タージ・マハル

北インドのアーグラにあるタージ・マハル
世界中の人々が訪れる美しい世界遺産。

2005年12月訪問


タージ・マハルは一見すると宮殿のように見えますが、実はムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの愛妃ムムターズ・マハルのお墓です。
シャージャハーンはムムターズを超溺愛し、戦場にも連れて行くほどでした。しかし、遠征先でムムターズは14人目の子を産み、36歳の若さで亡くなります。悲嘆にくれたシャー・ジャハーンが22年の歳月をかけて作ったお墓が、このタージ・マハル。1632年に造り始めたといいますから、完成したのは1655年でしょうか。

亡くなる前にムムターズが「私のために世界で一番綺麗なお墓を造って頂戴」と言ったという話もあります。「ムムターズ・マハル」が縮まって「タージ・マハル」になったらしいのですが、確かに世界で一番綺麗なお墓でしょう。

タージ・マハルは16世紀にムガール帝国の都となったアーグラにあります。アーグラは市内にアーグラ城、郊外にファテープル・スィークリーと多くの世界遺産がある街で、タージ・マハルは市内を流れるヤムナー河のほとりにあり、アーグラ城からもかすかに見ることができます。

タージマハルは排気ガスで汚れてきているということで、保護のため、車では近寄れません。

2005年の時点では少し離れた駐車場から電気バスに乗り換えて移動することになっていました。

アグラ城から電気バスの駐車場まで車で20分くらい。電気バス以外に、馬車やらくだ車(?)でも行けるらしく、いっぱい客待ちをしていました。

いよいよタージ・マハルと思いますが、写真に撮る勇気はありませんでしたが、ここでは足が萎えた物乞いが四つんばいで・・・凄まじい勢いで寄ってきます。しかも、何人も何人も。

かなり辛いのですが、インドの現実でもあります。ちょっと暗い気持ちで電気バスに・・・。

電気バスに乗るとあっという間に入口です。しかし、タージ・マハルの入口は厳重警戒で、結構入るのに時間がかかりました。なんせ、電池が入ったものやライターは一切持ち込めません。入口でのチェックはかなり厳しく、2005年には携帯電話も取り上げられました。


入口からしばらく歩くと、茶色と白の正門が見えてきます。
そして、正門をくぐると、いよいよタージ・マハルの美しい姿が見えてきます。





タージ・マハルを貫く美意識は徹底した左右対称です。正門からタージ・マハルまでは水路・泉が設けられており、これも左右対称。

そして、タージ・マハルの向かって左にはモスクが、向かって右には左のモスクそっくりの建物が建てられています。左右対称を崩さないように、わざわざ同じ形の建物を置いているわけです。
下の写真は入口を入ってすぐの場所から撮ったもの。正面のタージ・マハルの左右にあるモスクの頭部分が木々の上から見えると思います。




正門からタージ・マハルを見たところと(左下)
タージ・マハルから正門を見たところ(右下)です。

   


タージ・マハルの前には泉池が設けられていて東西南北に水路が通されています。これはコーランに出てくる天国の4つの川を模したものなのだそうです。水路に写るタージ・マハルも美しい。

タージ・マハルの周囲にある4つの尖塔はミナレット。ミナレットは本来モスクにつきものの礼拝を呼びかけるための塔ですが、ここではモスクではなく霊廟を取り囲む形で置かれています。このミナレットがタージ・マハルの安定感を生んでいるということですが、難しい話はともかく美しい。





タージ・マハルは白い大理石で作られており、これはジャイプールから取り寄せたものだそうです。

近づくと、タージ・マハルの細かい装飾が見えてきます。細かい花模様の象嵌には翡翠・水晶は中国、トルコ石をチベット、サファイアをスリランカ、アメジストをペルシャ・・といったように諸外国から取り寄せた貴石を使っているということで、ムガール帝国の財力を物語ります。
タージ・マハルが造られたころ、ムガール帝国は絶頂期にあったということですが、さすがにこの霊廟造営により国庫が傾いたとか・・・。

   


細かい装飾は繊細で見事です。この装飾がタージ・マハルの美しい白さを引き立てていますが、なんとシャー・ジャハーンはヤムナー河の対岸にタージ・マハルと同じ形の自分の霊廟を黒大理石で造り、タージ・マハルと橋でつなぐことを計画していたというのですから驚きます。

しかし、タージ・マハル完成後、息子アウラングゼーブによって王はアーグラ城内に幽閉され、その計画はかないませんでした。シャー・ジャハーンは死ぬまで城から出られなかったそうです。

   


シャージャハーンの死後、アウラングゼーブ帝によって、シャー・ジャハーンの棺はムムターズの棺の隣に置かれたため、墓所だけはタージ・マハルの完璧な左右対称が破綻してしまいました。国王夫妻の棺が置かれた場所だけが完璧さを欠いたというのは皮肉な話です。

墓所内部の喧騒ぶりは凄く、東京の通勤列車なみの混雑ぶりでした。警備の人が笛を吹いたり、うるさいうるさい。これではムムターズもシャー・ジャハーンもうるさくてしょうがないでしょう。


外に出て周囲を散策してみました。霊廟の左右にあるモスク(左下)は茶色と白の建物です。ヤムナー河を見下ろすこともできます。対岸に黒い霊廟があったら・・・凄かったでしょうねえ。


   


モスクから見たタージ・マハル




周囲の庭園はかなり広々としています。





ベナレスのヒンズー大学にある美術館に、ムムターズの小さなミニアチュール(細密画)がありました。ペンダントヘッドにでも入れていたのかと思うくらいの凄い小さな肖像画。王の持ち物だったのでしょうか。タージ・マハルの主は、ご覧のとおり、可愛い系の美人です。元々はペルシャ系の重臣の娘だったとか。幼いころに少年だったシャー・ジャハーンに見初められたのだそうです。

彼女の肖像画の隣には旦那さんであるシャー・ジャハーンの肖像画もあり、どちらかというと痩せ顔の王様でした。
ちょっと意外だったのは、シャー・ジャハーンという王様は決してオンナにうつつを抜かすタイプではなく、実は政治にも力を注いだし、遠征も繰り返して領土も広げた立派な王様なんだそうです。

彼の時代がムガール帝国絶頂期というのは、決してご先祖様のご威光ではなく、彼自身の頑張りにもよるわけなんですね。

それを聞いてしまうと、晩年、幽閉されてしまったのがかわいそうになりますが、タージ・マハルの凄さを見ると、これと同じものを今度は黒大理石で作ると言われたら、思わず幽閉したくなる息子の気持ちもちょっとわかります。

あと、シャー・ジャハーンを幽閉したアウラングゼーブ帝の名誉のために付け加えておくと、彼のお墓は遺言により、信じられないほど質素なものになっています(大理石の石があるだけ、といってもいいくらい)。彼のお母さんはムムターズだそうで、息子としては、色々と複雑だったのか、自分のお墓は極端に質素なくせに、妻にはタージ・マハルのミニチュア版みたいなお墓を建てています(アウランガバードにあるビービー・カーマクバラー)。



最後にアーグラ城から、かすかに見えるタージ・マハル。
晩年幽閉されたシャー・ジャハーンはタージ・マハルを眺めて過ごしたと言います。





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参考文献

世界遺産を旅する8(近畿日本ツーリスト)