ぺトラ

遊牧民が岩山に囲まれた渓谷に築いたペトラ.
薔薇色の都市とも呼ばれます。
ペトラの魅力はそのロケーションと岩の美しさでしょう。
2003年8月訪問

写真はエル・ハズネ


ペトラを築いたのは、アラブの遊牧民で隊商を組んで交易を行っていたナバタイ人です。ナバタイ人は、岩山が迫るこの土地を紀元前4世紀ころから天然の要塞として利用し、自分たちの都として築き上げました。ペトラに行くには、高い岩が左右に迫るシークと呼ばれる岩の裂け目を2キロも歩く必要があります。

ペトラは紀元6年にローマ帝国に併合され、ナバタイ人の首都としての歴史はそこで終わりましたが、その後も、ローマの支配下で繁栄します。

しかし、4世紀の地震でペトラは大きな被害を受け、更にその後、交易路の変更などで次第に衰退します。
そして、6世紀ころからはシークの奥のペトラはベドウィン達しか知らない忘れられた場所になっていきました。

ペトラ遺跡の入口から、シークまでも1.5Kほどありますが、シークの手前に右の写真のような岩山を彫った建造物(と言っていいのでしょうか)が現われます。

これはナバタイ人が造ったもの。
ナバタイ人は、このように岩肌を彫って建造物を築き上げるのが得意だったそうです。

神殿のようにも見えますが、実は墓。
オベリスクの墓と呼ばれています。

名前の由来は墓の上部を飾っている4つのオベリスク。

エジプトの影響を受けているわけですね。

下の方の浮彫も綺麗です。


この墓から、もう少し行くと、いよいよ、シークです。
両脇に迫る岩肌。
岩山の高さは60〜100mもあるそうです。

   

こんな岩の隙間を2キロも行ったところに街があるとは普通は気付きません。まさに天然の要塞。

シークの途中には、ナバタイ人の信仰していた神を彫った岩とか駱駝を連れた人物を彫ったものとがありますが、保存状態は余りよくありません。ナバタイ人の神様が抽象的に表現されているのは興味深いのですが・・・。

見落としがちですが凄いのがシークに残る水路跡。左の写真で岩肌の下の方に横に掘られた溝があるのが分かるでしょうか。この溝に土管が置かれ、そこを水源から引かれた水がペトラの都市に運ばれていたのです。凄いですね。

シークを抜けるとペトラで最も有名なエル・ハズネがいきなり現れますが、シークはエル・ハズネに着く寸前が右上の写真のように非常に細くなっています。その細くなった道を進むと次第にエル・ハズネがその姿を現す・・・自然を生かした、見事な舞台効果です。

   


エル・ハズネとは「宝物庫」の意味。

この美しい建物はベドウィン達によって昔から「ファラオの宝物庫」と呼ばれてきました。
素晴らしいもの=エジプトのファラオという発想と、ナバタイ人達が宝物を貯蔵していた場所と考えられたことから、このように呼ばれたようです。

とはいえ、本当は、この建物が何だったのかは分かっていません。宝物を探してみたものの、なにも発見されなかったそうです。

今のところ有力なのは死者を葬った霊廟とする説と神々を祀る神殿だったとする説、そして霊廟かつ神殿だった、という説。

建てられた時期についてもローマの影響を受ける前ということは分かっているようですが、紀元前4世紀ころとする説や紀元前1〜2世紀とする説など色々と説が分かれているようです。

この建物は、赤い岩盤を彫って作られており、
高さは30m、幅は25m。

もともとは、美しいレリーフで飾られていたそうですが、顔はイスラムが破壊したのか、あまり残ってはいません。
それでも、十分、美しいですが。


この建物は、朝日が当たる方向を向いており、もともと赤っぽい岩盤を彫っているのですが早朝と夕方は美しく茜色に染まることで有名。薔薇色の都と呼ばれるペトラを代表する建物です。

私たちが行った時は、入り口前を発掘していました。何か分かるといいですが。


エル・ハズネから、更に進むとローマ時代の市街地へ進むことになるのですが、その途中の道をアウター・シークというそうです。

このあたりも、両側の岩肌にナバタイ人の墳墓が掘り込まれています。

その中で、ナバタイ人の特徴がよく出ていると思ったのが左。
ちょっと分かりにくいかもしれませんが、墳墓となっている建物の上部に、中心から左右に昇る階段のような模様が彫られています。

これは故人が天国に昇るための階段、ということでナバタイ人が好んだ様式なんだそうです。
サウジアラビアのナバタイ人の遺跡として有名なマダイン・サリでも、よく見られるとか。

それにしてもナバタイ人の墓に対する熱意は物凄いものです。

ペトラがナバタイ人の都だった時期のものとして今残っているものの多くは、こういった墓です。
墓の中には壁に沿って座席が設けられており、ここで死者を祀る儀式が行われたと考えられており、実際、副葬品として美しいナバタイ陶器が発見されているそうです。

ナバタイ人の宗教観は死者崇拝が中心だったわけで、高貴な人達はペトラに葬られることを望んでいたのではないかということです。


アウター・シークを抜けると開けた場所に出ます。
右側の岩肌には多くの墓所・霊廟が彫られていました。

   


完全に逆光になってしまいましたが、見事な墳墓が見えました。
王家の墓と呼ばれる場所だと思います。





岩をくり抜いた墳墓・霊廟の反対側にローマ劇場があります。ローマの市街地の入口付近に位置し、6000人もの観客を収容できたそうです。もともとナバタイ人が岩肌を彫り出して造ったものに、ローマ人が柱などを増築したのだということで、周囲に墳墓群があることから、ナバタイ人の都だった時には劇場以外に使われていたのではないかという説もあるようです。



それにしても・・・これだけのものを彫り出すのは大変だったでしょうね・・・。


ローマ劇場のそばにはペトラの岩肌の見事さがよく分かる墳墓があります。
様々な色の重なり・・・自然って凄いです。

   


岩肌を彫ったナバタイ人の建造物と
ローマ人の建造物
ひとつの遺跡の中に異なる文化が混在しているのが面白いですね。




ローマ劇場からはローマ都市の遺跡らしく列柱道路が続き、列柱道路の脇には水路の跡も残っています。その先にあるのがこの大寺院。ペトラの主神を祀っていたものだそうです。




この先にレスト・ハウスがあり、結構、食事がおいしい。
ここから先はエド・ディルに登るか否か、観光客は決断に迫られます。

エド・ディルはローマ時代の市街地を抜けて岩山を登ったところにあります。階段、実に900段。
途中まで(死亡事故現場の手前まで)はロバでも行けます。
自己責任でロバに乗るか、あくまで自分の足で登るか、ともかく悪夢の900段。
900段を登りきると、エド・ディルが姿を現します。

   

ぱっと見はエル・ハズネによく似ていますが、規模としてはエド・ディルの方が大きく、高さ50m、幅45m。2階建てなのもエル・ハズネと同じですが、こちらは屋根の部分も彫り込まれています。
そのためエル・ハズネより「建物」という印象が強いですが、やはり、これも岩肌を彫り込んで造られたものです。2世紀半ばにナバタイ人の主神ドゥシュラ神を祀るための神殿として造られました。

エド・ディルを正面から撮ってみました。少し光ってしまいましたが前にいる2頭のロバとの比較で大きさはなんとなく分かってもらえると思います。エド・ディルというのは「修道院」という意味。ビザンチン時代にはキリスト教の修道士達が住んでいたのだそうです。

かっては建物を飾っていたであろう装飾が残っていないのが寂しいですが、立派な遺跡です。





昔は岩山からエド・ディルの上に登れたということですが、登頂禁止になっていました。
エド・ディルの前には岩肌をくり抜いたレストハウスがあり、お茶を飲みながら休憩できます。


エド・ディルから下に降りたところで自由時間。
どこを見るか迷うところです。
悩んだのですが、ローマ市街地を抜けて犠牲祭壇に向かうことにしました。

ローマ市街地の後方に岩肌をくり抜いた墳墓群が見えます。





ローマ市街地の左手にはローマ兵の墓・トリクリニウム・庭墓などの墓石群があります。

下はその中のどれか・・・。残念なことに、名前を示す標識などがありません。このような墓が、いくつか点在しているのですが、このあたりはペトラでもまだあまり整備されていないようです。

こういった墳墓だけでなくペトラを広く見渡せる場所も多いので、もう少し整備して欲しいものです。

   


こちらは、おそらくライオンのモニュメント。
とはいえ、あまりライオンには見えませんね。
もともとの像が破壊されてしまって、一部しか残っていないようです。



このモニュメントは犠牲祭壇の裏側にあります。


犠牲祭壇は、かって、天に生贄をささげた場所だということです。
崖の上でそのような儀式をするというのは、天に近い場所だから、ということなのでしょうか。

犠牲祭壇へは、ライオンのモニュメントのあるところから登るか、ローマ劇場の手前の道を登っていくか・・・ともかく岩山の上まで登らないといけません。

再び山登りです。

エド・ディルまでの道に比べれば短い登り道ですが、それでも結構体力がいります。
日差しもきついですし・・・・。


なんとか登った崖の上には、それらしき石の跡などが残っており、祭事を行った場所であることがわかります。

しかし、むしろ、ここの魅力は、その見晴らしのよさでしょう。

ペトラの遺跡を見下ろすだけでなく、ペトラ観光の拠点であるワディ・ムーサの町も見ることができます。

右は、犠牲祭壇から見下ろしたペトラの遺跡。
岩肌に墳墓が並んでいます。


インディ・ジョーンズの映画ですっかり有名になったペトラ。
エル・ハズネとエド・ディルが見事なのはもちろんですが
ちょっとした冒険気分も味わえるのが楽しいですね。


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参考文献

ユネスコ世界遺産(講談社)
イスラムの誘惑(新潮社)
世界遺産を旅する10(近畿日本ツーリスト)


基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。