アマルフィ

世界で最も美しい海岸線と言われるアマルフィ海岸
その中央部に位置するアマルフィの町
単なるリゾート地ではない歴史ある町です。
2017年8月訪問

写真は海から見たアマルフィの町


ナポリの南、ソレント半島南岸のソレントからサレルノまでの約30㎞にわたる海岸線・アマルフィ海岸のほぼ中央に位置するアマルフィの町。現在は「世界一美しい海岸線」と呼ばれるアマルフィ海岸の観光の拠点としてリゾート客で賑わう町ですが、実は839年にイタリアで最初の海洋共和国となり地中海を股にかけて海上交易で栄えたという歴史を持っています。12世紀にノルマン人が侵攻し、更に地震・津波の被害を受けて表舞台から退くことになりましたが、僅か人口5000人の町には不釣り合いなほど立派な大聖堂などが、かっての栄光を伝えています。

海岸線近くまで山が迫るアマルフィ。海水浴場の背後に見えるのは大聖堂の鐘楼
右手の山の中腹に見えるのは元修道院で、その後墓地とされたもの。



港に面したフラヴィオ・ジョイア広場

 大聖堂の鐘楼は
緑と黄色のマジョルカ焼で飾られています。
 広場の名の由来であるフラヴィオ・ジョイア像
航海用の羅針盤の発明者

港に面した道沿いに注目すべき2つのタイル画があります。
こちらは東側、市庁舎そばのタイル画



アマルフィの歴史を描いたタイル画です。アマルフィは紀元4世紀に建設された町。山が海際まで迫るため、山側からの防御に適した土地でした。耕す土地が乏しいため、人々は海上交易に乗り出します。839年、イタリア最初の海洋公国となったアマルフィは地中海貿易で繁栄します。タイル画右上にマルタ十字があるのが分かるでしょうか。マルタ十字は聖ヨハネ騎士団の象徴として有名ですが、元々はアマルフィの象徴でした。実は聖ヨハネ騎士団はアマルフィの商人たちがエルサレムの聖ヨハネ修道院跡地に病院を設立したのが始まり。当時のアマルフィの富が偲ばれます。アマルフィは12世紀にノルマン人の侵攻を受け、地震と津波で歴史の表舞台からは退くものの、14世紀以降は手すき紙とレモンで有名となります。アマルフィのレモンは大きいそうです。

もう一つのタイル画はフラヴィオ・ジョイア像近くの「海の門」の横にあるタイル画
海の門はアーケード状の小さな門ですが、その横のタイル画は
かってのアマルフィが地中海沿岸を股にかけていたことを描いています。



「海の門」をくぐれば、すぐに大聖堂のそばにでます。大聖堂の前のドゥオモ(大聖堂)広場にある聖アンドレアの泉。聖アンドレア(アンデレ)はアマルフィの守護聖人です。

聖アンドレアはイエスの12使徒の一人で、イエスから天の国の鍵を受け取り、初代ローマ教皇ともされてるペトロの弟とされています。
聖アンドレアはギリシャからロシアまで布教を続け、ギリシャのパトラスにて殉死しました。その際、X字型の十字架に架けられたと言われており、X字型の十字架は聖アンドレアのシンボルとされます。この噴水の精アンドレもX字型の十字を背負っています。

聖アンドレの遺体はパトラスからコンスタンティノープルに運ばれ、その後、1208年に、遺体の一部・聖遺物がアマルフィに運ばれ、大聖堂内に置かれています。
ペトロとアンドレアは元々漁師だったとされており、聖アンドレアは漁師と船乗りの守護聖人とされます。海上交易で栄えたアマルフィにとって、まさに最適の守護聖人なのかもしれません。

聖アンドレア大聖堂(ドゥオーモ

聖アンドレアの泉の前が聖アンドレア大聖堂、ドゥオーモです。大聖堂は9世紀創建。中世以降改築が繰り返されており、現在の外観は19世紀の修復によるもの。

57段の大階段を上ると、アーチが美しい柱廊玄関。13世紀に増築されたものです。
鐘楼も13世紀に建てられたもの。建築が始まったのは12世紀でしたが建築に100年かかったそうです。最上層の緑と黄色のマジョルカ焼の装飾が目を引きます。

アマルフィの交易相手だったイスラムやビザンティンの影響が色濃い何とも異国情緒漂う美しい大聖堂です。

大階段を上ると11世紀にコンスタンティノープルで鋳造されたという青銅の扉があり、その上にはX字型の十字架を背負った聖アンドレアが描かれています。聖アンドレア大聖堂というだけあって、内部の天井画のテーマは聖アンドレアの生涯で、主祭壇正面にX字型の十字架上の聖アンドレアが描かれています。

黄金に輝く大聖堂の正面にはキリストと12使徒



 コンスタンティノープルから運ばれた青銅扉と
その上に描かれた聖アンドレア
 大聖堂内部
天井画は聖アンドレアの生涯


豪華絢爛な主祭壇は18世紀の改修



 正面、聖アンドレアの磔刑
 豪華な説教壇


エルサレムから寄贈された真珠貝製の十字架。細かい細工。どうやって作ったのでしょう・・・。
   


大聖堂の柱廊玄関から天国の回廊に行くことができます。

天国の回廊



大聖堂を出て、柱廊玄関を左に進むと「天国の回廊」に出ます。

天国の回廊は13世紀に造られたアマルフィの貴族たちの墓地。
四角い庭にはシュロの木が植えられ、その庭を囲んで回廊が造られています。
2本で一対となった円柱が尖塔アーチを支える形なのはイスラムの影響。
柱の数は全部で120本。白い漆喰が塗られた回廊は異国情緒と神聖な雰囲気が漂います。
天国の回廊という名前は死者を天国に送るための場所だったことに基づくのでしょう。

回廊からは大聖堂の鐘楼も見ることができます。大聖堂に隣接する場所が墓地というのも考えてみれば非常に贅沢な話で、貴族ならではの特権だったのかもしれません。

回廊にはギリシャ彫刻がなされた2世紀の石棺や、かって大聖堂を飾っていたモザイクが置かれています。また、回廊のところどころに残る古いフレスコ画も美しい。


大聖堂の説教壇を飾っていたモザイク。13世紀のもの。


モザイクも見事ですが、ところどころに残るフレスコ画が印象的でした。

 12世紀の全能の神
 こちらも美しい。落剝が多いのが残念

こちらは比較的保存状態が良い。14世紀、ジョット派によるものだそうです
 アーチの奥に残るフレスコ画
 キリストの磔刑 下には嘆くマリア

ジョット派はイタリア・ルネッサンスの先駆けと言われています。
人間らしい感情表現が特徴と言うことですが、確かに聖母は悲しみの余り崩れ落ちそうです。



キリスト磔刑の横のフレスコ画も美しい
 
 聖アンドレアでしょう。アップで撮ってみました。

なんとも美しい聖アンドレア・・・。ジョット派より後の時代のものだと思いますが聞きそびれました。

天国の回廊から十字架上のキリストの聖堂に続きます。

十字架上のキリストの聖堂

   

十字架上のキリストの聖堂はアマルフィ最初の聖堂で、その創建は6世紀にまで遡ります。聖アンドレアの大聖堂が建てられると柱廊で2つの教会は繋がれましたが、13世紀に天国の回廊ができると、この聖堂の左側の身廊は削られることとなりました。しかし、13世紀から14世紀のフレスコ画が残っており、大聖堂の様な豪華絢爛さはありませんが何とも魅力的な空間となっています。

   

なんとも不思議な画風。



この聖堂は今では博物館として利用されています。

 豪華な司教の冠
司教の父が国王だったそうです。
 銀製の祭壇飾りの一部
聖アンドレアの磔刑

豪華かつ繊細な細工の聖器物


 歴史を感じさせる像
 美しい聖母子像

 十字架の下に置かれた像
 15世紀のフレスコ画の聖母子

上のフレスコ画の聖母子の横にある階段を下りると地下聖堂
余りの豪華絢爛さにびっくり・・・

地下聖堂



この地下聖堂は聖アンドレアの聖遺物を安置するために造られた場所です。大聖堂からも入ることができるそうですが、私が訪れた時は閉まっていて十字架上のキリストの聖堂から入りました。

聖アンドレアの聖遺物がアマルフィに運ばれてきたのは1208年5月8日、枢機卿ピエトロ・カプアーノの指導のもと、聖遺物は地下聖堂に置かれました。

13世紀に最初に造られた地下聖堂は17世紀にスペイン王フィリッポ3世によって改築され、現在の豪華絢爛な姿になりました。

祭壇の上に置かれたブロンズ製の聖アンドレアはミケランジェロ・ナッケリーナの作。800㎏の重さだそうです。

祭壇の下に聖アンドレアの聖遺物は置かれていて、今でも聖アンドレアの祭日のころマンナと言われる液体がにじみ出るという奇跡を起こし続けているのだそうです。

祭壇中央が聖アンドレア、左右に聖ステファノと聖ロレンツォ



祭壇後ろの大理石に描かれた聖アンドレアと洗礼者ヨハネ



交差ヴォールトの天井にはフレスコ画が描かれ、白と金色がまぶしい。
柱の大理石モザイクも豪華絢爛。地下だということを忘れる豪華な場所です。
   


町も散策しました。

旧市街のドーゼ広場
小さな広場ですが実は見どころあり
 
 椅子に座ったおじさんの背後の柱
かっての宮殿?の柱なんだそうです。

店の軒先には9世紀の総督・ドーゼのレルーフ
 
 総督が手にしているのは海運法典

旧市街では海賊が襲ってきた時に逃げるための工夫などもあって面白かった。
美人は海賊に捕まらないように駆けっこの練習に励んでいたそうです。
細い道は歩くと楽しいのですが写真にすると何が何やら・・・


アマルフィを離れ、アマルフィ海岸を北上してナポリを目指します。


景色は素晴らしいですが道は細く、車がすれ違うのが大変な場所も多い。

山肌にへばりつくような建物。多くの船が出ています。


展望台から見たポジターノの町


ナポリ湾まで来ると、とたんに平野が広がります。ソレント岬が遠ざかりました。



単なるリゾート地だとばかり思っていたアマルフィ。
聖ヨハネ騎士団を生んだ歴史ある町でした。
海洋共和国の凄さを思い知らされます。


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参考文献

ナポリと南イタリアを歩く 小森谷賢二・小森谷慶子著 とんぼの本 新潮社
アマルフィ 聖人アンドレアの複合記念建造物(日本語パンフレット)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。