マテーラ

洞窟住居が密集する特異な景観
かって貧困の象徴とされたセピア色の町
廃墟から再生しつつあります。
2017年8月訪問

写真はサッソ・カヴェオーソ地区



マテーラはブーツの形をしたイタリアの土踏まずのあたりに位置する街でパジリカ―タ州マテーラ県の県都です。街はグラヴィーナ渓谷に沿って造られており、渓谷の崖や斜面を掘った洞窟住居サッシは世界遺産になっています。この地の岩山は大谷石に似た凝灰岩でできており、容易に掘ることができたため、人々は横穴を掘って、そこを住居としたのです。
洞窟住居は、8世紀から13世紀にかけて東方のイスラム勢力から逃れてきたキリスト教の修道士が教会を掘り、住み着くようになったのが始まりと言われています。

旧市街は丘の上のチヴィタ地区と洞窟住宅が造られた丘の斜面サッシ地区に分かれています。
丘の上、チヴィタ地区から観光は始まりました。

トラモンターノ城

未完成の城だそうです。バスをここに停めて、歩いて観光です。



サンフランチェスコ・ダッシジ教会

13世紀にゴシック様式で建てられ、17世紀にバロック様式で再建された美しい教会


教会の前のサンフランチェスコ広場のすぐ近くにもう一つ広場があります。

セディーレ広場

写真中央の立派な建物は16世紀に建てられた旧市庁舎で、現在は音楽学校


セディーレ広場から緩やかな坂道を登って行くと大聖堂に出ます。

大聖堂(ドゥオーモ)




大聖堂は13世紀に建てられたものでプーリア・ロマネスク様式と言うそうです。

トラモンターノ城から大聖堂までのチヴィタ地区は綺麗な教会が残るイタリアの小さな街といった印象ですが、大聖堂前の展望台からのサッシ地区の眺めは町の印象をがらりと変えます。

サッシ地区は、サッソ・バリサーノとサッソ・カヴェオーソという地区に分かれていて、大聖堂が2つの地区の中間地点にあたります。
サッソというのは洞窟住居のことで複数形がサッシになるそうです。
展望台から見えるのはサッソ・バリサーノ地区。

マテーラの洞窟住居はイタリアのカッパドキアとも呼ばれるそうですが、一見した感じは小さな建物がごみごみと密集しているといった感じでカッパドキアとは似ても似つかぬ外観です。

マテーラの洞窟住居は岩山を掘って横穴を造り、入口に普通の建物のような部分を造ります。斜面を利用して造られた洞窟住居の前の道は下の層の住居の屋上となっており、そのため、まるで蜂の巣のようにぎっしりと建物が並ぶ外観が生まれているわけです。

サッソ・バリサーノ地区

大聖堂の展望台からのサッソ・バリサーノ地区の眺め


丘の斜面に何層にも建物が並んでいます。



洞窟住居は夏涼しく冬暖かいので、建てられ始めた当初は決して悪い住環境ではなかったのかもしれません。

しかし、洞窟住居では人々の暮らす部屋の奥に家畜小屋を造るのが一般的。電気も水道もなく、家畜と同居する洞窟住居は次第に貧しい人々の暮らす場所となり、豊かな人々が暮らす高台の発展から取り残されていきます。

反ファシスト活動により政治犯として南イタリアに流刑されたカルロ・レーヴィはマテーラのサッシ地区に暮らす人々の惨状を知って驚き、1945年に「キリストはエボリに止まりぬ」を出版します。サッシ地区は近代化から取り残され、神の手も及ばない悲惨なスラムとされ、イタリアの悪夢・貧しさの象徴とされました。

このため1950〜1960年代にサッシ地区の住民2万人は衛生状態の劣悪さを理由に郊外の新興住宅地に集団移住となります。その結果、サッシ地区は人の暮らさぬ廃墟となりました。

しかし、1993年に世界遺産に登録されると、街は脚光をあびるようになります。また、街の景観が古代イスラエルに似ているとされ、幾つもの映画の撮影にも使用されるようになりました。


サッソ・カヴェオーソ地区

大聖堂からサッソ・カヴェオーソ地区に通じる大階段
映画パッションでキリストが十字架を担いで歩いたシーンはこの大階段で撮影されました。



現地ガイドさんによると映画パッションでこの大階段を上った先のゴルゴダの丘は「あっちの丘」
「あっちの丘」はグラヴィーナ渓谷の対岸。丘には天然の洞窟がいくつもありました。

映画でゴルゴダの丘とされた場所
 
 新石器時代から人々が暮らしていた洞窟


サン・ピエトロ・カヴェオーソ教会とマドンナ・デ・イドリス教会

広場に面するサン・ピエトロ・カヴェオーソ教会(左)と岩山上のマドンナ・デ・イドリス教会



マドンナ・デ・イドリス教会とその周辺
岩山を掘った教会であることが良く分かります。周囲には洞窟住居



広場まで来ました。マドンナ・デ・イドリス教会の岩山が凄い。



広場から大階段が良く見えます。



古代を舞台にした映画のロケに使われるというのも納得の雰囲気
サン・ピエトロ・カヴェオーソ教会から見たチヴィタ地区



サン・ピエトロ・カヴェオーソ教会の裏手に回ると渓谷が良く見えます。
渓谷の右手の斜面には洞窟住居が並んでいます。



このあたりの洞窟住居はお土産屋さんなどになってます。



外から見ると普通の建物なんですが、中に入ると洞窟になってるのが一目瞭然
お土産屋さんの中を撮影させてもらいました。
店舗部分がかって人が暮らしていた場所
 
 奥の部屋はかっての家畜部屋

人の暮らす部屋1つと家畜が暮らす部屋1つからなるのが小作人の平均的住宅だったそうです。今では電気も入って明るいお店になっていますが、人と家畜がこんなに近い場所で暮らしていたら酷い衛生状態だったんでしょうね。臭いも凄かったろうし・・・。松尾芭蕉の「蚤虱馬の尿する枕もと」を思い出しました。他にお金持ちの洞窟住居も見学できて、そこは部屋が幾つもありました。

お金持ちの人の寝室。他にも居住用の部屋が幾つかありました。
奥に下の部屋につながる階段


階段を下りていくとかっての家畜部屋。動物のお人形が置いてありました。


更に降りていくとワインクーラー。凄い涼しい。


ちょっといいじゃん、と思ってしまった。まあ、お金持ちの家は別格なんでしょう。

お次は教会。
かってサッシ地区には130以上の洞窟教会があったそうです。
その一つを見学しました。

サンタルチア・アッレ・マルヴェ岩窟教会

教会外観。結構、そっけない。


しかし、中に見事な壁画が残っていて驚かされます。
内部は撮影禁止なので絵葉書で紹介します。




サンタルチア・アッレ・マルヴェ岩窟教会は9世紀にマテーラで最初のベネディクト派の尼僧院として造られました。

岩山を彫られて造られた教会は中央の身廊と左右の側廊からなるパジリカ様式。

中央身廊と左側廊は後に民家として使用されるようになり、柱が切られてかまどにされてしまったりしましたが、右側廊では現在も祭礼が行われており、保存状態の良い壁画を見ることができます。
上の絵葉書は右側廊の祭壇付近。そして右の絵葉書は上の絵葉書の祭壇左横に描かれている聖ルチア。

聖ルチアはシラクサ出身の聖女で殉教者。殉教の際、両目をえぐられたとされており、自分の両目を載せた黄金の皿を持つ姿で描かれます。
右の壁画でも、分かりにくいですが、黄金の皿の上に、丸い目が2つ描かれています。

彼女は目の病気を治してくれると信じられていて視覚障碍者の守護聖人となっているだけでなく、ナポリの船乗りの守護聖人でもあります。カンツォーネのサンタ・ルチアは有名ですよね。彼女の名のついた教会だけあって、美しい壁画です。

祭壇近くの壁画。聖母の戴冠と聖者たち(14世紀)



民家とされてしまった左側廊と中央身廊にも壁画が残っています。

左側廊。手前は柱を切って造られたかまど
 
 中央身廊。柱を切った跡が分かります。

左側廊に残る13世紀の壁画
 授乳の聖母
 大天使ミカエル

こんな見事な壁画を気にすることなく煮炊きしていたとは・・・・
見事な壁画が無残に切られて建材に利用されていたりもします。


ここで暮らしていた人は壁画の美しさに気付く余裕もないほど貧しかったんでしょうか・・・

人々が立ち退かされ、廃墟となったサッシ地区ですが、紹介したお土産屋さんのように修復して利用する人が増えているそうです。ホテルとして修復したり、富裕層やインテリ層、芸術家達が魅力を感じて移り住むようになっているのだとか。かって貧困の象徴だった場所に新たな価値が見いだされ、再生する・・・素敵ですね。マテーラの街は2019年の欧州文化首都に選ばれたそうです。


坂を登って帰ります。
途中、ランフランキ館の展望台からチヴィタの丘とサッソ・カヴェオーソを見ることができました。

 ランフランキ館
 展望台からの眺め


独特の雰囲気のある町でした。

お土産にはマテーラの男性が女性に贈ったククー
雌鶏の形の素焼きの笛です。


地元の人曰く「大きいほど下心も大きい」


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参考文献

ナポリと南イタリアを歩く 小森谷賢二・小森谷慶子著 とんぼの本 新潮社
南イタリアへ!地中海都市と文化の旅 陣内秀信著 講談社現代新書

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。