エルコラーノ

ポンペイとともに噴火で滅んだ町エルコラーノ
洗練された出土品で有名
遺跡と出土品を紹介します。
2017年10月訪問

写真はネプチューンとアンフィトリテのモザイク


ヴェスヴィオ火山の東山麓、ナポリ湾の突端に突き出た場所に位置するエルコラーノはギリシャ名「ヘルクラネウム(ヘラクレスの町)」。伝説ではヘラクレスが築いたとされます。紀元前6世紀ころにはサムニウム人、前3世紀にはローマ人の支配下に入り、ローマ支配となってからは、風光明媚な土地だったことから貴族の別荘地・保養地として栄えました。当時の人口は約4000人。商業・農業の町だったポンペイの人口は約1万2000人とされていますから、ポンペイよりはずっと小さな町ですが上流階級が暮らしていたことから、文化的にはより洗練されていました。

79年8月24日のヴェスヴィオ山の大噴火により、ポンペイ同様に町は壊滅しました。現在、発掘されているのは町の4分の1ほど。遺跡入口から見下ろすエルコラーノ遺跡は多くの建物に屋根も残り、人が住んでいると言われれば信じてしまいそうです。写真一番手前にアーチ状の入口が並んだ建物がありますが、これは港に面した倉庫。つまり、この倉庫の手前、我々が立って見下ろしている高台は、かっては海だったわけです。



遺跡見学は1980年代に掘られたトンネルを下りて行く形で始まります。
トンネルの壁や天井は79年の噴火の際、町を襲った土石流・泥流の層。

噴火の際、ポンペイを襲ったのは火山礫・火山灰でしたが、エルコラーノの町を襲ったのは火山性の土石流・泥流でした。このため、エルコラーノの町の建物は火山礫の重さで潰されることもなく、屋根も残ったまま埋まっていたのです。

かっての海を高台に変えた泥流の深さは16〜24m。ポンペイの火山灰が6mと聞いて驚きましたが、ここではその4倍もの泥流が襲ったわけです。恐ろしい火山の力です。

年月を経て泥流は硬い岩となりました。トンネルの壁に触ると非常に硬いのが分かります。
このため遺跡の発掘は困難を極めました。
しかも、町が硬い岩盤の下に埋められたため、後に遺跡の上に新しい町が築かれ、現在の建物を撤去して発掘するのも困難。
このため、エルコラーノは今以上に発掘を進めるのは困難だろうとのことでした。
発掘されているのは200m×150mの範囲です。

港の倉庫群

トンネルを出ると、かって港に面していた倉庫。


この倉庫からは約300人もの遺体が見つかっています。覗くと人骨がたくさん残っててコワイです。
港から海に逃れようとしていたところを土石流が襲ったのでしょう。即死だったというのがせめてもの救い。

公衆浴場前広場

倉庫の横の階段を上って行くと、ちょっとした広場に出ます。

この広場は城壁の外にあって、隣は公衆浴場。

広場に置かれているのはマルクス・ノニウス・バルブスの像と彼の火葬台。町のお金持ちで、多額の寄付を町にしたことから、彼を讃えるために作られたものだそうです。火葬台には祭りの時には彼のために空席を残し、食事やワインも用意すると書かれているそうです。

この像や火葬台も見事なのですが、広場の前に広がる断崖に目を奪われます。つい先ほど、遺跡を見下ろした場所が目の前の断崖の上。先ほどの私のように多くの人が遺跡を見下ろしています。

正確に言えば、断崖のようになっているのは遺跡を掘り出した結果、むき出しになった火山性土石流・泥流の堆積物。かっては港・海だったことを考えると、本当に凄い。凄まじい噴火だったんですね。

同時に、これだけの深く硬い岩盤を掘って遺跡を発掘した人たちも凄いなあって感動。

マルクス・ノニウス・バルブス像と火葬台


像の後ろに見えているのが城壁。像の後ろの坂道を上り、町の中に入ります。


鹿の家

吊るしてある丸い板は風に揺れるのを見て楽しんだもの


美しいレリーフも残っています。



エルコラーノの通り


エルコラーノの道もポンペイ同様、車道と歩道からなっています。公共の水場も残っているのですが、ポンペイでは上下水道が整備されていなかったのに対し、豊かな人々が暮らすエルコラーノでは上下水道が整備されており、公共の水場は余り必要がなかったので少ないのだそうです。


板仕切りの家

玄関から見たアトリウム
中庭に続く食堂との間の板仕切りが残ります
 
 アクトリウムの水槽と
客にワインを出したテーブル

エルコラーノを襲った泥流は温度が低く、木材が残されました。
床の装飾も綺麗。一見地味ですが光る石が組み込まれています。


サムニテスの家



ここでは天井を見上げてみるのがおススメ。当時の住居は玄関を入ってすぐの広間(アトリウム)の中央に雨水を溜める水槽を置くのが一般でしたが、ここでは天井に光を入れ雨水を落とすための開口部が設けられているのが良く分かります。復元されたものでしょうけれど、エルコラーノでは木材部分も炭化しながら残ったものが多く、かなり正確に復元されていると思われます。そして美しい2階部分の柱廊の装飾。また、この家の入口近くの部屋には子供の落書きも残ってます。


黒いサロンの家

ワインの御品書きが残ってます。値段も書いてあります。



ネプチューンとアンフィトリテの家



エルコラーノ遺跡で、おそらく一番の見どころなのがネプチューンとアンフィトリテの家。

海神ネプチューン(ポセイドン)と、その妻アンフィトリテの美しいモザイクが残っています。
モザイクの細かい部分が上手く撮れないので絵葉書を買いました。右がその絵葉書。

ネプチューンとアンフィトリテだけでなく、その周囲の細かい模様が実に繊細でありながら華麗で美しい。

モザイクには練ガラスを使っているそうで、とても細かい。凄い技術ですね。枠には貝殻が使われています。

このモザイクの両脇には風景を描いた壁画があり、モザイクは額に入れられたような形で壁に組み込まれています。

このモザイクの前には少し変わった形の水槽。
水槽には噴水も作られていました。

それだけでなく、このモザイクの左側の壁も実に美しい装飾で飾られています。

部屋の入口からしか写真が撮れないので、これも葉書を買いました。花や動物、鳥が美しい。青を基調に品がありながら、華麗です。かっては窪み部分に彫刻が置かれていました。




アウグストゥス帝の神殿

ローマ帝国では皇帝は神格化され、皇帝崇拝の場が築かれました。
建物は余り発掘されていませんが、ここからは素晴らしい壁画が見つかっています。

 赤ん坊のテレフォスを発見するヘラクレス
座る女性はアルカディア地方の擬人像
 ミノタウロスを倒すテセウス

どちらも2mを越える見事な壁画です。この壁画、2016年に六本木などで開かれたポンペイ展の目玉として日本に来ていて間近で見ることができました。素晴らしかったので、どんなところから発見されたのだろうと思っていたのですけど、遺跡自体は余り発掘されてなくて壁画の写真があるだけ。ナポリの考古学博物館所蔵と聞いていたので博物館に行ったら見れるのかと現地ガイドさんに聞いたら、見られないよ、と簡単に言われてしまいました。保存のため、普段は博物館の奥に収蔵されているみたいです。日本で見ることができたのは凄いラッキーなことだったようです。


ナポリ国立考古学博物館

アウグストゥス帝の神殿の壁画は展示されていませんが
ナポリの国立考古学博物館ではエルコラーノ遺跡からの発掘品を数多く展示しています。

モザイクの間に展示されているエルコラーノ遺跡からの出土品



エルコラーノからの出土品は品を感じさせるものが多い。



パピルス荘

中でも圧巻なのがパピルス荘からの出土品
幾つもの部屋を使って展示してます。


パピルス荘は現在公開されているエルコラーノ遺跡から少し離れたところに位置する大豪邸で、なんと65のブロンズ像、28の大理石像が発見されています。彫刻はギリシャ時代の模刻ですが、素晴らしいものが多く、幾つもの部屋を使って展示されています。上の写真に写っているのは全てパピルス荘からの発掘品。手前の2体は走者と呼ばれています。他の部屋の彫刻も凄いです。

休息するエルメス(ヘルメス)
 
 眠るサテュロス


酔っぱらったサテュロス



小品にも優れたものが多い
ブロンズ製の雨樋。幾つもありました。
 
 こちらはユーモラスな一品。


優れた出土品で知られるエルコラーノですが
遺跡から持ち出されたものが多く、遺跡自体は少し物足りないかもしれません。
でも、木材まで残った遺跡の保存状態は感動的だし、
噴火の威力・恐ろしさはポンペイ以上に胸に迫ります。


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参考文献

ポンペイ 古代の遺跡を再現 日本語版 ARCHEOLIBRI(遺跡で購入)
ナポリと南イタリアを歩く 小森谷賢二・小森谷慶子著 新潮社 とんぼの本
世界遺産ポンペイの壁画展(2016年−2017年)
血塗られた神話 森本哲郎編 文春文庫ビジュアル版


基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。