ミケーネ遺跡とティリンス遺跡

ギリシャ神話の英雄たちの時代
ホメロスが謳い、ギリシャ悲劇の舞台ともなった場所
ミケーネ文明の遺跡ミケーネとティリンスを訪れました。
2017年4月訪問

写真はミケーネのライオン門


ミケーネ(ミュケナイ)はトロイ戦争のギリシャ側総大将アガメムノンの都で、ホメロスが「黄金に富む」と謳った場所。神話に過ぎないと言われていたトロイを発見したシュリーマンは、次に、ミケーネを発掘し、アガメムノンのマスクを初めとする数々の黄金製品を発見して「黄金に富む」ミケーネ(ミュケナイ)が事実であることを示しました。ミケーネは紀元前17世紀ころから紀元前13世紀ころに栄えたミケーネ文化の中心的場所だったと考えられています。ミケーネと近くの同時代のティリンスを訪ねました。ティリンスもシュリーマンが発掘した遺跡です。


ミケーネ遺跡

ミケーネ遺跡遠望



ミケーネはアテネの西、ペルセポネソス半島東部に位置します。アテネから車で2時間弱。

ペロポネソス半島東部にはギリシャでは珍しい肥沃な平原・アルゴス平野が広がっています。

アルゴス平野にはギリシャ神話にしばしば名前が出てくるアルゴスやティリンスといった国があったことから、古代から豊かな場所だったと考えられています。

ミケーネはアルゴス平野北辺の山間部の小高い丘の上に位置しています。周囲を城壁で囲んだ防御を考えた造り。ミケーネ文明の前のミノア文明の宮殿が城壁を持たなかったのを考えると興味深い。争いの多い時代だったんでしょう。

右はアテネの考古学博物館にあった遺跡の立体模型。城壁に囲まれた中に王宮だけでなく墳墓、神官の住居、職人の工房などもあります。

左下のライオン門から入り、門の近くの円形墳墓を見てから、遺跡の中でも高台に位置する王宮を見学し、職人の工房を通って裏手の出陣の門や地下貯水槽を見て、北門を見ながら入口付近に戻ってくるというルートで見学しました。


まずは入口のライオン門を目指します。城壁が立派。



ライオン門です。いかにも武骨っていった感じ。



ライオン門の名前の由来となった相対する2匹のライオン


ライオンの頭が分かりにくいですが、上を向いて咆哮している姿でしょうか。


門を構成する石の巨大さには圧倒されます。開口部の高さ3.1m、幅3m。
左右の巨石には穴があって、かっては二重の木の扉があったと考えられます。

外側から見たライオン門
 
大人ではなく 少年ですが・・・石がでかい

右上の写真の少年のそばの窪みには見張り番がいたらしいです。


門を入ると、右手にシュリーマンが発掘した円形墳墓Aが現れます。
円形墳墓Aは周囲を2重の石の壁で丸く囲まれていて、外側の壁からの直径約28m。



シュリーマンは、この円形墳墓Aの中から5基の竪穴墓を発見・発掘しました。

素晴らしかったのが、その副葬品。シュリーマンがアガメムノンのマスクと信じ切った黄金のマスクを初めとする豪華な金製品が全部で14s。銀製品はそれ以上。100本以上の青銅の剣。当時の先進国であったミノア文明のクレタからの工芸品、更に遠くアフリカの駝鳥の卵殻やバルト海沿岸の琥珀といった宝物が盗掘に遭うことなく眠っていたのです。

実際には全部で6基の墓があり、9人の男性、8人の女性、1人の子供が埋葬されていたことが分かっています。


シュリーマンが発掘した数々の副葬品はアテネの国立考古学博物館で展示されています。
有名なアガメムノンのマスク


シュリーマンがトロイ戦争のギリシャ総大将アガメムノンのマスクと信じ切った黄金の仮面。死者を葬る際、顔に被せたマスクですが、実際はトロイ戦争があったとされる紀元前1250年ころよりずっと古い紀元前1550年〜1500年ころのものだと分かっています。


円形墳墓Aは前1550年ころから前1500年ころにかけて使用されました。

そもそもミケーネ文明が興ったのは前1650年ころと考えられています。
ミケーネ文明は、当時の先進国であったクレタ島を中心としたミノア文明の影響を受けながら、徐々に力を蓄え、前1450年ころにはクレタを征服しました。

その後、ミケーネ文明は隆盛し、シチリアやトロイ、更にはエジプトにまで進出するようになります。海外に多くの植民市も建設されました。
トロイ戦争の神話は、こういったミケーネ文明の海外進出の中で起こったことが反映されているのではないかと考えられているそうです。
しかし、前1200年ころ、ミケーネ文明は謎の終焉を迎え、ギリシャはその後のポリス成立まで長い暗黒時代に入ります。

こういった歴史からすると、円形墳墓Aはミケーネ文明初期のものということになります。左は円形墳墓から見つかった牛頭型リュトン。ミノア文明時代のクレタから似た物が多く見つかっています。当時の先進国クレタの貴重な工芸品として王族に喜ばれ、副葬品とされたのでしょう。


黄金のマスクはアガメムノンのマスク以外にも複数見つかっています。
   


副葬品の金製品はまばゆいばかり



金細工の技術も素晴らしい。
   


副葬品の中でミケーネ文明らしいものといえば青銅製の剣でしょう。
クレタのミノア文明ではほとんど見られなかった武具が副葬品として現れます。
獅子狩りの様子が金で象嵌された剣



こちらは鳥が象嵌されています。



このような副葬品とともに眠っていた人たちは、どんな人だったんでしょう。神話によるとミケーネを拓いたのはメドゥーサ退治で有名なペルセウス。ペルセウスはゼウスがアルゴス王の一人娘ダナエに産ませた子で、「娘の子に殺される」という予言を受けて王はダナエとペルセウスを海に流します。成長したペルセウスは神々の助けを借りてメドゥーサを退治するのですが、事故で祖父アルゴス王を殺してしまいます。これを悔やんだペルセウスはアルゴスの王とはならず、ティリンスの王と領土を交換しました。その後、ペルセウスは勢力を伸ばしてミケーネにも王宮を造ったのだとか。ペルセウスの孫の一人でミケーネ王女だったアルクメネにゼウスが産ませたのが有名なヘラクレスだし、ヘラクレスに12の冒険を命じるのはミケーネ王エウリュステウス・・・といった具合に、アガメムノン以外にもミケーネに関わるギリシャ神話の有名人はとてもたくさんいます。これらの神話のモデルになった人々がいたんでしょうか。

円形墳墓Aはできたころ(前1550年ころ)は城壁の外にあり、
その後、前13世紀に城壁が拡張された時に城壁内に取り込まれたのだそうです。
シュリーマンの発掘後、別の円形墳墓Bも発見され、より古い紀元前1600年ころのものとされています。

その後、神官の居住地などを見ながら、遺跡を登って行きました。

 神官の居住地
 高い場所からは城壁が目に付きます。


登り切ったところが王宮



遺跡で最も高い場所に王宮は位置します。
中に入れないので分かりにくいですが・・・

まず、手前に大きな広間のような部屋があって、その先に3つの部屋が並んでいます。3つの部屋は手前から控えの間(ポーチ)、次が前の間、一番奥が王の居室。このように3つ部屋が続く様式をメガロン様式といいます。

上の写真で、奥の方に屋根が見える場所が一番奥の王の居室。王の居室には、かって部屋の中央に炉があり、それを4本の柱が取り囲む形をしていました。炉の火は常に絶やされないようにされていたそうです。
右の写真は現地ガイドさんが見せてくれた王の居室の復元図。炉の上の屋根に通気口が開けられていたものの窓はなかったそうです。

王の居室の炉は聖なる炉とされていたようで、ミケーネ文明特有のものです。

ちょっと違う方向から撮ってみました。王宮内は立入禁止なので写真を撮るのも難しい・・・。

聖なる炉があった部屋と手前の2つの部屋
 
 3つの部屋の手前の大広間

王宮内に入れないので、実際の広さは分かりませんが、ぱっと見た限りではミノア文明のクノッソス宮殿に比べて、ミケーネの王宮はずっとずっと小さい。クノッソス宮殿では宗教儀式を行った場所や王の居住空間、更には多くの倉庫があって、宮殿の構造が全く違うので比べる話ではないかもしれませんが・・・。それにしても開放的で平和的だったミノア文明のクノッソス宮殿に比べ、防御を考えたミケーネ文明の宮殿は華やかさには欠ける気がする。そういえば壁画もないし・・・と思ったら、アテネの国立考古学博物館の下の壁画は、この王宮から出たものだそうです。

王宮に仕える女官でしょうか。ミノア文明の影響を感じますが、硬い印象。


王宮の王の居室の近辺には小さい部屋もたくさんあるので、現地ガイドさんが「ここがアガメムノンが殺害された浴室だ」ってやるかと期待してたら・・・やりませんでした。アガメムノンは10年ものトロイ遠征から帰還して間もなく、妻クリュタイムネストラと不倫相手のアイギストスに殺害されます。帰還の宴会の席での殺害だったとも、浴室で網の様な布をかぶせられ、抵抗できないようにされて殺されたともいいます。父が殺されたことを知った娘のエレクトラは幼い弟オレステスを逃がし、オレステスが成長すると父の仇である母とアイギストスに復讐をさせるのですが・・・・悲劇作家アイスキュロスは母クリュタイムネストラが胸をはだけ乳房を見せて、お前を養い育てた母を殺すのかとオレステウスに訴えたと描きました。アガメムノンの一族の悲劇は胸がつまります。実はクリュタイムネストラの不倫相手アイギストスの父はアガメムノンの父の弟で、互いの父の代も、ミケーネ王の地位を廻って地で血を洗う熾烈な争いを繰り広げていました。なんと3代に渡る争いです。


炉があった部屋の裏手に回り込んでみると、王宮の下は断崖絶壁です。
とことん防御を考えた造りのようです。



王宮の裏手を下って行きます。職人の工房とのことですが、何が何やら・・
ただ、お花が綺麗。4月に訪れたおかげで野草が満開でした。


緑が豊かなのはこの時期だけなんだそうです。

更に下って行くと、城壁に小さな出入口が開いています。これは出陣の門(裏門)
戦いの時ここから出たそうですが、この大きさだとこっそりとしか出られませんよね。
奇襲攻撃用の門なんでしょうか。
 
 


出陣の門の近くに面白いものがありました。



三角形に石が積まれたトンネルのような構造。
ミケーネ時代は、まだアーチがありませんから、こういった三角形に石を組みます。

なんでしょう。1つではなく、いくつもあります。
出口とか抜け道かと思ったら、これはなんと地下貯水槽への入口。この下が貯水槽になってるんですって。

籠城の時とかのためなんでしょうか。なんでも階段がず〜〜っと続いていて、下りて行っても真っ暗になるだけとのことでしたが、行く人もいるみたいです。というか、ちょっと下りて見たかった気がする。 
 解説図

籠城用の貯水槽とか、奇襲攻撃用としか思えない門とか・・・
なんというか、日本の戦国時代の山城とか砦といった感じ?

ここから入口に戻ります。途中、見ることができるのが、こちら。


北門



小さな門ですが、石組みはしっかりしてます。アガメムノン殺害後、娘のエレクトラが弟を逃がしたのはこの門なのだとか。そう言い伝えられるのも分かる何とも言えない風情がありますね。


これにてミケーネ遺跡の観光終了
次は近くのアトレウスの宝庫。
車に乗ったと思ったら、あっという間にアトレウスの宝庫に着きました。


アトレウスの宝庫

観光客で賑わうアトレウスの宝庫



アトレウスとはアガメムノンの父親の名前。かってはアガメムノンの父の宝庫だったと考えられたものの今ではこれもミケーネ時代の墓だったことが分かっています。ミケーネ遺跡の中の円形墳墓より新しいもので、紀元前1250年ころ、もしくは紀元前1300年代初めのころのものとされているようです。前1250年ころだとしたらトロイ戦争があったと考えられている時期のものになりますね。観光客が凄いので少し後ろに下がってみたら、丸い丘みたいになっているのが分かりました。

この墓はトロス墓と呼ばれます。右は遺跡の説明図。
円錐形の石組みの構造物トロスと、トロスに通じる通路、そして、トロスの更に奥に埋葬室が造られました。この石組みの上に土が盛られたので、丘のように見えるわけです。ちょっと日本の円墳に似てますね。横穴式円墳?

アトレウスの宝庫はトロス墓の中でも石組みの見事さで有名で、ミケーネ文明の石組みの素晴らしさを示すものと言われています。

トロス部分の天井は蜂の巣型ドームと呼ばれる見事な石組みで有名ですし、トロス墓は土の重みで潰れないような工夫もされています。


前のグループがトロスの中に入ったところで撮りました。通路部分は36mの長さ。
整った石組みが見事。





トロスの入口上部には三角形の開放部がありますが、これは石の重みを分散するための工夫。
そして、驚かせるのが入口天井の巨大な一枚石。この入口の天井石はなんと120トンの大きさ。

   


トロス部天井。直径14.6m。33層に石が組まれています。


武骨な印象を受けるミケーネですが、石組みの見事さには圧倒されます。



ティリンス遺跡

車窓から見たティリンス遺跡


ミケーネ遺跡と同時代のティリンス遺跡。ミケーネ遺跡の南約20qのアルゴス平野の中にあります。アルゴリス湾に面したナフプリオンの町の郊外、町から北に約4qの位置にあって、海にも近い平野の遺跡。ミケーネと違って知名度は低いし、訪れる人も少ないですが、実はミケーネは単独の世界遺産ではなく、このティリンスとともに世界遺産になっているのです。泊まったホテルがナフプリオンの郊外でティリンス遺跡に近く、しかもツアーの出発が遅かったので、出発までの時間を利用してティリンス遺跡に足を伸ばしました。

朝8時に遺跡が開くのを待って一番に入りました。
ティリンスの城壁の石はミケーネより大きい気がします。凄い迫力。


他の観光客がほとんどいないので、比べる対象がないんですが、ともかく一つ一つの石が大きい。
ミケーネ文明は前13世紀に入ると巨石による城壁を築き始め、後世の人は、その石の巨大さから人間ではなく神話上の一つ目の巨人キュクロプスが造ったものだと考えました。このような言い伝えから「キュクロプス式城壁」と呼ばれるのですが、ティリンスの城壁はまさにその代表でしょう。ティリンス王がリキュア(現在のトルコ南岸)からキュクロプスを連れてきたという伝承もあるそうで、そういった伝承からもかってのティリンスは只者ではない気がします。


入口の門でしょう。保存状態は悪いものの巨大な石が置かれています。
この入口の石にも横に穴があり、ライオン門のように、かっては木の扉があったのでしょうね。



王宮。ミケーネ遺跡と同じく3つの部屋から成るメガロン様。手前には大広間があります。



ミケーネと同じ世界遺産なのに、観光客はほとんどいないし、遺跡内の地図も風雨にさらされて読めません。おまけに遺跡内に案内文・説明文は全くなし。
でも、ティリンスはギリシャ神話のペルセウスが治めた国であり、英雄ヘラクレス誕生の地との伝承もある場所(テーベで生まれたとの説が有力ですが)。ヘラクレスはゼウスとアルクメネの間の子とされますが、アルクメネはペルセウスの孫でミケーネ王女、そして夫はやはりペルセウスの孫でティリンス王子アムピトリュオン。ゼウスは2人の夫婦仲が良かったことから、アルクメネの夫に化け、彼女を騙して関係を持ったとされます。誕生したヘラクレスは二人によって育てられました。
・・・ということはティリンスの王宮はヘラクレスの人間のお父さんの実家にあたるわけなのです。
だから、本当は古代ギリシャで極めて重要な場所の1つだったはず・・・・。もう少し整備して欲しいものです。ミケーネと違って王宮内を自由に歩き回れるのが嬉しいところではありますが。ただ、ここでは残念ながら聖なる炉は残っていません。建物の基礎しか残っていない遺跡から往時の姿を偲ぶのは難しいですが、実は、この王宮からは興味深い壁画が数多く残っています。



アテネの考古学博物館ではミケーネ遺跡からの出土品とともに、ティリンス遺跡から発見された壁画も展示されています。

右はティリンスの王宮から発見された女性像。ティリンスのパンフレットの表紙も彼女でした。

ミノア文明の影響を色濃く伝える女性像です。
彼女の胸が見えてますが、クレタのクノッソス宮殿から発見された蛇の女神像も胸を露わにしていましたし、ミノア文明の影響下にあったとされるサントリーニ島のアクロティリ遺跡から発見された壁画の女性も胸を露わにしています。
ミノア文明の胸を露わにした女性たちは女神もしくは女官ではないと言われていて、もしかすると右の彼女も同じかもしれません。
また壁画の上部にある装飾も極めてミノア文明に似ています。

ただ、女性の静かで物思いにふけるかのような表情はティリンス独自のもののように思えます。
明るいミノア文明とは違う、なんとも言えない表情が実に魅惑的。


 美しい女性たち
 クレタそっくりの牛飛びの図


他方で、実にミケーネ文明らしい壁画も見られます。

左の壁画もティリンスの王宮から発見されたもの。
ご覧のとおり、馬が引く戦車に乗っています。

戦車は当時西アジアから地中海世界にかけて大流行した最先端兵器。ミケーネ文明では「戦い」というものを色濃く感じます。

クレタを中心に栄えたミノア文明では王は「近隣の諸国を武器によらないで来貢させ勢威が大いに振るった」とされ、王宮も城壁を持たない開放的な造りでしたが、ミケーネ文明では戦争が多く、王は武力で権威を示すしかなかったのでしょう。王宮がキュクロプス式城壁で囲まれているというのも、よっぽど防御を重視しないといけない社会情勢だったのでしょうね。

ギリシャ神話というと神々のロマンスが有名ですけど、英雄はみんな勇猛果敢な戦士だし、戦いの神話が非常に多い。これもミケーネ時代の記憶が反映されているのではないでしょうか。

猪狩りの壁画も面白い。ミケーネの戦士の兜は猪の牙で作られていて、多くの猪を倒す必要があったそうです。


馬と・・・ロバ?
 
 猟犬を使っての猪狩り


最後にティリンス遺跡で一番見たかったトンネル
実際には倉庫だったのではないかと考えられているそうです。
巨石を組み合わせたトンネルの迫力は物凄かった。
中に入りたかったけど、石が崩れたら一瞬でお陀仏でしょう。



武骨という印象のミケーネ文明
迫力ある巨石の石組みに圧倒されます。

前1200年ころ、ミケーネ文明の宮殿は破壊され
以後、ギリシャは前8世紀ころのポリス誕生まで長い暗黒時代に入ります。
トロイ戦争で疲弊したからとも、海の民の侵入によるとも言われますが
ミケーネ文明終焉の理由は明らかになっていません。


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参考文献

古代ギリシャ・時空を超えた旅(2016年東博展覧会図録)
ギリシャ神話 呉茂一著 新潮社
ギリシャの神話・神々の時代 カール・ケレーニイ著 中央公論社
ギリシャの神話・英雄の時代 カール・ケレーニイ著 中央公論社
図説ギリシャ・エーゲ海文明の歴史を訪ねて 周藤芳幸著 ふくろうの本
図説ギリシャ神話・神々の世界篇 松島達也著 ふくろうの本
図説ギリシャ神話・英雄たちの世界篇 松島達也・岡部紘三著 ふくろうの本
目で見る世界七不思議の旅 森本哲郎編 文春文庫ビジュアル版
古代ギリシャがんちく図鑑 柴崎みゆき著 バジリコ株式会社

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。