パサルガダエ

世界最古の大帝国アケメネス朝ペルシャ
その最初の都がパサルガダエです。
帝国の創始者キュロス大王が建設した都でもあります。
2004年1月訪問



キュロス大王は紀元前550年にペルシャを治めていたメディア王国を倒して独立を果たし、その後は紀元前547年にリディア、紀元前539年には新バビロニアと当時の近東の大勢力を次々に倒し、アケメネス朝ペルシャを広大な領土を有する帝国に発展させます。
キュロス大王の息子は更にエジプトまでも支配下に置き、アケメネス朝ペルシャは西は小アジア・エジプトから東はインダス川までという広大な大帝国となります。
アケメネス朝ペルシャは世界最初の帝国であり、世界最初の官僚組織を持った帝国です。

そのアケメネス朝ペルシャの最初の都であるパサルガダエの今の状態は、正直なところ、なんにもない・・・というのは言い過ぎとしても、それに近い状態。広大な原野が全て都の跡といわれても、なかなか往時の姿を想像するのも困難です。


キュロス大王の墓

最初に訪れたのはキュロス大王の墓。
大帝国を築いた大王の墓にしてはシンプルな気がします。


キュロス大王は施政者としても優れ、征服した民族に対しても寛大な統治を行いました。バビロンに捕囚されていたユダヤ人を解放したのもキュロス大王だったそうです。旧約聖書の世界ですね。
この墓が、これだけきちんとした形で残ったのも、キュロス大王に対する歴代の支配者の尊敬の念があったからということです。アケメネス朝ペルシャを滅ぼしたアレキサンダー大王も、その統治方法を見習ったとか。


宮殿址

パサルガダエは広大な土地に、建築物が点在していて、バスで移動して見学することとなります。
ともかく広い。

右はキュロス大王の墓の次に見学した宮殿址にあったレリーフ。

宮殿といっても、ほとんど基礎部分しか残っていない場所にぽつんと置かれていました。


4枚の羽根を持ち、エジプト風の王冠を被った人物像が彫られています。

頭に被った王冠は、ヤギの角に、3匹の魚だというのだけれど・・・・。
ヤギの角のような形の王冠は確かにエジプト風ですが3匹の魚というのは他に見たことがありません。魚にどのような意味があるのでしょうか。

羽が4枚というのも古式です。

エジプトの影響もありそうな、それでいて、いかにもオリエント風ともいえそうな・・・

なんとも不思議な人物像です。

ガイドはキュロス大王だといっていたけれど、そうなのでしょうか・・・。

この石の板は、かっては門であったとのことでした。


次に訪れた宮殿址。柱と基礎は残っていました・・・。



面白いレリーフ発見。


足元部分しか残っていませんが、魚と人物の合体したような姿(右)と、牡牛と思われる姿(左)。

右の魚のような人物は、バビロニアのオアンネスだと思われます。オアンネスは水から上がって来て人々に知識をもたらす魚のような体をしたバビロニアの神です。バビロニア・メソポタミアの伝統を感じますね。


これは修復を待っている柱なのでしょうか・・・。



これも少し離れたところにある宮殿址。


ここは王族の生活の場所だったらしく、水道施設(水路)などが残っています。柱は石製ですが、壁は日干し煉瓦で作られていたそうです。水路で水をめぐらせ、庭園もあったということです。
さすがに王族は豪華な生活を送っていたんですね。

宮殿址の数か所で見ることができる碑文
エラム語・バビロニア語・古ペルシャ語が刻まれています。
内容は「我はアカイメネス族のキュロスである」
   



拝火教神殿跡(?)

宮殿から少し離れたところにある不思議な建造物。
かなり巨大な建造物で、拝火教の神殿とも墓とも言われています。
   

拝火教の神殿とする説は、正面にあるでっぱりは階段で、ここを登って儀式をしたのではないかと考えています。
最近では拝火教の神殿説も少し揺らいで来ているらしいのですが、かといって墓だとしたらキュロス大王の墓とは随分と形が違うのはなぜなのでしょう。

結局は、なんだか分からないということらしいですが、こんなに大きなものが何だか分からない、ということ自体が面白い気がします。


私が訪れた時はパサルガダエは、まだ、世界遺産に登録されていませんでした。
当時はパサルガダエに関する書籍も少なく、訪れた遺跡の古さと重要性は感じたものの
正直、ガイドさんの説明も余り詳しくはなく・・・。
(おそらく分かっていることが少ないのでしょうけれど)
その後、修復が進み、整備されていればいいと思いますが
荒涼とした遺跡は、それはそれで何とも言えない風情がありました。


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訪れた当時は、ほとんど文献がありませんでした。
基本的に現地ガイドさんの説明を元にまとめています。