ミストラ遺跡

スパルタ郊外に位置するミストラ
山の斜面に広がるビザンティンの都市遺跡
ビザンティン帝国が最後の輝きを見せた場所です。
2017年4月訪問

写真は遺跡内に残る廃墟


ミストラはペロポネソス半島南部、古代スパルタが栄えた場所にほど近いタイゲトス山の斜面に建設された城壁都市です。
遺跡入口の駐車場から見上げると、タイゲトス山の頂上付近に城塞が見えます。

ミストラの歴史は13世紀初頭に十字軍のフランク族のギョーム2世が砦を築いたことに始まります。山の頂上の城塞がそれで、ミストラで最も古い建物。ギョーム2世は王宮も建てました。
その後13世紀末にミストラはビザンティン帝国の支配下に入ります。

ビザンティン帝国下でミストラは地方総督の本拠地とされました。14世紀に入ると城壁が築かれ、街の建設が進みます。この時、古代スパルタの石材が多く使われたため、古代スパルタ遺跡はほとんど残っていないのだとか。

14~15世紀には、ミストラは政治・文化の中心地として繁栄し、「オリエントのフィレンツェ」と呼ばれるほどとなります。
首都コンスタンティノポリスがオスマン帝国の攻撃で弱体化していたこともあって、ミストラは繁栄を謳歌することとなったのです。

ビザンティン帝国最後の皇帝となったコンスタンティノス11世はミストラで即位しています。


ビザンティン帝国滅亡後もミストラは滅ぶことなく、オスマン帝国、一時はヴェネツィアの支配を受けながらも存続・発展していました。

しかし、1825年、ギリシャ独立戦争の際、オスマン帝国のアルバニア軍による徹底的な攻撃を受け、ミストラは廃墟と化します。現地ガイドさんが「この時、カトリックが援軍を出してくれなかったんだ」と恨みがましく語っていました。

徹底的に破壊された街は放棄されます。
ギリシャは独立後、ミストラを史跡に指定し、1989年には世界遺産登録となりました。ミストラの世界遺産登録はオリンピアと同時で、アクロポリス等には及びませんが、かなり早期の世界遺産登録となっています。
現在は、メテオラは世界各地からの観光客で賑わっています。山の斜面に遺跡が広がることから、麓から登ってくる観光客もいれば、逆に上から降りて行きながら観光する観光客もいます。
根性なしの我々は、上から降りながら観光するルートをとりました。山の上に向かう途中、頂上付近の城塞や中腹の城壁が見えました。

山の上から、いよいよ観光開始。

山の斜面に広がる城壁都市ミストラは大きく3つのエリアに分かれています。遺跡にあった案内図を元に地図を作ってみました。

まず一番上、頂上付近にあるのが監視目的の城塞。
次が王族や貴族が住んだエリア。
出入口はナフプリオ門とモネンヴァシア門のみ。城壁で囲まれて他のエリアと分かれていました。
そして、モネンヴァシア門から下には多くの教会や修道院。後に街づくりが進むと多くの人々が住むようになりました。いわば一般人の居住区。
このエリアも城壁で囲まれており、ミストラは幾重にも城壁が囲む都市だったわけです。

城塞は下から見上げるだけにして、ナフプリオ門から降りていきます。

ナフプリオ門



この先が門。門の先は王族や貴族の居住地。
かっては鉄格子の門扉がありました。


アギア・ソフィア教会

ナフプリオ門から少し進むと、アギア・ソフィア教会が見えて来ます。



正面から見たアギア・ソフィア寺院


アギア・ソフィア教会は14世紀後半に建てられた教会。ビザンティン帝国の支配下で建立された教会で、ビザンティン様式のものです。王族・貴族の居住地にあることからも分かるように、かっては宮殿付属の教会という性格が強かったようです。鐘楼がありますが、オスマン帝国支配下では鐘楼はミナレットにされたんだとか。教会もモスクにされたんでしょうね。

教会内の壁画


この教会には、壁画が結構残っています。
キリストや弟子たちといった定番の壁画も残っているのですが、現地ガイドさんが強調したのが、聖母マリアの誕生と亡くなった時の壁画。

上の壁画は聖母マリア誕生の場面。聖母マリアは上の壁画左側に描かれています。赤ちゃんの聖母マリアを撮ってみました。左の写真がそれです。
キリストの母、聖母マリアは父イオアキムとアンナの間に生まれました。二人はなかなか子に恵まれず、そのため辱めも受けたため、神に祈った結果、マリアが生まれたのだそうです。


落剝が激しいですが、マリアが亡くなる場面
 
 ドーム部分のキリスト


ビザンティンの絵画は平板で動きや表情に乏しく、表現がステレオタイプとも言われます。
でもそれは、彼らが絵画に現実社会ではなく、崇高で霊的な存在を描こうとしたから。


聖母子


アギア・ソフィア教会には人を葬った跡も残っています。貴人を葬ったんでしょうね。


アギア・ソフィア教会のそばには廃墟となった建物がたくさんあります。
かっては、どんなに立派な建物が並んでいたんでしょう・・・

   


廃墟を見ながら下りていくと、教会に出ます。

聖ニコラウス教会




現地ガイドさんに、何も残ってないよ、と言われたのですが
それでも壁画が残ってました。



このあたりから王宮が良く見えます。

王宮



王宮は修復中で中には入れなかったのですが、現地ガイドさんによるともうすぐ修復が終わり、公開されるとのことです。この王宮はL字型をしていて、13世紀にフランク族のギョーム2世によって造られた部分、ビザンティン帝国時代の14世紀に造られた部分、同じくビザンティン帝国時代の14世紀から15世紀に造られた部分からなっているのだそうです。上の写真だと右側手前の屋根が残っていないのが13世紀、その先が14世紀、左側の下がアーチとなっているのが14~15世紀に建てられたもの。13世紀の部分は窓が小さいのが特徴ということでした。ビザンティン時代の王宮というのは他に残っていないとのことで、この王宮は非常に貴重な存在だそうです。


 王宮の入口近くから
13世紀の部分が良く見えました。
 王宮そばの風景
なんともいえない風情がありますね。


山道を下りていくと、門に出ます。

モネンヴァシア門



王族・貴族が暮らしたエリアと一般人が暮らすエリアを分ける門です。
門は二重になっていて鉄格子が降りるようになっていました。


パンタナサ教会

モネンヴァシア門から、そのまま下りていくルートもあるのですが、横に進んでパンタナサ教会に立ち寄りました。

4月のミストラは桃色のハナズオウの花が咲き誇り、とても美しい。
ハナズオウの花の中に教会の鐘楼が見えて来ました。

パンタナサ教会は15世紀に建立された聖母マリアを記念した尼僧院。
ミストラで唯一現役の教会で、今も尼僧達が暮らしています。私たちが訪れた時はお菓子(ルクミ)を出してくれました。尼僧たちが作ったアクセサリーやテーブルクロスも売っています。

パンタナサ教会の特徴はイタリアの影響が認められること。

保存状態の良い壁画は色調が明るく、人間描写に優れ、後のイタリア・ルネッサンスのはしりともされているそうです。
また、建物自体にもビザンティン様式とは違うイタリアの影響が認められるということでした。


明るい教会内部。壁画も明るく綺麗。黄色系の色調が目を引きます。



美しい壁画。
アギア・ソフィア教会と比べると確かに人物の描き方が自然なものとなっている気がします。
   


保存状態が悪い入口付近の壁画も美しかった。



教会外壁の美しい飾り。これもイタリアの影響。



猫さんもたくさんいました。凄くお腹が空いてるみたい・・・。


尼さんたち、質素な生活してるから、猫もお腹空いてるのかなあ・・・
尼さんの作ったもの、何か買えばよかったのか・・・


元来た道を戻ってから、今度は下の町に降りていきます。


聖ディミトリオス教会(メトロポリス)




聖ディミトリオス教会は山の下の方に位置するのですが、ミストラでは非常に重要な教会でした。下の方だから単純に庶民地区というわけでもないようです。
まず、大きい。多くの建物からなっています。かっての僧坊は博物館になっていて、ミストラの墓地から発見された王女の髪の毛や洋服も展示されていました。

しかし、この教会の何よりの特徴は府主教座が置かれていたということでしょう。
ミストラはビザンティン帝国で地方総督の拠点とされましたが、ビザンティン帝国では地方総督は専制公という爵位を持ち、その地方を統治していました。ギリシャ正教の聖職者の位を説明するのは難しいですが、府主教座というのはその領土内で最も上位に位置する教会といって良いと思います。

ミストラの専制公は専制公の中でも非常に力を持っており、ビザンティン帝国最後の皇帝でミストラで即位したコンスタンティノス11世も、即位前はミストラの専制公でした。

教会内部にはビザンティン帝国の国章である双頭の鷲のレリーフも残っています。

双頭の鷲のレリーフ



1449年にミストラで即位したコンスタンティノス11世は1453年5月29日戦死します。
彼は親衛隊とともにオスマンの大軍の中に突入し二度と戻りませんでした。
双頭の鷲の紋章を破り捨てて突撃したのだそうです。
彼に子供がなかったことから、ビザンティン帝国は滅亡します。

ミストラはビザンティン帝国とともに滅んだわけではないのですが
ビザンティン帝国最後の輝きを見せた場所と言えるようです。


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参考文献

図説ギリシャ・エーゲ海文明の歴史を訪ねて 周藤芳幸著 ふくろうの本
生き残った帝国ビザンチン 井上浩一著 講談社学術文庫
古代ギリシャがんちく図鑑 柴崎みゆき著 バジリコ株式会社

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。