パエストゥム

南イタリアの小さな町に残る
保存状態の良い3つのギリシャ神殿
神殿が並ぶ様は壮観です。
2017年10月訪問

写真は遺跡南の第一ヘラ神殿と第二ヘラ神殿


ナポリの南東約120q。モッツアレラチーズのための水牛飼育が盛んな小さな町にイタリア屈指のギリシャ遺跡パエストゥムはあります。紀元前8世紀にイタリア南部に進出したギリシャ人は多くの植民市を建設しますが、その一つシバリによって紀元前7世紀に建設されました。

町が建設された理由は、昔は今より海に近く、海からセーレ川の航路で結ばれた場所で交易に適していたこと、しかも肥沃な平野の中にあって農地にも恵まれていたことにあるそうです。

ギリシャ時代の町の名は海神ポセイドンにちなんだポセイドニア。交易拠点として建設されたのですから船乗りが多かったんでしょう。

地の利に恵まれた町は栄え、最盛期の紀元前5世紀には約5万人が暮らしていたとされます。

紀元前4世紀になると内陸部に暮らしていたルカニア人に町は奪われ、町の名もパイストムと変わりますが、ギリシャ文化は引き継がれました。

紀元前3世紀にローマの支配下に入り、町の中心フォロの周囲に円形闘技場や市場が築かれます。しかし、その後、セーレ川の氾濫で町は埋もれ、マラリアも発生したことから町は放棄されました。

右の写真は遺跡にあった地図。かっての町は周囲約5qの城壁で囲まれ、4つの門がありました。発掘されているのは町のごく一部です。

かっての町を南北に貫く「聖なる道」の東側に神殿や公共施設が並び、西側は住宅街でした。

遺跡の見どころはなんといっても見事なギリシャ神殿。ドーリア式(ドーリス式)の神殿が南に2つ、北に1つ、合計3つも残っており、保存状態も見事です。

遺跡の入口は何ヵ所かありますが、南の入口から入って観光を始めました。
遺跡に入って少し進むとすぐに遺跡を南北に貫く聖なる道。
そして、右手(東)に2つの立派な神殿が見えて来ます。左手(西)は住居地区



手前が遺跡で一番古い第一ヘラ神殿(バジリカ)、その奥が第二ヘラ神殿


パエストゥムの神殿は学説の変遷から幾つもの名前で呼ばれています。手前の第一ヘラ神殿はかってはバジリカと呼ばれていました。紀元前6世紀半ばに建てられたパエストゥムで最も古い神殿で非常に多くの柱があるのが特徴。柱の数はなんと9×18本。こんなに柱の数が多いギリシャ神殿は他にないのではないでしょうか。柱が多く、柱と柱の間が狭いのは、この神殿が建てられたころには、まだギリシャ人が石造神殿建築に慣れていなかったから・・・と言われています。

現地ガイドさんが見せてくれた復元図


パエストゥムの建物は多孔質石灰岩で建てられています。かっては漆喰が塗られ彩色されていました。

ギリシャ神殿は朝日が昇る東側が正面。神殿正面の東側に向かいます。

第一ヘラ神殿(バジリカ)



正面、柱が9本並ぶのは凄い迫力。エンタシスの柱が美しい。基壇の大きさは20,5×54,5m。
この遺跡、神殿の内部に入っての見学が可能です。これは嬉しい。しかも、この神殿、内部も変わっていて、神室が列柱により縦に2分されるという構造をしているので、ぜひ中に入ってみるべきです。このような構造から元々はヘラとゼウスのように2柱の神が祀られていたのではないかとの説もあるそうです。ギリシャ世界の中でも非常に珍しい構造の神殿ということでした。

神殿内部


神室内部が列柱で2分されているのが分かるでしょうか。



すぐ隣にも見事な神殿

第二ヘラ神殿(ポセイドン神殿)



第二ヘラ神殿はかってはポセイドン神殿と呼ばれていました。しかし、奉納用のヘラ女神の小像がたくさん見つかったことからヘラ神殿というのが現在の有力説。でも、アポロン神殿だとかゼウス神殿だという説もあって学説が5つくらいに分かれているのだそうです。紀元前5世紀、アテネのパルテノン神殿と同じころに建てられたもので、柱は6×14本、基壇の大きさは24m×60m。



この神殿は最も保存状態の良いギリシャ神殿と言われています。
正直なところ、「最も保存状態の良いギリシャ神殿」って各地に幾つもあるんですが
この神殿は内陣の保存状態の良さが見どころ。この神殿も中に入って観光可能です。

神殿正面から見た内部
内部にも列柱が見えます。
 
 内陣に入って見たところ
内陣の壁の一部や二層の列柱が残ってます。

神殿内部は、かっては壁で囲われ、壁の内側は二層の列柱で三廊に分けられていました。中央の身廊には、おそらくヘラ女神像が置かれていたのでしょう。ギリシャ神殿の多くは内陣が失われているため、このように内部が残っているのは実に貴重です。二層の列柱が実に美しい・・・・。




私たちは神殿内部に入って見学できますが、かっては入れるのは神官だけでした。
神殿の前には一般の人たちが捧げ物をした供物台が残っています。



現地ガイドさんから、第一ヘラ神殿と第二ヘラ神殿の柱を比べて見て、と言われました。
第一ヘラ神殿と第二ヘラ神殿の建築は約100年の違いがあります。
どちらも床の上に直接柱が置かれ、柱頭がシンプルなドーリア式ですが
時代によって変わって行ったことが良く分かります。

第一ヘラ神殿(前6世紀半ば)
柱の上部が細く、真ん中が太いエンタシス
柱頭部分とは柱は分かれています
 
 第二ヘラ神殿(前5世紀半ば)
全体的にほっそりとした柱
柱頭部分と柱が一体化してます

並んで建っているので比べ易い。
ドーリア式は神殿が木造だった時の建築構造が様式化されているそうです。
それにしても、こんな立派な神殿が隣り合って建っているなんて本当に凄い。
なんとも言えない贅沢な気分。

逆光になってしまいましたが、第二ヘラ神殿側から見た2つの神殿


現地ガイドさんによると、この神殿は建設以降「ずっと立ち続けている」神殿。第二神殿は地下にピラミッドみたいな15層もの基礎が造られていて、そのため地震でも倒れなかったとのことです。町が放棄された後も神殿は立ち続けていましたが、次第に町や神殿は森に埋もれ、周囲の人々は遺跡の石を石材の調達場所としながら、その重要性に気付くこともありませんでした。
17世紀に遺跡が発見され、18世紀に発掘が始まり、20世紀にようやく保存が始まりました。

神殿を離れ、遺跡を北に進みます。

神殿近くの沐浴場。神官も神殿に入る前には身を清める必要がありました。



基礎しか残っていないアスクレピアス神殿。医療の神です。



少し進むと広々とした空間

フォロ




ギリシャ時代はアゴラ、ローマ時代はフォロとされた場所。

フォロとはローマ時代の公共広場。ギリシャ時代のアゴラ同様に政治・経済の場です。

右は遺跡にあった説明図。広場を囲む形に屋根付きの回廊が置かれ、ここには商店が入っていました。

フォロの周囲には多くの建物が並びます。市場、バジリカ(裁判や商取引の場所)、ローマ人の主神ユピテル(ゼウス)神殿などが配置されていました。広場に隣接している丸い建物は民会場。

しかし、今は何も残っていないといってよい状態。
後の時代の建築資材として石材が持ち去られてしまったのでしょう。

聖なる道側から見てみました。屋根付回廊があったことがなんとなく分かります。



僅かに残る立派な柱のあと



自由時間に見つけた謎の建物



円形闘技場



ローマ時代の建物の中で比較的保存状態が良いのが円形闘技場。フォロから北に少し進むと煉瓦造りのアーチを持つ建物が見えて来ます。これが円形闘技場です。19世紀に造られた道路によって半分が失われてしまいましたが、元々は円形をしていて、動物と剣闘士の戦いや剣闘士同士の戦いなどのショーが行われていました。紀元0年前後に建てられたものだそうです。




円形闘技場を出ると再び廃墟が続きます。
かっては、ここらへんは高級住宅地だったそうですが・・・。



廃墟の中を北に進み続けると高台に美しい建物が見えて来ました。



アテネ神殿(ケレス神殿)



 東側
破風の残る西側
 


遺跡の北の端に位置するアテネ神殿。
基壇の広さは14×33m。3つの神殿の中では最も小さいけれど、とても美しい神殿です。

この神殿、ケレス神殿と呼ばれることが多いですが、現地ガイドさんによると最近アテネ・ミネルヴァ像が見つかっており、アテネ神殿だったことは、ほぼ間違いないだろう、とのこと。

紀元前6世紀末に建てられた神殿で、パエストゥムに残る神殿の中では第一ヘラ神殿より新しく、第二ヘラ神殿よりは古いものになります。

柱の数は6×13本。この前面の柱の数×2+1を横の柱の数とするのは黄金比率と呼ばれ、神殿が最も美しく見える柱の数とされています。

柱はドーリア式ですが、実はこの神殿の内部の柱は小アジア発祥のイオニア式でした。小アジアとの交易を通じて伝わったのでしょう。

神殿は後に教会にされてしまい、現在内陣は残っていないのですが、遺跡に隣接する博物館に神殿から見つかったイオニア式柱が展示されています。神殿を飾っていた美しい獅子の雨樋も展示されていて、かっての美しさが偲ばれます。

博物館は遺跡のすぐ近くにあって、パエストゥムや近隣の遺跡からの出土品を展示しています。
遺跡北側の出入り口から博物館に向かいます。

博物館に向かう途中に、こんな建造物発見。遺跡を歩いていた時は気が付きませんでした。
形や大きさからすると音楽堂であり議事堂でもあるオデオンでしょうか。



国立考古学博物館

5世紀の壺と蜂蜜
   

パエストゥム遺跡の地下神殿から見つかった紀元前5世紀の壺と蜂蜜。ポセイドニアの創始者に捧げられたもので、壺の中に蜂蜜が入っていました。発見当時、蜂蜜は柔らかかったそうです。


第一ヘラ神殿のテラコッタ製の獅子の雨樋


かっては美しく彩色されていました。

第一ヘラ神殿の彩色された装飾版(復元模型)



ザクロを持つヘラ女神像
ザクロは多産・豊穣のシンボル
 
 テラコッタ製の女性像(一部)
彩色されています。卍の模様が興味深い。


飛び込む人の墓



パエストゥム遺跡から1,5q離れた墓地で、1968年に発見されたギリシャ時代・紀元前460〜470年ころの棺。

床面は自然の岩を掘削し、棺の蓋部分と側面を囲む石灰岩板部に鮮やかなフレスコ画が描かれていました。

特に有名なのが、棺の蓋に描かれた「飛びこむ男」のフレスコ画ですが、側面に描かれたワイン投げ遊び(コットボス)や男性同士の饗宴(シュシポシオン)も見事です。

この博物館の目玉ともいうべきもので、棺に近づくとブザーが鳴り響きます。

全裸の男性が飛び込む姿が描かれた棺の蓋


あの世・来世に飛び込む姿を象徴していると考えられています
   

側面に描かれた男性同士の饗宴


杯に残ったワインを投げるというワイン投げ遊びをしています。


ちょっと謎の遊びですが、宴会でやると盛り上がったんですかね。

ギリシャでは男性同士の愛情が至高のものだったそうです。つまり彼らはカップル。


竪琴や縦笛を楽しんでます。
   

なんとも平和なギリシャ時代の生活が偲ばれます。


こちらはルカニア人の墓



博物館では紀元前4世紀にギリシャ人に代わり町の支配者となったルカニア人の墓なども展示されていました。ルカニア人は内陸部に住んでいた人々で好戦的だったと言われています。人が亡くなると亡くなった人を悼んで戦車競技をしたのだそうで2頭立て戦車が好んで描かれました。




男性の墓には戦士の姿
 
 女性の墓には日常生活

夫婦の墓


夫婦の墓の副葬品には妻が結婚のお祝いに贈られた品も含まれていました。
大事に使っていたんでしょうね。




自由時間があったので遺跡に戻り、聖なる道を散策。



緑も多く、気持ちの良い遺跡です。
子供も気持ちよいのか、聖なる道で跳ねてました。



シチリアのアグリジェンドに並ぶイタリアのギリシャ遺跡といえると思います。
特に遺跡南側に並ぶ2つの大神殿は圧倒されました。
北のアテネ神殿も非常に美しい。
博物館が遺跡のすぐ隣なのも嬉しい。


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参考文献

ナポリと南イタリアを歩く 小森谷賢二・小森谷慶子著 新潮社 とんぼの本

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。