イスファハン

イラン高原のほぼ中央に位置するイスファハン
モンゴル・ティムールという異民族の支配から脱したペルシャ人が築いた美しい都
かって「世界の半分」とも言われた美しい世界遺産です。
2003年12月訪問

写真はシェイクルトフォラーモスク(マスジェデ・シェイフ・フォッラー)入口


イスファハンは歴史の長いイランでも古都に属する街です。紀元前6世紀ころからの歴史があり、後7世紀ころにはアラブの野営地として、その後はシルクロード交易の要衝の地として栄えます。モンゴル軍・ティムール朝と異民族による支配も受けますが、16世紀にティムール朝が滅ぼされてペルシャ人によるサファヴィー朝が開かれると首都とされました。サファヴィー朝の首都となった後、壮麗な街並みが作られ、その美しさから「イランの真珠」「世界の半分」とも称される世界遺産となっています。ペルシャの美意識に満ちた街です。



金曜モスク

最初に訪れたのは金曜モスク



金曜モスクというのは、その街で一番重要なモスクのこと。だから、どの街にも金曜モスクがあります。イスラム教では金曜日が安息日でお祈りをする日だからでしょう。


イスファハンの金曜モスクは、この街で最も古いモスク。

もともとは拝火教の神殿だった場所に建てられたのだそうです。古くから聖地とされた場所なのでしょう。

創建は8世紀にさかのぼるというから凄いですね。

イラン・イラク戦争のときにミサイルが飛んできて壊された場所もあるそうですが、既に綺麗に補修されていました。

ガイドさんに言わせると、ここのモスクは古いだけあって、タイルも昔の技法で貼られたところがあるのだそうです。

と言われてよく見ると、確かに模様を焼き付けたのではなく、タイルを切ってモザイクみたいに模様を作っているのがわかります。

ということで写真を撮ったのが右。

真ん中の部分、黄色と青で模様が作っているところなんかが分かりやすいと思うんですが・・・・どうでしょう? 


モザイクが綺麗です。

   

ここで綺麗、きれい、キレイと写真を撮りまくっていたら、ガイドさんに笑われました。
ここで騒いでたら、後(イマーム広場)がもたないよ、とのことです。期待感が高まります。




ヴァーンク教会

お次はアルメニア人地区にあるヴァーンク教会。

イスファハンを首都としたサファヴィー朝は諸外国との貿易にも力を入れ、アルメニア人の商人や技師がこの地区に移り住んできたのだそうです。

この教会はキリスト教徒であるアルメニア人のために作られたもので、17世紀の創建。

キリスト教徒が多いせいか、ここらへんはスカーフをしていない女の人が歩いてたりします。

年末で、今夜は新年を迎えるミサがあるらしく、教会も飾り立てていました。

教会内部は写真撮影禁止でしたが、ここの教会内部の壁画は壮観です。
最後の審判などの壁画は独特のタッチで描かれていて一見の価値あり。

それと流れる教会音楽の素晴らしさ。
アルメニアの教会音楽というのは、詳しい人たちの間では有名なのだそうです。

更に、ここには博物館もあって、トルコによるアルメニア人虐殺を訴えるコーナーなどもありました。


左下は教会入口のモザイク。受胎告知でしょうか。
右下は教会外観。
   




40柱宮殿



40柱宮殿といっても実際の柱は20本。池に映る柱の姿を入れて40本というわけ。洒落てます。ここはサファヴィー朝の迎賓館として17世紀に建てられた宮殿。
正面が白く輝いているのは鏡が貼られているから。もともとは全ての柱にも鏡が貼られていたそうです。建物入口のホールのところには獅子の口から水がでる仕掛けになっている噴水池もありました。


この宮殿、迎賓館だっただけのことはあり、中は絢爛豪華。下の写真は壁というか天上部分。
光り輝くというか・・・豪華絢爛なんですが、それを上品にまとめあげたところが、なんともいえず凄い。かなりの色が使われているのだけれど、決して下品になっていません。どことなく女性的というか・・・。華麗な少女趣味という印象も受けます。

   


ホールには6枚の壁画が飾られていました。3枚は戦闘シーン、3枚は宴の様子となっています。
近隣のオスマントルコ・ウズベク・インドとの戦闘と宴を描いているのだそうです。
左下はインドとの戦闘シーン。象とかが入り乱れていて、かなりの迫力です。右下は宴の様子。

   

他にも、この宮殿には中国の影響を受けたらしい人物画や、妻が戦争に行った夫を思って流す涙をためる涙壷(そんなものにだまされるんじゃないっ!て思うのは女性陣の共通の意見)なども飾ってありました。シルクロードを通して、ペルシャにも中国の影響が来ているのだそうです。言われてみれば納得ですが、いつも東の端の視点でいるから、結構、新鮮な指摘だったりします。 




イマーム広場

いよいよイスファハン観光の華、イマーム広場。
またの名はナグシェ・ジャハーン(「全世界の図」)広場
   

ここはサファヴィー朝のアッバース1世が作った広場で、縦510m、横163mの四角い広場を回廊が取り囲み、イマームモスク(マスジェーデ・イマーム)、シェイクルトフォラーモスク(マスジェデ・シェイフ・ロトフォッラー)、アリカプ宮殿、バザールがそれぞれ四方に配置されています。中央の広場では、かってはポロ競技も行われたとか。今では観光客用の馬車が広場を回っています。


アリカプ宮殿

広場西側中央に位置するのがアリカプ宮殿


アリカプ宮殿はアッバース1世が迎賓館として建てた2階建ての宮殿に、2世がバルコニーなどを増築したもの。一見すると3階建てのように見えますが、実は6階建てになっています。

広場に面するバルコニーからは広場で行うポロ競技を王族達が観戦したのだそうです。しかも、このバルコニーには池まで設けられています。3階部分に池を作るということは、かなりの技術が必要だったはず。更に、内部の装飾は、ひたすら華麗です。


バルコニー部分に描かれていた宮廷の女性像。
イスラムの女性も王宮の中ではチャドルを脱ぎ、華麗に装っていたんですね。
ちょっと東洋風の印象。
   


他にも、壁や天井も見事。
左は鳥が描かれた壁、右は6階の音楽の間の天井。音響効果があるのだそうです。

   



シェイクルトフォラーモスク(マスジェデ・シェイフ・フォッラー)

広場東側中央に位置するのが、この美しいモスクです。


シェイクルトフォラーモスク(マスジェデ・シェイフ・フォッラー)は、アルカプ宮殿の向かいに位置する王室専用のモスク。王室の女性達が人目に晒されることなくモスクに行けるように王宮から通じる地下道もあるとか。王族専用なので、大きさはそれほどのものではないけれど、タイルの美しさは絶品。小さいのに完成に17年間もかかっているというモスクです。ミナレットがないのも珍しい。

左はアリカプ宮殿から見たモスク。右は入口のタイル。
   
このモスク、ドームはベージュ色ですが入口の部分は見てのとおり青が基調。


入口を正面から見たところ。



モスク内部。左は通路。右はドーム天井。
   


内部はフラッシュ禁止だし、少し暗いのですが、タイルの見事さにはため息がでるばかり。




綺麗、凄い、という言葉しか出てきません。





イマーム・モスク(マスジェデ・イマーム)

イマームモスク(マスジェデ・イマーム)はイマーム広場の南側にある巨大かつ壮麗なモスク。


上の写真はアリカプ宮殿から撮ったもの。ご覧の通り、このモスク、入口から45度ほど斜めのところに建てられています。これはメッカの方向を向いているから。それにしても大きなモスクです。
アッバース1世が1612年に着工を命じ、完成したのは26年後の1638年。既にアッバース1世は亡くなっていたそうです。 


モスク入口。高さ48mのミナレット付の巨大な門です。




上を見上げてみました。天井の鍾乳石飾りが素晴らしい。



入口を入ると、右斜め45度に高さ44mのミナレットを持つ主ドームが現われます。
入口と主ドームの間は中庭になっていて、噴水も造られていました。

左は主ドームを戴く主礼拝室。右は主礼拝室から中庭・入口付近を見たところです。
   


夕暮れが近づいてきて影になってしまうのが残念です。
主ドームと礼拝所を角度を変えて撮ってみました。
   


横から見るとちょっと趣が変わります。


主ドームは音響効果を考えて、二重構造になっているのだそうです。
それにしても青が美しい。


中庭の周囲も美しいタイルで飾られています。



昔の庶民が見たら天国だと思ってしまったのではないでしょうか。
本当に、素晴らしい。
完成を見届けられなかったアッバース1世は残念だったでしょうね・・・。



バザール

広場の北側はバザールになっています。



このバザールは、なんと今日最初に見学した金曜モスクまで続いているのだそうです。
歴史を感じさせるバザールですが、ネオンもあったりします。
   


冬に訪れたので日暮れが早くなってしまったのが残念。
それにしてもイスファハンは美しい場所です。
ペルシャの美意識を堪能できました。



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参考文献

イスラムの誘惑(新潮社)
世界遺産を旅する10(近畿日本ツールスト)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。