ハドリアヌス帝の別荘

ローマの東約30q、車で1時間弱のティヴォリ
ハドリアヌス帝が造った理想郷
ハドリアヌス帝の別荘があります。
2017年10月訪問

写真はカノプス


ハドリアヌスはローマ帝国の最盛期を築いたと言われる五賢帝の3番目の皇帝にあたります。ローマ帝国の領土を最大に広げたトラヤヌス帝が死の間際に彼を養子に指名したことから117年に即位しました。

もともとトラヤヌス帝の従兄弟の子であることからトラヤヌス帝の補佐役として軍事的に優れた手腕を振るっていましたが、皇帝となってからは前帝の拡張路線は継承せず、広大な領土の維持・安定に努めました。

ハドリアヌス帝は軍事・法律・経済・文学に優れていただけでなく土木・建設にも優れた万能の皇帝と言われ、ハドリアヌスの長城を築いたり、パンテオンのような独創的な神殿を建てています。この別荘も広大な領土の視察を繰り返した中で、各地で見た美しい建物や景色を再現しようとして建設したものと言われています。

右は遺跡入口にあった復元模型。別荘というより、まるで一つの町のようです。皇帝の場合、別荘で保養するときも軍隊が同行していたから・・とのことですが、凄いですね。

もっとも、修復中の所も多く、全部を見て回ることは難しいみたいです。

こちらは案内図。主だった見どころだけを見て回りました。


実はこの遺跡、駐車場で降りてからの距離が結構長い。緩やかではありますが上り坂の坂道を延々と上って行かないといけません。ティヴォリは田園地帯を見下ろす丘陵地帯にあり、坂が多いのだそうです。ティヴォリには元々はサピー二族が暮らしていましたが、紀元前338年にローマに併合されると、ローマに近く、美しい風景に恵まれていることから別荘地となりました。パルミュラの女王ゼノビアがローマに送られた後、この地に別荘を与えられたという説もあるそうです。

坂を上りきると城壁のような壁が見えて来ます。

高い壁
 
 壁の向こうには大きな池

ポイキレ



長方形の大きな池のある場所はポイキレ。ポイキレというのはギリシャ語で彩色回廊という意味。ここには長方形の池を囲んで232m×97mという大きな柱廊があったそうです。今では柱廊の面影はほとんどありませんが、何とも言えない清々しい雰囲気。また、ここからは見えませんが、実はポイキレの西の基礎部分には百の小房と呼ばれる小さな部屋が並んでいます。

池に沿って東に歩くと建物が見えて来ました。


ポイキレの東側には幾つもの建物が見えるのですが、まずは南側に向かいます。
幾つも柱があります。大理石のようです。さすが皇帝の別荘。



3つのエクセドラのある建物



エクセドラというのは建物の半円状になっている部分のこと。この建物、三方にエクセドラがあることから、3つのエクセドラがある建物、と呼ばれています。実際に行ってみると3つの部屋が続いているという印象。
この場所は皇帝の私邸部分で、食事・宴会の部屋だったと考えられているそうです。

奥の部屋への入口が封鎖されていて、中には入れないのですが、覗いてみたのが左の写真。中央に四角く囲まれた部分があるのが分かります。この四角いところには、かっては噴水・ニンフェウムがあり、床は豪華な大理石で囲まれ、更に周囲には円柱が並んでいました。

この部屋の手前は広間のようになっています。真ん中に四角く大理石の板があるのですが、何か意味があるのか、単にかっては広間全体の床が大理石で飾られていたという意味なのか・・

そして、広間を挟んで、やはり立ち入り禁止になっている区画があって、ここにも噴水の跡らしきものがありました。

回り込んで撮ってみたのが下の写真。円柱も見事だし、かっては3つの部屋を使って大宴会を催すことができたのではないでしょうか。




更に南を目指します。左手(東側)にも幾つか建物があるのですが、西の景色も面白い。


広々とした空間が広がっていますが、どうやら、ハドリアヌス帝はここにアンティノウスの墓苑を建設しようとしていたようです。アンティノウスは皇帝に溺愛された美少年。130年にアンティノウスがナイル川で謎の溺死をすると皇帝は嘆き悲しみ、彼を神格化した像を作ったりしました。皇帝はアンティノウスの壮大な墓苑を計画しますが、完成前に皇帝は病死。皇帝の思い入れが強すぎて、計画に凝りすぎ、贅をつくし過ぎたために未完だったのだとか。
また、上の写真、右手に壁の様なものがあり、そこに幾つも窓の様な入口のようなものが開いていますが、実はここがポイキレの基礎・土台部分にある百の小房と呼ばれるもの。倉庫か警備兵の宿舎だったと考えられているそうですが、この上にポイキレがあるというのも凄い気がします。
更に、手前に溝のようなものが横に走っているのが分かるでしょうか。これは建築資材の運搬車両や作業員や召使たちが皇帝の目に入らないように造られた通路・地下道なんだそうです。

百の小房と掘られた通路
 
 通路が通じるトンネル


更に南に進むと美しい円柱とアーチ、彫刻が見えて来ます。

カノプス

ハドリアヌス帝の別荘のハイライトであるカノプスです。カノポスとかカノープスとも呼ばれています。

近付くと、横たわる形の人物像が2つ。右の写真では1体しか写っていませんが、実際には左側にもう1体、対になる形で置かれています。

2つの像はナイル川とテヴェレ川を擬人化したもの。テヴェレ川はローマ市内を流れる川で、イタリアで3番目に長い川。ローマに近いこの地にテヴェレ川の像が置かれているのは理解しやすいですが、なぜ、ナイル川も?と思いますが、それは、ここがエジプトをイメージしたものだから。

カノプスはエジプトのアレクサンドリア近郊のデルタ地帯にある町の名前。ナイル川から引かれた運河があり、夜祭で有名な場所だったようです。皇帝は、その町を別荘の中で再現しようとしました。

カノプスの細長い池はナイル川の運河をイメージしたものなのでしょう。でも、同時に、ここにはギリシャ風の彫刻も置かれていて、不思議な統一感を生んでいます。エジプトとギリシャを合体した皇帝の理想郷なんでしょう。


美しい彫刻はギリシャ風
 
 ワニはエジプトのイメージでしょうね

かってはアーチが池を囲んでいたんでしょう。


更に南に進むとアテネのアクロポリスのエレクティオンの女人柱像(模刻)も現れます。


彫像はカノプスの北側に集中していますが、
かっては池の周囲にずらりと置かれていたのでしょう。


カノプスの南端には大きなドームを持つ建物があります。この建物、かってはエジプトの神セラピスを祀る神殿ではないかと考えられていました。というのも昔は出土品の管理・調査が不十分だったので、別荘のどこかで見つかったセラピス神像をエジプトをイメージしたカノプスに結びつけて考えたようです。しかし、その後、調査が進み、セラピス像は百の小房付近から出土されたことが分かり、更に、この建物の一角からトイレが見つかったこともあって、現在では神殿ではなく宴会場だと考えられるようになっています。美しいカノプスを眺めながらの宴会は楽しかったでしょうね。
この宴会場の横からはからは見晴らし台に上ることもできて、そこからの眺めは最高です。

宴会場のドームと円柱
 
高台から見た宴会場
 

宴会場の裏手には水道橋もあります。


展望台から見たカノプス全景


美しいカノプス。その中でもエレクティオンの女人柱像に魅かれました。
ハドリアヌス帝はギリシャ趣味でギリシャ文明に傾倒していたそうです。
   

贅沢な空間


カノプスからポイキレに戻ります。

途中、先ほどは通り過ぎた東側の建物を見学

プレトリオ



兵舎とされていましたが、最近では貯蔵庫との説が有力。


大浴場



大浴場と言われるだけあって、とても大きな建物です。大きなドームや数は少ないとはいえ今も残る立派な大理石の円柱から、かっての豪華さがしのばれます。冷浴室・熱浴室などに分かれていて、体育場や休憩室もありました。特別なゲストのためのもてなしや、兵士とのコミュニケーションに皇帝が入ることもあったそうです。

   

小浴場もあるんですが、残念ながら時間の関係で見学できず。
ポイキレの北東に位置する建物に向かいます。

哲学者の間

ポイキレ方向から見た景色
 
 思いっきり逆光になってしまいましたが・・・

ポイキレから見ると丸いドームが目に付く建物。回り込んで撮ったのが右上の写真。哲学者の間と呼ばれていますが、皇帝の読書室だったのではないかと考えられているようです。かなり広い部屋ですが、ここで一人で本を読んでたんでしょうか・・・。この哲学者の間の先には皇帝の私的空間・私的宮殿の建物が続きます。


海の劇場(島のヴィッラ)



哲学者の間のすぐ隣にあるのが「海の劇場」とか「島のヴィッラ」と呼ばれている建物。カノプスと並ぶハドリアヌス帝の別荘の見どころ・ハイライトとされている独創的な建物です。

現地ガイドさんによると長らく修復中で観光客には開放してなかったとのこと。私たちが行った時も、「開いているかな」と心配していました。入れて良かった。

右は遺跡にあった復元図。この建物は円形の建物で真ん中に円形の小さな建物があり、その周囲にリング状の池、そして池の縁にそって丸く柱廊が配置されています。

皇帝が個人的にくつろぐための建物だったそうですが、かってはさぞ美しかったに違いありません。どこかにモデルがあったのか。

真ん中の建物が海に浮かぶ島のようです。


池の縁に残る柱廊の美しい円柱
 
 真ん中の建物の柱も美しい

通行止めになっていて一周できないのが残念


海の劇場の先にも宮殿の様々な建物があるのですが、時間の関係で残念ながらここまで。
でも、ハイライトのカノプスと海の劇場が見られて良かった。


今では評価の高いハドリアヌス帝ですが晩年は元老院と対立し
死後、業績が消されそうになったりもしたそうです。
政治の軋轢とか避けて、自分の描いた理想郷でゆっくりしたかったんでしょうね。
皇帝が別荘でくつろげたのは残念ながら僅かな時間だったそうです。


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参考文献

ローマ古代散歩 小森谷慶子・小森谷賢二著 新潮社 トンボの本
過去と現在 ローマ 日本語版(遺跡で購入)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。