ジェラシュ

ヨルダンの首都アンマンから車で1時間弱。
ジェラシュは「中東のボンペイ」とも呼ばれる遺跡です。
2003年8月訪問

写真はゼウス神殿(左上)とローマ劇場(右上)


ジェラシュはシリア国境とヨルダンの首都アンマンの中間ほどに位置するローマ都市の遺跡です。ローマ帝国の支配下で2・3世紀に絶頂期を迎えたこの都市が749年の大地震で廃墟と化し、砂に埋もれていきました。そのため、かえって保存状態が良く、「中東のボンベイ」とも評されます。

遺跡の入口からすぐ左手に巨大なゼウス神殿と、そのすぐ近くにローマ劇場が見えます。写真の左手、列柱があるのがゼウス神殿。その右手がローマ劇場です。


ローマ劇場

ジェラシュにはローマ劇場は2つあり、これは南劇場とも呼ばれます。

このローマ劇場はボスラの劇場にはかなわないものの、なかなか保存状態も良く、特に音響効果が良いことから、今でもフェスティバルの会場として利用されているそうです。

私が訪れた時もフェスティバルの準備で劇場にはスピーカー等が置かれていました。

ジェラシュは紀元前64年にローマ帝国の属州となり、その後、10の町からなる連合都市デカポリスの一つとなってローマ帝国の繁栄に伴うように繁栄していきます。

ペトラが106年にローマの支配下に入ってからは東方との交易路も繋がり、更なる繁栄を迎え、2・3世紀には人口2万5000人の都市に成長します。

ジェラシュにローマ劇場が2つあるのも、その繁栄ぶりを伺わせます。
この南劇場の収容人数は3000人だそうです。

この劇場の観客席最上段までくると、ジェラシュ遺跡を見晴らすことができます。
遺跡を見るためにも、是非、登ってみることをお勧めします。


ゼウス遺跡

ローマ劇場から見たゼウス遺跡


ゼウス神殿は、元々はヘレニズム時代に建てられたものですが、この建物は2世紀に建造されたもの。神殿の壁と神殿を取り巻いていたであろう円柱が残ります。



フォーラム

ローマ劇場から見ると円形を描く列柱が見下ろせます。
これはフォーラム。



写真中央に楕円形の広場があり、その広場を列柱が取り囲んでいます。この広場がフォーラムです。この広場は市場や宗教的儀式に使用されたと考えられています。

この広場から列柱道路が一直線に伸びていて、その距離は800m。パルミラにはかなわないものの、かなりの規模の列柱道路です。



列柱道路

フォーラムから列柱道路を進みます。


パルミラの柱に比べれば、柱も細いし、背も低いけど、なかなかどうして綺麗な立派な列柱道路です。何より、この列柱道路の石畳は、当時のものがそのまま残っています。馬車の轍の跡も残っているのは結構感動します。ところどころ、石畳が持ち上がっているのはジェラシュを襲った地震の跡。地震で破壊された柱や建造物も多かったんでしょうね。

   



ニンファエウム

列柱道路を進むと美しい建物に出ました。ニンファエウムです。


ニンファエウムというのは、ニンフに捧げた建物。もともとは泉というか、水をたたえた施設だったそうです。ジェラシュは、とても暑く、日差しも強い。街が栄えていたころは、きっと、市民の憩いの場だったに違いないと思います。



大聖堂

ニンファエウムの、すぐ横にあるのが大聖堂。

ここは、大聖堂の入口。

ここを入ると階段になっているのですが・・私が訪れたときは、ここもフェスティバル会場で準備に忙しかった。

この大聖堂は4世紀に造られたものですが、元々はナバタイ人の神殿が基になっているそうです。

結構、奥行きのある建物でした。

この建物の裏手の方に、6世紀ころに建てられた聖ジョージ教会など、幾つかの教会の跡があります。

聖ジョージ教会の床には、モザイクが残っているのですが・・残念ながらあまり保存状態はよくありません。

ジェラシュ遺跡には、現在の段階で15ものビザンチン時代の教会の跡が発見されているのだそうです。

ローマ帝国が分裂した後も、ビザンチン帝国(東ローマ)の支配下でジェラシュは栄えていたわけですね。

しかし、7世紀に入るとイスラム軍が侵攻し、636年にはイスラムに征服されます。そして、749年に大地震がジェラシュを襲うわけです。



アルテミス神殿

大聖堂のすぐそばにある立派な神殿がアルテミス神殿です。


アルテミス神殿には立派な円柱が11本も残っています。地震に襲われながらも、これらの円柱が残ったのは実は耐震構造となっているから。この柱、13mもあるということですが、柱の基礎部分に丸みが付けられていて、地震が来ても柱は揺れるものの倒れないようになっているのだそうです。揺れて地震の衝撃を緩和するという五重塔のような発想。耐震構造というよりは免震構造と言った方がいいのかもしれません。柱の基礎部分に指を入れて構造を確認することができます。

地震には崩れなかったアルテミス神殿ですが、現在、神殿が破壊されているのは十字軍によるものだそうです。

   



北門

遺跡の北の端に門がありました。




ジェラシュはかなり見ごたえがあります。
「中東のポンペイ」と言われるだけのことはあります。
これだけの遺跡なのに世界遺産にはなっていないのは不思議。
世界遺産の基準というのも、よく分かりませんね・・・。
ヨルダンではペトラに次ぐ遺跡なのではないでしょうか。


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参考文献

イスラムの誘惑(新潮社)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。