ペルセポリス

アケメネス朝ペルシャの宮殿址ペルセポリス
アレクサンダー大王が火を放ち焼け落ちた宮殿址
アケメネス朝ペルシャの栄華を物語る遺跡です。
2004年1月訪問




アケメネス朝ペルシャは古代オリエントを最初に統一し、ギリシャまで軍を進めた大帝国です。ペルセポリスは第3代のダリウス1世(紀元前522〜紀元前486年)の時代に建造が始まり、以後数代をかけて建設されました。
アケメネス朝ペルシャはダリウス1世の子供であるクセルクセス王がサラミスの海戦でギリシャに敗れてから衰退を始めます。クセルクセス王は暗殺され、以後8人の王が即位するものの、各地の反乱に悩まされ、結局、ペルセポリス完成から130年がたった紀元前330年にマケドニアのアレキサンダー大王に滅ぼされてしまいます。ペルセポリスには火が放たれ、屋根と梁が木でできていたペルセポリスは全て焼け落ちてしまいました。今では基壇・壁・柱などが残るだけです。

近くの王墓から見下ろしたペルセポリス。
屋根で保護されているのがアパダナ(謁見の間)。左後方にダリウスの宮殿。
アパダナの手前の門がいくつも残っているのが百柱の間。


写真の左端に基礎だけ残るのが宝物庫。ペルセポリスから運び出された財宝は約514億円相当だったとか、その宝を運ぶための馬と駱駝が3万匹必要だったとか言われていますが、このペルセポリスという都は当時のギリシャ人が記録を全く残していない謎の都。この宮殿がなんだったのかについては、ゾロアスター教の新年祭が行われる3月に諸国の代表使節が朝貢に訪れた場所というのが一応の有力説ではあるものの、年に一度の儀式のためにこれだけの宮殿を造ったのか・・・未だにはっきりとしたことは分かっていないのです。



クセルクセス門

遺跡のゲートを入ると小高い丘の上に巨大な柱が見えてきます。
丘のように見えるのはペルセポリスの大基壇。500m×300mの広さです。
そこに行くには大階段(遺跡)を登らないといけません。
この大階段は馬のまま登るために一段一段が低く造られています。

そして、階段を登りきるとクセルクセス門が現われます。


クセルクセス門はダリウス一世の子クセルクセスが建てた門で控えの間の役割もしていました。門を飾る人面有翼獣神像、つまりは人間の顔を持つ翼の生えた牡牛で有名です。
この人面有翼獣神像は、入口のものよりも、門をくぐってからのものの方が保存がいいです。上の写真でも分かるように、入口方向を向いた像は人面がほとんど残ってはいません。

もっとも、残っているほうも、人面がはっきり残っているわけではないのですが・・・イスラム教徒によって顔は破壊されたのでしょう。とはいえ、翼や体は、かなりはっきりと残っています。人間の顔を持った翼の有る牡牛の起源はアッシリアにまで遡るのだそうです。

   


ペルセポリスは、ペトラ・パルミュラとともに中東の3Pと言われて人気のある遺跡ですが、他の2つの遺跡はローマの影響が強いのに対し、ここはアレキサンダー大王以前の遺跡ということもあって古代メソポタミアの影響が色濃く、独特の雰囲気をもっています。


クセルクセス門を抜けると、左のような怪獣というか、グリフィン?がいくつも置かれています。


鷲の頭にライオンの体を合体させたもの。確かに、手というか前足には肉球まであります(かがむと見えます)。

双頭なのは、もともと梁を支えていたから。もともとは柱の一番上に乗っていたのです。この2つの頭の間に、かってはレバノン杉で作られた梁が渡されていたといいます。

上のグリフィンとともに、というか、ペルセポリスで最も多く見かけるのが牡牛。

   

左はグリフィン同様に柱頭として利用されていたのだと思います。もともとは双頭だったのでしょう。双頭の牡牛も、けっこう転がっています。角が取れてしまっているので、ちょっと見は馬のように見えますが実際は牡牛。表情は柔和だけど、とてもたくましい、見事な様式になっています。

牡牛というのは古代ペルシャにおいては重要な意味を持っていたようです。クセルクセス門を抜けると、百柱の間までの間に未完成の門をくぐるのですが、その未完成の門にも巨大な牡牛が彫られていました(右)。



百柱の間

百柱の間という巨大な空間の入口を飾っているレリーフ。

   

百柱の間というのは、文字通り、10本の柱が10列つまり100本の柱が並んだ部屋ということで、軍隊を謁見する間だったとか、諸国からの貢物を受領する間だったとかいわれている場所です。

柱は、ほとんど崩れてしまって残っていませんが、この間の入口部分の壁はよく残っていて、そこに色々なレリーフが彫られています。

一番上にダリウス1世が玉座に座った姿が彫られ、下の方に何段も諸々の民族の王が彫られています。諸民族の王の上に王の中の王ダリウス一世がいるということを示しているのでしょう。この諸民族の王が支える玉座に座るペルシャ大王というのは遺跡のいたるところで繰り返し出てきます。


中には大王の上にゾロアスター教(拝火教)のシンボルが描かれているものも残っています。

たとえば右。
これも、諸民族の王が支える大王ですが、玉座に座る大王の上に、ゾロアスター教のシンボルが彫られています。

鷲のように羽根を広げた上に人物が乗っているという奇妙な形のレリーフがゾロアスター教のシンボル(上に乗っている人が省略されているものもあります)。

ゾロアスター教といえば、善悪二元論。
宇宙・世界を善神アフラ・マズダと悪神アンラ・マイニュ(アフリマン)の闘争の場とする宗教であり、最後の審判という概念が、その後の多くの宗教に大きな影響を与えました。

ゾロアスター教は、後に古代ペルシャの国教になります。ダリウス一世が帰依していたことが影響しているのでしょうか。

他にペルセポリス内には、ゾロアスター教の宗教行事を行った壇なども残っています。



左下は獅子と戦う大王。獅子は大王に蹴りを入れ、大王は左手で獅子の頭をつかみ、右手で獅子の腹に刀をつき立てています。大王の力を現すレリーフなのでしょう。
獅子のほかにも、有翼の怪獣と同じように戦う大王の姿が彫られています(左下)。

 



アパダナ(謁見の間)

百柱の間を抜けると、いよいよペルセポリスで最も巨大なアパダナ(謁見の間)です。



この謁見の間は一段高くなっており、そこに昇るための階段の側面に有名な獅子と牡牛のレリーフやら、諸国の使節団の姿のレリーフやらが、びっしりと彫られています。

獅子と牡牛のレリーフの中で、比較的上手く撮れたかな、というのがこれ。


獅子の顔の部分が磨かれているので写しやすい。実はペルセポリスで使われている石は、全て磨くとこの写真の獅子のように黒く光るのだそうです。かなり重厚な建物だったんでしょうね。

獅子と牡牛の意味については、獅子が大王で牡牛が敵、つまり大王が敵を倒す姿を意味するという説と、夏を意味する獅子座と冬を意味する牡牛座であって、季節の移り変わりを意味するという説があります。ゾロアスター教では、本来、春分が一年の始まりという思想があることを考えると、春の星座である獅子座が牡牛座を追い落とす姿なのかもしれません。


アパダナ階段の中央。向かい合うのは兵士でしょうか。
階段上部にはゾロアスター教のシンボルが彫られています。

   


朝貢する諸国使節団としては全部で23の民族の姿が彫られています。民族ごとに髪型や服装が違うだけでなく、パルティア人やアラブ人は駱駝、ガンダーラ人は牛、エティオピア人は麒麟、ゾグド人は羊というように貢物の種類も違うので、見ているだけで楽しい。

使節団の間に描かれている糸杉も彫りは細かく、実に繊細。
羊も、その体毛まで細かく彫られていて羊毛の感じが出ています。

   


髪型や帽子の違いも興味深い。

   

ペルセポリスのレリーフは一見すると様式化されているように見えますが、実は非常に細部は個性的だし、視点も暖かい。たとえば、ライオンの親子を朝貢する姿を彫ったレリーフでは、母ライオンが、抱かれて運ばれる子ライオンを振り返って見つめる姿なども彫られているし、使節団の先頭のペルシャ人は必ず使節の手を引いている、といったように。



ダリウスの宮殿(タチャル)

アパダナの裏にはダリウス大王の宮殿などが残っています。


大王の宮殿、というわりには小さな建物でした。
冬の宮殿と言われています。

窓から暖かい日差しが入るように設計されているといいますが・・。



この宮殿に利用された石材は磨きこまれていて、鏡のような光沢を放っていたのだそうです。
そのため「鏡の間」とも呼ばれているとか。

小規模だが、手のかかった宮殿ということでしょうか。

ここでも、獅子と牡牛のレリーフや人物像が繰り返しでてきます。
右の写真でも階段のレリーフとして彫られています。

また、戦う大王の姿も繰り返し現れます。

獅子と戦う大王、有翼の怪獣と戦う大王だけでなく、ここには牡牛と戦う大王の姿もありました。

この一角は保存状態の良いレリーフが多い気がします。


左下の大王が戦っているのは牡牛です。
右下の有翼の怪獣と戦う大王はとても保存状態が良く見事です。

   


この宮殿には、このような大王の戦う姿だけではなく、さしかけられた傘の下を歩む大王の姿や、大王の家族に食事の用意をする人物達のレリーフもあります。
多くのレリーフが大王の偉大な姿を描いている中で、王宮の日常を描くレリーフも残されているのはとても興味深い。皿や壷を運ぶ人物や、穀物の袋を担いだり、子羊を運ぶ人物などが描かれていて、見てるだけで楽しくなってしまいます。子羊は料理されてしまうんでしょうか。

   



宝物庫とアルタクセルクセス王墓

ペルセポリスのすぐそばの山肌には、いくつかの王墓があります。


右は、宝物庫址から眺めたアルタクセルクセス2世王墓。


手前は宝物庫です。

ごらんのとおり、ほとんど何も残っていません。

基礎部分が、かろうじて保存されているくらいです。

アレキサンダー大王に全て略奪された後、灰燼と化したのでしょう。

遺跡に行ったときには、この宝物庫から火が出たのかと思ったのですが、帰国後調べたら、どうやら火元は百柱の間らしいです。

火が出た理由についても、アレキサンダー大王がワインに酔っ払ってとか、色々な説があるみたいです。

王墓までは、ちょっと時間がかかりますが、登るとペルセポリスが一望できます。

その意味でお勧めポイント。


王墓に彫られたレリーフ。おなじみの諸民族の王に支えられた王ですが、中空にはゾロアスター教のシンボルが浮かんでいます。翼を広げた鷲のような姿の上に乗る人物(アフラ・マズダ)。デニケンとかに宇宙人だとかロケットに乗った人物と評されたシンボルです。ペルセポリスに近いところにあるナクシェ・ロスタムの王墓にも同じようなレリーフがありましたが、ここの方が見やすいです。






考古学博物館

ペルセポリスからの出土品はテヘランにある考古学博物館の目玉となっています。
百柱の間にあった双頭の牡牛の柱頭。
遺跡の牡牛は角が欠けていましたが、やはり角があると雄々しいですね。
磨かれて黒く光り、かっての重厚な姿を取り戻しています。





アパダナ(謁見の間)にあったダリウス1世の謁見図。
文字通りダリウス1世が謁見するところを描いたものです。




玉座に座る大王(左)と敬意を示す朝貢使(右)
   


謎の都ペルセポリスは古代ペルシャの栄華を語ってくれます。
ローマ遺跡とは異なるオリエントの魅力に満ちています。
一度は訪れたい遺跡です。


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参考文献

世界遺産を旅する10(近畿日本ツーリスト)
イスラムの誘惑(新潮社)
沈黙の古代遺跡 エジプト・オリエント文明の謎(講談社+α文庫)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。