オスティア・アンティカ

ローマの西南約30q
テヴェレ川の土砂に埋もれたオスティアの町
ローマ屈指の貿易港でした
2017年10月訪問

写真はネプチューン浴場のモザイク


ローマへの空の玄関口であるローマ・フィウミチーノ空港(レオナルド・ダ・ヴィンチ国際空港)の近くに位置するオスティア・アンティカ。オスティアとはテヴェレ川の河口という意味で、今では海から少し離れていますが、古代はティレニア海に注ぎ込むテヴェレ川の河口に位置する重要な港町でした。紀元前4世紀に町が築かれ、前3世紀にはポエニ戦争の軍港・軍事拠点となり、ローマが地中海の覇権を得てからは重要な交易拠点としてローマの発展とともに繁栄していきます。最盛期の人口は5万人にも達しました。
しかし、河口に堆積する土砂により次第に港の機能はアウグストゥス帝やトラヤヌス帝が新しく拡張した港に移り、町は閑静な住宅街と変わって行きます。その後、テヴェレ川の氾濫や疫病により町は衰退し、4世紀ころには町は放棄されました。ローマと歴史が重なる町と言えます。

ひとつの町ですから広大な遺跡です。
見学できたのは一部でしたが、回ったところを書き込んでみました。


駐車場で車を降り、道を進むと、意外に緑が多く、なんとも良い感じ。



まずは、かってのオスティアの町の入口・ローマ門を目指します。石畳の道はローマのサン・パオロ門に通じるオスティエンセ街道。ローマ門という名前の由来はオスティアの町からローマに通じる門だから。ローマ門の手前には古代の墓地・ネクロポリスが続きます。古代ではお墓は衛生上の観点から町の外に造られることになっていました。格子状の石組みなどの技法が見られます。

ネクロポリ

   


ローマ門

かって、ここにローマ門がありました
 
 門のそばに置かれていた石碑


ヴィットリア広場
ローマ門を抜けて町に入ると左手にヴィットリア広場。広場に像が置かれています。
近寄って見ると美しい有翼の女神像でした。
   

日本の本ではミネルヴァとするものが多いようですが、現地ガイドさんはニケと言っていました。
ヴィットリア広場という名前からは勝利の女神ニケかと思いますが・・・ともかく美しい像です。
かっては後1世紀のものとされていましたが、最近では前1世紀のものとする説が有力。


ローマ門から真っ直ぐに伸びる道
町を東西に通るデクマヌス・マクシムス(東西大通り)です。



ネプチューン浴場

通りを進むと右手に現れる階段。ここはネプチューン浴場。


ネプチューン浴場はオスティア・アンティカ遺跡のハイライトのひとつ。階段を上ると、美しいモザイクが見下ろせます。北の玄関には海の神ネプチューン(ポセイドン)と彼の眷属である海の一族、そして、南の玄関には海神の妻アンフィトリテが白黒モザイクで見事に描かれています。

北側 4頭の海馬ヒッポカンポスが引く馬車に乗るネプチューンと海の一族


海馬の下半身はくねくねして一見蛇みたいですが魚。ちゃんと尾ヒレがあります。


イルカに乗ったキューピット


陰になってしまいましたが南側


海神の妻アンフィトリテ


貿易で栄えた港町だから、海神は人気だったんでしょうね。

浴場に隣接して運動場もあります。緑の広場がかっての運動場。


浴場の奥にも建物があります。

消防士宿舎



ネプチューン浴場の北側にある消防士宿舎。

クラウディウスが消防隊制度を導入し、ローマで2度の大火を経験したドミティアヌスが400人からなる消防隊を再編成しました。

遺跡にあった説明図(ひび割れてる)によると2階建ての立派な建物だったようです。

建物はほとんど残っていませんが、中庭部分には政治家や執政官の像を置いた台座がいくつも残っていました。像が失われてしまったのが残念ですね。
また、祭壇らしき場所にはモザイクも残っていました。

柱が立派な祭壇
 
 生贄にされる牡牛のモザイク


デクマヌス・マクシムス(東西大通り)に戻り、通りを進みます。

オルフェウスの石棺
 
 ニンフォエウム(泉)

右上の写真、4本の柱が美しいと思ったら、ここはニンファエウムだったようです。

ニンファエウムというのは泉の神ニンフを祀る場所。元々は泉というか水をたたえた施設だったようです。

左は遺跡にあった説明図。4本の柱の向こうは半円状の泉になっていたようです。柱の上には美しいアーチがかかっていたんでしょう。

柱の裏手に見える壁の様なものは劇場。左の説明図からすると劇場の左右に同じようなニンファエウムが置かれていたようです。市民の憩いの場だったんでしょう。


劇場と同業組合広場



劇場はアウグストゥスが建設し、2世紀末にセヴェルス帝が再建したもの。

収容人数は約4000人。現在も使用されているとのことです。

この劇場の奥は広場になっていて、同業組合広場といいます。
右の写真は遺跡にあった解説模型。

劇場に隣接する形というか、劇場の舞台オルケストラ(半円形中心部)の先に大きな広場があり、広場の中心には劇場と向き合うように神殿・祭壇があります。1世紀ころに建立されたものでケレス神殿ではないかと言われています。

そして、広場を2列の柱が取り囲み、そこに様々な店や工房が並んでいました。

元々は劇場付属の柱廊だったものを、2世紀半ば以降に貿易商の事務所・店舗が集まるようになったのだそうです。

それぞれの店先に、小麦の枡、船、魚など業種や輸入品目が分かるようにモザイクが描かれているので楽しい。モザイクが看板代わりだったようです。

ぐるりと回って見学しました。色々なモザイクが並んでいます。


円柱の基礎部分が残りますがその奥が店舗だったようです。
それぞれの店が意趣を凝らしてモザイクをしてたのが分かります。

貿易商だからか船のモザイクが多い


何か作業中
 
 小麦の枡

人物像は店主の顔?
 
 象の意味は・・?


広場中央の神殿


ケレス神殿との説が有力みたいです。ケレス神はギリシャのデメテルにあたる豊穣神

神殿近くから見た劇場



再びデクマヌス・マクシムス(東西大通り)に。

通りの名を書いた看板?道路標示?
 
 柱の残る建物跡


劇場の近くには商店や集合住宅などが集まっているということで
通りを折れて少し散策。

粉ひき場

 いくつもの石臼が残る粉ひき場
 粉をひくための石臼


ディアナの家

ディアナ女神の陶板が見つかった場所。集合住宅とも旅籠とも言われています。
かっては4〜5階建だったとか。凄いですね。
階段が見えます
 
 壁画も残っていました。


テルモポリウム(居酒屋・軽食屋)

 入口にあるカウンター
 店内の棚

ローマ時代の人々は、このカウンターで温かい食事やワインを楽しみました。
カウンターは数種類の大理石を使った豪華なもの。店先のモザイクや壁画も残ってます。

店の中から見たカウンター周辺
 
 店内の床に埋め込まれた壺


テルモポリウムの近くに展望台があって遺跡を見渡すことができます。
近くのフォロとカピトリウムの横壁
   


フォロは町の中心となる広場


展望台を下りてフォロに向かいます。

カピトリウムの横からフォロへ
 
 フォロに並ぶ円柱


カピトリウム



カピトリウムとはローマのカンピドーリオの丘のカピトリウムにあった神殿にならい、ジュピター(ゼウス)、ユノ(ヘラ)、ミネルヴァ(アテネ)の3神を祀る神殿のこと。
ハドリアヌス帝の時代に建築されたものだそうです。かって神殿を飾っていた白大理石の外装材は失われ、煉瓦の階段、前廊の柱の一部が残っているだけですが、それでも階段の立派さ等から、かっての威容を想像することはできそうです。神殿の前にはアウグストゥス帝像の台座。

フォロ周辺に残る建物の跡



フォロの東端の方に美しい彫刻が置かれた建物がありました。
   

屋根の軒先部分の装飾も美しい


かっては、このように美しい建物が軒を並べていたんでしょうね。

フォロから細い道を入ると面白いものがあります。

公衆トイレ

フォロの近くにある公衆トイレ


会話を楽しんだというローマのトイレ。全部で20席。保存状態が良いですね。
水洗トイレで、お尻は濡らした海綿で拭いたんだそうです。


フォロ浴場

   

オスティアに幾つもある浴場の中で最も大きな浴場、フォロ浴場。フォロの近くにあって、冷浴室・熱浴室・脱衣所・運動場など多くの部屋を持つ大きな建物です。



ガイドさんによる説明はここまで
名残惜しいですが、遺跡入口に戻ります。

一夜にして火山灰に埋もれたポンペイと比べると、
徐々に衰退し、放棄された町なので廃墟感が強い気がします。
しかし、中規模地方都市だったポンペイと異なり、
ローマに近い大貿易港だけあって道もポンペイより広い。
かっての町の賑わいが偲ばれます。


余り日本では有名ではないかもしれませんが
実に見ごたえがある遺跡です。
白黒モザイクの美しさが印象的でした。


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参考文献

ローマ古代散歩 小森谷慶子・小森谷賢二著 新潮社 トンボの本

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。