ポンペイの秘儀荘と個人住宅

見事なアレキサンダー大王のモザイクや
ポンペイレッドが鮮やかな美しい壁画
ポンペイの秘儀荘とその他の有名な個人住宅を紹介
2017年8月・10月訪問

写真はディオニュソスの秘儀の壁画(秘儀荘)


ポンペイには見どころとなる多くの個人住宅がありますが、その中でも特に見事な個人住宅はフォロの北、カリゴラの門からエルコラーノ門までの間の住宅街や城壁の外にあります。公開されている場所は突然変わることも多いそうですが、2回の訪問で見学できた場所を紹介します。

まずはフォロ浴場近くの悲劇詩人の家

悲劇詩人の家

入口の猛犬注意のモザイク。


悲劇詩人のモザイク画があることから悲劇詩人の家と呼ばれますが玄関付近のみの観光となりました。玄関部分に猛犬注意の文字と犬のモザイクがあるのですが、モザイクを保護するガラス?が光って写真は上手く撮れません。絵葉書で猛犬?を紹介します。ポンペイには実に多くの犬のモザイク・フレスコ画があります。犬が可愛がられていたんでしょうね。


悲劇詩人の家から東に進むとファウヌスの家に出ます。

ファウヌス(牧神)の家

玄関前にHAVE(ようこそ)のモザイク
 
家の名前の由来となった踊るファウヌスの像
 

ファウヌス(牧神)の家はポンペイ最大の個人住宅。敷地面積が約40m×110mの大豪邸です。
バジリカが24m×55m、フォロが38m×157mですから、バジリカの倍近く、フォロより少し狭いくらい・・というとんでもない規模の家ということになります。遺跡で買った本によるとローマの将軍の甥でポンペイの指導者として派遣された人物の館ではないかとのこと。まあ、これだけの豪邸ですから、偉い人の家なのは間違いないんでしょうね。

玄関を入ると踊るファウヌスの像があるアトリウム


ローマ期のポンペイの住宅では、玄関を入ると雨水を溜める水槽(インプルヴィウム)のある広間(アトリウム)が設けられ、その周囲に小部屋が配置されるのが一般でした。ポンペイでは噴火の火山礫で屋根が壊れてしまい、残っていないのが普通なのですが、当時の住居では水槽上の屋根に開口部が設けられていて、そこから空も見え、陽光が差し込むとともに、雨の日は雨水が下の水槽に落ちていたのです。この水槽のある広間(アトリウム)で、人々はくつろぎました。アトリウムの周囲の小部屋は居間や冬場の食事室として利用されていたそうです。

アトリウム周辺の部屋
 モザイクの残る床
 モザイクと美しい大理石の床


玄関近くのアトリウムの先には中庭。かっては柱廊で囲まれていました。

中庭の先、人々が集まっています。

中庭の先には居間や食堂があり、その先に二層の柱廊で囲まれた更に広い中庭。
人々が見てたのは居間の床のこれ。光って分かりませんね。実は遺跡にあるのはレプリカ



オリジナルはナポリ考古学博物館に展示されています。


世界史の教科書でお馴染みのアレクサンダー大王とダレイオス3世の戦い。イッソスの戦いを描いたとされるモザイク画です。非常に有名なモザイク画ですがポンペイ出土だとは余り知られていないんじゃないんでしょうか。このモザイク画は非常に細かい洗練されたもので、仮に一人の職人が作業したならば20年かかると言われています。屋敷の主の富が偲ばれますね。

博物館ではアレクサンダー大王のモザイクの手前に踊るファウヌスのオリジナルも展示されてます。
現地ガイドさんから、ファウヌスの周りのモザイクもファウヌスの家から出たと教えてもらいました。

踊るファウヌス(牧神)のオリジナル
 
 獅子に乗るキューピットと仮面のモザイク

猫も魚も、とても細かいモザイク。屋敷の主の財力が偲ばれます。
モザイクは色の多さ、細かさで値段が違ってました。
   

ファウネスの家のモザイクは、みんなシックですね。

ファウヌスの家から少し北に移動するとヴェッティの家があります。

ヴェッティの家

入口玄関部分
 
 玄関に描かれた豊穣の神プリアポス

玄関に奇妙な絵が描かれていて、びっくりさせられるヴェッティの家。なんと自分の巨大な性器と金貨の入った袋を天秤にかけている男性が描かれています。これは豊穣の神プリアポス。巨大な性器は繁栄のシンボルで、魔除けの意味もあったそうです。ポンペイの時代のローマ帝国は性的に大らかな時代。日本の金精様が豊穣や商売繁盛にも霊験あらたかといわれたのと同じ感じ?


ヴェッティの家はアウロス・ヴェッティウス・レストィトゥスとアウロス・ヴェッティウス・コンピーパ兄弟の家。

当時の大金持ちで、大地震の後、金に飽かせて自宅を直ちに修復したらしく、この家の壁画は62年の大地震後、79年の大噴火までの間に描かれています。二人は解放奴隷だったと言われているのも興味深い。

ヴェッティの家はアトリウムや円柱で囲まれた中庭(ペリステリウム)の美しさで有名です。
長らく修復中で見学できませんでしたが、2017年8月には玄関部分だけ、10月には家の中に入れたものの、中庭は修復中らしく写真の幕がかかり、アトリウム付近のみの公開となっていました。入場には人数制限もありました。
一部しか見学できないのは残念でしたが、公開されているアトリウム付近だけでも十分見ごたえがあります。

左の写真は玄関を入ってすぐのアトリウム。かっては中庭から明るい陽光が差し込んでいたのでしょう。アトリウムの両側には金庫が残り、壁面に描かれた帯状装飾も見事です。

美しい帯状装飾
 
 可愛いキューピット

アトリウム周辺の部屋。保存状態が今一つですが、かっての美しさは十分に想像できます。
   


アトリウムから右に進んだ居間。ここには見事な壁画が残ります。


ウルカヌスによって車に繋がれたイシオン
 
 眠るアリアドネとディオニュソス


ヴェッティの家の見学後、秘儀荘を目指します。まずはエルコラーノ門へ。
途中にも、見どころがあります。

公共の水場
 
 パン屋 碾き臼の背後にはパン焼き窯


エルコラーノ門

ポンペイの城壁、エルコラーノに通じる道にあるエルコラーノ門



墓地通り

ポンペイの城壁はポンペイがローマ支配下に入る前のサムニウム人の時代にローマの侵攻に備えて築かれたものです。ポンペイの町が紀元前3世紀末にローマ支配下に入り平和な時代が訪れると、城壁はその役割を終え、城壁の外にも多くの建物が建てられるようになりました。

目指す秘儀荘も、そんな建物の1つですが、門を出ると、まず、ローマ時代の豪華な墓地が並んでいます。

お墓と言っても、まるで建物のような立派なものが多い。ローマ時代はお墓詣りの時に、お墓で食事をしたとのことで、ベンチのあるお墓も多いです。お墓と言われないと家だと思いますよね。

ローマ時代は火葬だったそうで、火葬台と呼ばれるものもありました。骨が埋葬されているそうですが、どうやって火葬したんだろう・・。
当時は葬儀の時に泣く役を務める泣き女という職業もあったそうです。

この墓地通りで目を引く立派な墓はきっとお金持ちのお墓だったのでしょう。円形のトロスを備えた美しい墓もあって、マミアという女神官の墓だとのことでした。トロスの一部分しか残っていませんが、実に美しい。

美しいマミアの墓
 
 立派な墓が並びます

秘儀荘に行く途中にあるディオメデース荘からは噴火の犠牲者が数多く見つかっています。
発掘の際、多くの空洞があることから石膏を流し入れたところ、多くの犠牲者の姿が現れたのです。
石膏の犠牲者の像は遺跡の色々な場所に置かれていて、ちょっと見るの辛いです・・・。

エルコラーノ門から500mくらい歩いたところに秘儀荘はあります。
観光しながらだと10分くらいかかるでしょうか。


秘儀荘

ヴェスヴィオ火山を背にした秘儀荘



秘儀荘は眼下に見下ろす形で現れます。火山灰の下から発掘された秘儀荘の屋根は現在の住居より、ずっとずっと低い場所にあります。

ポンペイに積もった火山灰の深さは6mと言われています。火山の威力の凄まじさを思い知らされますね。

秘儀荘という名前の由来は、この建物からディオニュソスの秘儀を描いたとされる見事な壁画が見つかったことにあります。

ポンペイの赤・ポンペイレッドと称される独特の赤地を背景に等身大の人物29人が描かれた壁画で、様々な解釈があるものの、当時流行していたディオニュソス信仰への入信の儀式を描いたとするのが最も有力な説。

ディオニュソスはワインの神、豊穣の神,そして演劇の神。ローマ時代はバッカスと呼ばれました。その信仰は集団的狂乱と陶酔を伴うもので多くの熱狂的女性信者を集めていましたが、体制からは熱狂性ゆえに禁教とされます。秘儀荘が城壁から離れた場所に建てられたのは禁止されたディオニュソス信仰の場・秘密結社だったから、とする説もあるようです。

秘儀荘に入ります。現在の入口は実は本来の入口ではなく、かっては別の場所が入口でした。秘儀荘は紀元前2世紀ころは小さな建物だったのが、増改築を重ね、次第に豪邸に成長していったことが分かっています。紀元62年の大地震の後は農業会社として使われ、本来の入口には荷馬車が入れるようになっていたそうです。禁教の秘密結社という説とは随分印象が違いますね。オリーブオイルで富を築いたという説もあるとか。公開されているのは一部ですが美しい建物です。

 現在の入口を飾る美しい装飾の柱
足元を見ると 床のモザイクも見事


花網装飾のある部屋



美しい装飾柱が並ぶ柱廊から秘儀荘に入り、床のモザイクが美しい廊下を進むと最初に現れるのが、この花網装飾のある部屋。

この部屋は中に入ることもできて、美しいフレスコ画を間近に見ることができます。

現地ガイドさんによると、この部屋は神殿の中にいることをイメージして描かれたものなのだそうです。

部屋の入口から見て正面の壁には扉が描かれており、この扉から神殿の中に入った、というイメージなのでしょう。

壁には柱が描かれ、色の使い方が実にセンスが良い。イタリアの人たちは色のセンスが良いですけど、センスの良さは2000年以上の伝統なのですね。ポンペイというとポンペイレッド・赤が有名ですが、黄色や水色、緑、黒の使い方が見事です。

そして、何より目を引いたのが、黒壁の上に描かれた花の装飾。遺跡で買った本では、「花網装飾」と書いてありましたが、カーブを描く白い花の流れが、繊細で実に美しい。

美しい花の流れ



アトリウム



雨水を溜める水槽を中心に中庭に面していたアトリウム。かっては陽の光が差し込む明るい部屋だったのでしょうけれど、現在は修復工事の幕がかかっていて(中庭の写真がプリントされていますが)暗い雰囲気。何より、部屋に置かれた噴火の犠牲者の石膏像が不気味な雰囲気を出していて、足早に出てしまいました。

続く部屋も壁が黒い地味な部屋なので、よく見ずに出ようとしたら、現地ガイドさんから「この部屋にはエジプトの神様が描かれているんだよ」と声がかかりました。

よく見ると部屋の壁の下の方に小さくエジプトの神々が描かれています。
壁自体も単に黒く塗られているだけでなく、繊細な模様が描かれているのが分かります。

ポンペイにはエジプトの女神イシスを祀るイシス神殿もあり、当時のローマ帝国の人々はエジプトの神々も受け入れていました。ローマの神々はギリシャの神々と同一視されていたし、多神教の世界っていうのは大らかなんでしょうね。秘儀荘というとディオニュソスの秘儀ばかり注目されますが、この部屋はちょっと違う側面も見せてくれて興味深い。

小さく描かれたエジプトの神々



エジプトの間から、隣の部屋の壁画がちらりと見えました。
ポンペイレッドが鮮やかな部屋です。
踊るサテュロスの間と呼ばれているようです。


 ポンペイレッドを背景に描かれた人物像
 踊るサテュロス

踊るサテュロスの間の隣がいよいよ最大の見どころです。

ディオニュソスの秘儀の間


ポンペイレッドの地を背景に描かれた多くの等身大の人物。
まるで絵巻物のように、それぞれの人物が個性的に描かれています。
緑の舞台の上で一連の劇が演じられているようでもあります。


この壁画をめぐっては多くの解釈がなされていますが、入口正面、椅子に座る人物(顔が失われています)が、ディオニュソスの妻アリアドネ、そして、アリアドネにもたれかかっているのがディオニュソスということについては争いがないようです。

ディオニュソスは奇蹟をもたらす長い霊杖テュルソスを足にかけていて、既に酔っぱらっているのか右足のサンダルは脱げています。壁画が損なわれていますが恍惚の表情でアリアドネを見ているようです。

ディオニュソスとアリアドネの結婚は天上の結婚、幸福を象徴するとされ、この壁画はディオニュソスの秘儀・ディオニュソス信徒の入信儀式を描いたとするのが現在の有力説。

遺跡で買った本を元にまとめます。

部屋の中には入れず、入口から写真を撮るしかないのですが頑張って撮ってみました。
部屋の入口から見て左から右に物語は進みます



(教理伝授)左端に立つ女性は入信者なのか女主人なのか。女性の前で少年ディオニュソスが儀式作法を読み、その背後に座る伝授者が巻物を左手に持って少年を見ています。
(奉納の儀式)その先に座り背中を見せている儀式を司る女性に召使たちが食べ物を運んだり、テーブルを整えています。お盆を手にした女性は結婚のシンボルの冠をしており、お腹は妊娠しているようにも見えます。奉納の儀式の横ではディオニュソスの従者シノレスがうっとりとした表情で竪琴を奏で、その後もディオニュソスの従者サテュロスのグループが続きますが、その間に恐怖におののく黒いマントの女性が描かれています。

 少年は裸ですがブーツを履いてます
奉納の儀式から恐怖におののく女性まで
 


恐怖におののく女性の周囲はディオニュソスの従者とされるシノレスやサテュロス。シノレスもサテュロスも好色で野性的な山野の精で、シノレスは鼻が低く太鼓腹の老人で表わされることが多いそうです。竪琴(リラ)を奏でるシノレスの横ではサテュロスが縦笛を吹いており、その横では女サテュロス(サティリスカ)が小鹿に自分の乳を飲ませています。恐怖に震える女性は何に怯えているのか。その先の場面でサテュロスが掲げている恐ろしい仮面に怯えているのだとも、更にその先の鞭打ちの場面に怯えているのだともされています。仮面を掲げるサテュロスの前には太ったシノレスがサテュロスに酒を飲ませています。何か象徴的な意味があるのか・・・不思議な展開。

 小鹿に自分の乳を飲ませる意味は・・・?
 なぜ仮面を掲げているのか。単なる酔っ払い?


正面の壁画


酒を飲ませているシノレスや仮面を掲げているサテュロスの先にディオニュソスと座るアリアドネ。
その横のひざまずく女性はベールを取ろうとしているところ。ベールの中には受胎のシンボル・ファロスがあるのだそうです。そして、その横では黒い羽根を持つ女神が右の女性に鞭を振り上げています。鞭打たれようとする入信者の女性は案内役の女性の膝に逃げ、助けを求めています。
そして、試練を乗り越えた女性は裸で喜びの踊りを踊っています。後ろの女性は長い神聖な棒テュルソスを持っています。本来ディオニュソスの杖でしたが後に信徒も持つようになりました。



恐ろしいけれど魅力的な黒い羽根の女神
 
 恐怖を乗り越えた後の喜びの踊り



踊る女性から窓を挟んで、こんどは場面は一転して美しい若い女性が座って身支度をしている場面に移ります。キューピットも鏡を差し出して彼女の身支度を手伝っています。
儀式を終え、入門者が神聖な結婚のための身支度をしているところだそうです。

実際には部屋の入口から見えない壁画があるそうですが、見学できるのは以上の壁画です。

ディオニュソスの「秘儀」というと、色々と妄想が広がったりもしますが、子供のいない女性や結婚したばかりの女性が多産になるようにと祈願して加入する宗教だったようです。この壁画が本当にディオニュソスの秘儀を描いたものなのかについては既に述べたように争いがあるのですが、壁画に接すると美しさに見とれてしまい、そんな難しいことはどうでもよくなってきます。

右の若い女性の可愛らしい美しさ、鞭を振り上げた黒い翼の女神?の魅力。顔が失われたとはいえ、何とも言えない存在感のディオニュソスとアリアドネ・・・。純粋に素晴らしい絵画だと思います。2000年も前に、こんな素晴らしい絵画が描かれていたというだけで物凄いことなんじゃないでしょうか。

ポンペイレッドは火山灰に埋もれたことで化学変化が起きたものとする説もあるそうです。
それにしても地方の中規模都市にこれだけの美しい豪邸があったとは・・・
しかも、それぞれの邸宅には主の趣味を反映したのか個性を感じます。
ローマ帝国の凄さを思い知らされました。


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参考文献

ポンペイ 古代の遺跡を再現 日本語版 ARCHEOLIBRI(遺跡で購入)
ポンペイ 今日と2000年前の姿 日本語版 CASA EDITRICE PERSEUS(遺跡で購入)
ナポリと南イタリアを歩く 小森谷賢二・小森谷慶子著 新潮社 とんぼの本
世界遺産ポンペイの壁画展(2016年−2017年)
血塗られた神話 森本哲郎編 文春文庫ビジュアル版

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。