タルクィニア ローマの北西約50q ティレニア海に面した港町タルクィニア 謎の民族エトルリアの中心だった場所です。 2017年10月訪問 写真はネクロポリスの豹の墓
ネクロポリ
各墓の入口が小さいので各自勝手気儘に見学することに。 実際に見学したところを遺跡の地図に書き加えてみました。 軽業師の墓(前6世紀) 遺跡入口に近い軽業師の墓。 右側で杖を持って腰掛けているのが、この墓の被葬者 三角破風には右に青い豹。左に赤いライオン 回る女性の燭台の上に男性が円盤を投げようとしているところ。 狩りと漁の墓(前6世紀) 2室から構成されていて、見どころは奥の部屋 船に乗って漁をする人々と、鳥を狙っている人が描かれています。
雌ライオンの墓(前6世紀) 正面には大きなワイン壺を中心に踊る人々。 左右には寝そべる男性。右側の男性は命のシンボルの卵を持っています。 三角破風の下に描かれている2匹の赤い雌ライオンが墓の名前の由来 雌ライオンというだけあって、おっぱいが目立ちます。 人々の下に描かれているイルカも跳ねているようで楽しそう。 豹の墓(前5世紀) 破風の下には2頭の白豹 正面は長椅子に横たわり宴会に興じるカップルと給仕する召使 当時、宴会の席では人々は長椅子に横たわりながら料理や会話を楽しみました。 白い肌の人物は女性のようです。男女2組と男性1組のカップル。
中心の男女のカップル 楽師たち。笛を吹いたり、竪琴を奏でたり・・・ 左側にも男性がずらり
カロンティの墓(前3〜2世紀)
前3世紀はローマのエトルリアへの攻撃が始まった時代。そういった世相も関係しているのか・・・ ネクロポリ観光後はタルクィニアの町の考古学博物館に移動しました。 国立考古学博物館
海上交易で繁栄したエトルリア。交易の広さが分かります。
ギリシャの影響は特に強かったようです。 ゼウスに給仕する美少年ガニュメダ、ゼウスの左隣にはアテネ
エトルリアの特産品。黒くて硬い陶器。製法は国家機密でした。 エトルリア文字は西ギリシャ型のアルファベットが使われています。 ギリシャの影響が文字にも認められるわけですが、右から左に書くのが特徴 読み方は分かるものの意味が分からないところが多いのだそうです。 黄金の細工もありました。どれもとても小さく、技術が素晴らしい。
多くの石棺・陶棺も博物館の見どころのひとつ。 前7世紀ころから石棺・陶棺が造られるようになります。絵やレリーフで棺は飾られました。 棺の蓋には死者の姿。初めのうちは死者の彫像は平坦なものでした。 次第に死者の上体が起きてきます。美しい女性ですね。
太ったお腹に、しわのある顔。写実性はエトルリアの特徴。 このエトルリアの写実主義がローマの肖像彫刻に引き継がれたのだそうです。 ネクロポリから運ばれた壁画(前6〜前5世紀)も展示されています。 こちらはオリンピック競技の墓。右には円盤投げの選手。 エトルリアではギリシャの影響でオリンピックが行われていました。 しかし、全裸だったギリシャと違って選手たちはスポーツベルトをしています。 反対側の壁画は2頭立て馬車競技。前を走る御者は振り返って後ろを見ています。
写真展示にも興味深いものが多かったです。
この博物館で最大の見どころ、 有翼の馬の陶板レリーフ タルクィニア近郊の女王の祭壇とも呼ばれる神殿から発見されたもの。前4世紀ころの作。 かっては神殿の破風を飾っていました。元々は馬車を引いていたようです。 エトルリア芸術の頂点と言われるとのことですが、それも納得の美しさ。
余りに美しいので無駄に撮りまくってしまいました・・・ 結ばれている尻尾も綺麗。 隣の部屋にも興味深い出土品 牡牛を屠るミトラ
博物館からは近くの海が見渡せます。 この海に古代のエトルリア人は乗り出して行ったわけですね。 博物館の写真展示で見た忘れがたい一品 意志の強そうな美しい女性像 イタリア周辺の遺跡に戻る 参考文献 ローマ古代散歩 小森谷慶子・小森谷賢二著 新潮社 トンボの本 エトルリア文明 ジャン・ポール・テュイリエ著 青柳正規監修 創元社 知の再発見双書 21世紀世界遺産の旅 小学館 いちばん親切な西洋美術史 池上英洋・川口清香・新井咲記 新星出版社 基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。 |
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