンズ卿の胸像。

実はトロイ遺跡の発掘で有名なシュリーマンもクノッソス遺跡の発掘を狙っていました。しかし、シュリーマンは地主とのトラブルで手を引いてしまいます。その後、発掘の権利を得たエヴァンズ卿がクノッソス宮殿を発掘・修復しました。発掘を始めたのは1900年、1904年には発掘は一段落します。

エヴァンズ卿はミノス王の文明という意味のミノア文明とこの文明を名付け、非常にミノア文明に傾倒しますが、他方で金にあかせて勝手に修復したとの批判も受けています。当時の最新技術だったコンクリートなどを使って修復・復元してしまったため、クノッソス宮殿は世界遺産になれないのだとも言われます。

そのため、人によっては「クノッソス宮殿はがっかり遺跡」という人もいます。ですから、行ってみるまではちょっと心配だったのですが、訪れてみたら、十分興奮できる遺跡でした。修復・復元加減が、ちょうど良い。

もっとも、遺跡に残されている壁画などは全てレプリカなので、
オリジナルがあるイラクリオンの考古学博物館を合わせて訪れないと魅力半減かもしれません。

遺跡とイラクリオンの考古学博物館の展示をあわせて紹介します。

遺跡の観光は宮殿の南西部から始まります。

遺跡入口付近

エヴァンズ卿の胸像の近くは一見、地味な石組み。
これはかっての宮殿の通路で行列の回廊と言います。

行列の回廊



この場所が行列の回廊と呼ばれるのは、この回廊の壁画に女性に献上する貢物を手にして一列に並ぶ男女が等身大で描かれていたから。実際にこの回廊を行列が並んで進んだのでしょう。回廊は良く見ると真ん中には白い石が、その両側には青い石が敷かれていて3つに分かれています。これは階級によって歩く場所が異なっていたからなのだとか。
また、床にはエジプト産のアラバスタ―も利用されています。アラバスターは水に弱いことから、この場所がかっては建物の内部だったということが分かるのだそうです。

もっとも遺跡には壁画は残っていないのでイメージが湧きにくいのですが・・・
この後行ったイラクリオン考古学博物館に献上行列の説明図がありました。

写真中央より、やや右側に立つ女性は女王か女神とされています。


行列の回廊は地震で崩れていて先には進めません。
左に折れると、エヴァンズ卿が復元した場所が現れ始めます。

まず目に付く赤い柱
上が太く下が細いのがクノッソスの特徴
 
 回り込むと壁画が描かれている場所に。
献上行列の一部分をなしていたのでしょう。


ここで宮殿の構造の説明が始まりました。


エヴァンズ卿はコンクリートなどを利用して修復・復元してしまったのですが、実はクノッソス宮殿では木材が多用されていました。天井の梁に利用されていただけでなく壁にも石材の間に入れて使われていたそうです。よく見ると、木材部分は色を変えて、それらしく復元しています。木材を利用したのは地震対策だったのだとか。それだけでなく、なんと柱も木材だったというのでびっくり。木の根元部分を上にして天井を支えていたのでクノッソス宮殿の柱は上が太いんですって。

今のクレタ島には大きな木は目に付かないのですが、かっては木材も豊富だったのだそうです。クレタ島は海上交易で栄えましたが、そのために不可欠な船も木で造られていたということ。なるほど。確かに昔の船は木で作るしかないですよね。

ただ、現地ガイドさんによると、この建物部分、オリジナルは高さ1mくらいまで・・・ということで、本当に、こんなだったのか、柱は赤かったのかと疑問に思ったりもしたのですが、イラクリオンの考古学博物館で宮殿を描いたと思われる壁画を見ることができました。こういう壁画等も参考にして復元してるんでしょうね。それにしても綺麗な壁画。宮殿は美しく飾られていたようです。

   


遺跡に入って最初に目にする壁画も印象的です。
捧げ物を持って並ぶ男性たち。色々な壺を持っています。

遺跡のレプリカ
 
 考古学博物館のオリジナル

等身大の男性たち、当時のミノア人の身長は150〜160cmくらいだったそうです。みな腰が引き締まって細く、髪は黒くて縮れ毛。男性も長髪です。足にはアンクレットを着けてお洒落ですよね。
肌はみな赤銅色。実はミノア文明の壁画のお約束として、男性の肌を赤銅色に、女性の肌を白色に描くということがあります。これは男性は外で仕事をして日に焼けていたから、女性は室内で暮らし、化粧もしていたから、と言われています。
彼らはトルコのアナトリア半島から移住してきてのではないかとの説が有力ですが、当時のミノア人の人種は分かっていません。クレタはアジア・アフリカ・ヨーロッパに近い場所にあり、海上交易で栄えたと考えられますから、多くの人種が入り混じっていたのではないでしょうか。

壁画は少しエジプトの影響を受けているように思えますが、エジプトより自由に明るく描かれている印象。紀元前15世紀のころのものということなので、エジプトではハトシェプスト女王やトトメス3世の時代にあたりますが、繁栄を極めていたエジプトでも、これだけ自由で綺麗な壁画ってなかった気がします。そして、考古学博物館のオリジナルを見ると、保存状態は悪いものの、遺跡のレプリカに比べ、より色遣いが鮮やかで綺麗だし、細かな柄の描写も素晴らしい。

捧げものを持つ腕と壺の部分
壺の模様が綺麗
 
 男性の腰布と下半身
布の模様が凄い細かい


遺跡に戻ります。
献上行列の壁画のすぐそばには大きな壺がいくつも置かれていました。


このような大きな壺や倉庫らしき場所は遺跡の色んなところで見ることができます。ミノア文明では様々な物資が宮殿にもたらされ、専門の書記がそれを記録した上で各地に必要に応じて再分配するという経済の仕組みがとられていたと言います。こんな大きな壺に保存していたんですね。人々が物資を献上する背景にあったのは宗教や王の威光でしょうか。明るい壁画からは人々は強制されてではなく、自発的にというか、むしろ誇らしげに献上している印象を受けます。


  献上行列の壁画のすぐ近くには、左の写真のようなモニュメントもあります。これは聖なる牛の角と呼ばれていて、クレタのシンボルのようなもの。
下の壁画にも聖なる牛の角がたくさん描かれています。かっては宮殿に数多く置かれていたようです。


他にも牛飛びの壁画とか牛がらみのものが非常に多い。ゼウスがエウロペをさらうために牡牛に化けたとか・・・。ミノタウロスが牡牛の頭の怪物だったのも意味深です。


聖なる牛の角のすぐ先に美しい「百合の王子」の壁画があります。

遺跡のレプリカ
 
考古学博物館のオリジナル

百合の王子という名前は、この美しい若者が百合と孔雀の冠を被り、百合の首飾りを付けているから。左手は縄を持っていて、現地ガイドさんは牡牛を引いていて、これから牡牛飛びの儀式に臨むところだと話していました。でも遺跡で買った本によると引いているのはグリフィンかもしれないと書いてあったし、そもそも、オリジナルでは若者の肌が白いことから男性じゃなく女性なんじゃないかという説もあるそうです。確かにミノア文明のお約束では白い肌は女性でした。要するにオリジナルが一部分しか発見されていないんで、良く分かっていないわけです。でも、綺麗ですね。オリジナルを見ると単なる壁画ではなく、立体的な浮彫壁画であることが分かります。


百合の王子の壁画の先は広い中庭です。

中庭



ご覧のとおり、とても広い中庭です。この広い中庭がミノス文明の宮殿の特徴。クノッソス宮殿だけでなく、ミノス文明の宮殿は、みな広い中庭を持ち、中庭を取り囲む形に多くの建物が建てられているのだそうです。つまり、まず中庭があり、中庭を中心に宮殿がどんどん大きくなっていったというわけです。他の場所や時代では城壁の中に宮殿や中庭を造りますが、ミノア文明の宮殿には城壁というものもありません。外敵が居なかったのでしょうか。

ともかく、まず中庭があったということは、この中庭が非常に重要な場所だったはずです。色々な儀式を行ったんでしょう。有名な牛飛びの儀式も、ここで行われたのかもしれません。



中庭西翼



中庭から宮殿の西側部分・西翼部分の見たところ。ご覧のとおり3階建てになっています。人がたくさんいるところの下・1階部分に柱が立っていますが、ここは玉座の間の前にある控えの間。控えの間に入ると玉座の間を見ることができます。

この宮殿西翼部分は宗教及び政治の中心部だったのではないかと考えられているそうです。

玉座の間

控えの間から奥の部屋を覗くことができます。



写真のような石製の椅子が置かれているのが玉座の間。エヴァンズは、この石製の椅子を祭祀王が座る玉座と考え、ここを玉座の間と名付けました。壁には玉座の両側に向き合う形でグリフィンが描かれています。グリフィンは鷲の頭を持ち、体はライオン、そして蛇の尻尾を持つ神話上の動物。鷲の頭は天空の神を、体のライオンは地上を支配する神を、尻尾の蛇は地下・冥界の神を象徴するのだそうです。植物とともに描かれたグリフィンはレプリカですが非常に美しい。

部屋には玉座を取り囲むようにベンチが設けられ、玉座の前には円形の石製水盤が置かれています。玉座に祭祀王が座り、ベンチに司祭達が座って、清めの儀式をしたのでしょうか。



奥にある扉の向こうには小部屋があって、王の瞑想の間とも宝物庫とも言われているそうです。

更に興味深いことに、玉座の間の左隣は一段低いプールのようになっています。
いったい、何のために、どのように用いられたのでしょう?


不思議な玉座の間

オランダのハーグ国際司法裁判所の裁判長の椅子は、この玉座の間の玉座を模しています。
「ミノス王はこの世で最初の裁判官」と伝えられているからです。
「ミノス王は善政を布き正義を守り、近隣の諸国を武器によらないで来貢させ
勢威が大いに振るった」との古い伝承もあるそうです。
ミノタウロスの神話とは全く別のイメージですね。
遺跡からはこの古い伝承の方が正しいんじゃないか、って感じます。


それにしても、グリフィンの壁画は美しい。


グリフィンは女性を守る形で描かれることが多いことから
グリフィンに左右を守られた玉座に座っていたのは女王・女神官だったとする説も有力なんだとか。


玉座の間の左側の階段を上がると壁画のレプリカが置かれた部屋があります。
その周辺の2階部分は、宗教的儀式を行った場所(左下)
そして、階段を上がらず通り過ぎて、そのまま左に進むと宝物庫(右下)

   


宝物庫では有名な蛇の女神像が見つかりました。
イラクリオンの考古学博物館で展示されています。


ギリシャ神話ではミノス王はゼウスの息子とされますが、実際にミノア文明が栄えていた時代は、まだギリシャ神話はできていません。ミノア文明で牡牛が聖なるものとされていたのは間違いないようですが、この宝物庫で見つかった蛇の女神は豊穣をもたらす大地母神と考えられます。牡牛が男性原理、蛇が女性原理とする説もあるようです。

ただ、ギリシャ神話でテセウスを助けたミノス王の娘アリアドネとの関係は気になります。アリアドネとは「とりわけて潔らかに聖い娘」という意味で、人名というより大地母神系の神号かクレタの女神の尊称ではないかと考えられているそうです。アリアドネはテセウスがアテナに帰還する途中ナクソス島に置き去りにされ、その後、ディオニュソス神の妻となったとされますが、ディオニュソス神の女信徒マイナスは古くは蛇を手に巻きつかせた姿で描かれました。蛇の女神像の姿と似ています。更にアリアドネについてはディオニュソス神の示唆によりアルテミス女神に殺されたという神話もあって複雑怪奇。彼女をめぐっては深い深い歴史の謎が秘められているようです。



中庭東翼

中庭を挟んで東側・東翼部分は王の一族が生活をした場所と考えられています。西翼は3階建てでしたが、東翼は5階となっているところもあるということで非常に複雑な構造となっています。

中庭から見下ろせる場所に赤い柱の並んだ回廊?部屋?がありました。



何階建てなんでしょうか。下にも部屋があります。
 
 綺麗な壁画があるみたい。

近くで見たいけど、中庭からは降りられないようです。

少し進むと、中庭に面した場所が倉庫になっていました。
大きな壺と床に空いた穴・・・この中に金銀銅があったそうです。


この倉庫の入口部分は煤で汚れています。
かって宮殿を襲った火災の跡と言われているそうです。


この倉庫を奥に進んだら扉があったのですが、鍵がかかっていて入れません。
修復中なんでしょうか。扉の隙間から赤い柱と綺麗な壁画が見えます。
さっき見下ろした赤い柱が並ぶ回廊?のようです。


結構、日の光が入っていて、気持ちよさげな空間。

イラクリオンの考古学博物館で、オリジナルを見ることができました。
盾の壁画と言われているそうです。


8の字型の盾はギリシャ本土で興ったミケーネ文明の特徴です。
クレタは紀元前1450年ころミケーネの侵攻を受け、クノッソス宮殿も占拠されました。
もしかすると、そのころの壁画なのかもしれません。


東翼では宮殿の上下水道を見ることができます。
左下は宮殿の雨水を外に流すもの。家畜等に使用されました。
右下は、人々が飲む水道の管。ピントが上の鉄格子に合ってしまいましたが、下の管がそれ。

   


現地ガイドさん曰く、東翼の倉庫跡周辺が迷宮と言われる由縁なのだとか。
なんでも行き止まりの部屋が多いのだそうです。



このまま北に進むと北の入口にでるのですが、
ちょっと戻って 中庭の東側の階段を下りていくと、王の間に出ます。
自由時間に目指してみましたが、かなり道が分かりにくく、ガイドがいないと迷います。
何階もの構造になっているので平面的な地図だと場所がつかみにくい。
自分でも、どの道を進んだのか良く分かりません。さすが迷宮。


王の間

黒い柱が印象的


王の間の左奥が王妃の間です。

王妃の間



王の間に比べると小さいですが、イルカの壁画といい、なんとも明るい雰囲気。イルカの背景を黄色くしたとは、実にセンスが良い。イルカは愛情の象徴なので王妃の間に描かれたんですって。
イルカの他に魚も描かれています。
また、上の写真右端の柱に小さく描かれている女性は「踊り子」と言われています。回転して踊っているので、髪が舞い上がっているんですって。彼女は半袖の服を着ています。

イラクリオン考古学博物館にオリジナルが展示されています。

イルカ
 
 踊り子

王妃の間の左隣には王妃の浴室や更に進むと王妃のトイレがあるのですが、残念ながら修復中
ただ、イラクリオンの考古学博物館に浴槽のオリジナルが展示されていました。

余り大きくはありません
 
 内側に描かれた魚

王の間に戻って先に進むと、そこは双斧の間
ミノア文明のシンボル双刃の斧を飾った場所だったそうです。
正直、地味な場所で特別の場所と気が付きませんでした。


こちらは自由時間にさ迷っていた時に撮った写真


西翼の北側あたりだったかもしれません・・・。
中の柱は階段みたいになってます。本当に興味深い宮殿。


北入口

遺跡の北側に北入口があります。

遺跡の北には海があり、かっては港もありました。港から宮殿に来る場合には、この北入口を使うことになったはずです。
なんでも、宮殿の中で、北入口だけが防御を考えた造りになっているんだとか。

北入口付近の目立つ建物が、右の写真の見張り台。
赤い柱に牡牛の壁画が目を引きます。クノッソス宮殿を代表する建物の一つでしょう。

残念ながら、牡牛の壁画のところに行くことはできません。下をうろうろして、なんとか壁画全体を撮りたいと思ったんですが、柱が邪魔で、良く撮れない。

現地ガイドさんによると金の角を持つ赤い牛がオリーブの木に向かっているところだとか。現地ガイドさんによると、牡牛は権力の象徴だったとのことで、ふ〜んと思ったのですが、遺跡で買った本によると、これは野牛狩りの場面で、野牛は追われて息を切らしているのだとか。権力の象徴を捕まえるというのも王の力を示すものだったのかもしれません。


ここからだと壁画(レプリカ)の全体像が分かるでしょうか。



この壁画もイラクリオンの考古学博物館でオリジナルを見ることができます。
この壁画も百合の王子と同じく立体的な浮彫壁画。
オリジナルの方が、数段、格好良い。

 リアルな牡牛の頭部
 繊細なオリーブの木



北の入口を出て、少し西に進むと劇場と呼ばれる場所に出ます。

劇場



劇場と言われますが、今のような演劇がなされた場所というわけではなく、儀式が行われたと考えられる場所です。石の敷き詰められた広場と、それを取り巻く階段があるだけですが、どうやら階段が観客席で、石敷きの広場で行う儀式を見学したようです。観客席とされる階段は一段一段が結構低い。上の方で王族とか偉い人が見学したんでしょうか。




劇場の近くから立派な石敷きの道が続いています。

王の道

3500年以上前の道と思うと感慨深い。



クノッソス宮殿凄い面白かった。
数階建てなので迷います。まさに迷宮。
こんな遺跡他にはない。
エヴァンズ批判はありますが復元加減もちょうど良かった。
ただ、壁画は全てレプリカなので
イラクリオンの考古学博物館とセットで訪れるのがおススメ。


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参考文献

クノッソス ミノア文明 ソソ・ロギアードゥ・プラトノス著(遺跡で購入した解説書)
古代ギリシャ・時空を超えた旅(2016年東博展覧会図録)
ギリシャ神話 呉茂一著 新潮社
ギリシャの神話神々の時代 カール・ケレーニイ著 中央公論社
図説ギリシャ・エーゲ海文明の歴史を訪ねて 周藤芳幸著 ふくろうの本
図説ギリシャ・神話神々の世界篇 松島道也著 ふくろうの本
図説ギリシャ・英雄たちの世界篇 松島道也・岡部紘三著 ふくろうの本
古代地中海血ぬられた神話 森本哲郎編 文春文庫ビジュアル版
古代ギリシャがんちく図鑑 柴崎みゆき著 バジリコ株式会社

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。