アルマトイ

カザフスタンの旧首都だったアルマトイ
今でもカザフスタン第2の街であり、南の首都とも言われます。
山々が連なる美しい街でもあります。
2016年GW訪問

ホテルの窓からの眺め アラタウ山脈が美しい


アルマトイはカザフスタンの東南部に位置し、1997年に首都がアスタナに移るまでカザフスタンの首都だった街です。街からは天山山脈の支脈アラタウ山脈の眺めが見事。緑も多い美しい街。

こちらもホテルからの眺め。ゼンコフ正教教会の屋根とアラタウ山脈。


美しいだけでなく、アルマトイはカザフスタンのビジネス・文化・学問の中心地でもあります。ソ連から独立した後も、カザフスタンは石油・天然ガスなどで潤っており、経済は順調。街には現代的な建物が並び、市内の渋滞もなかなかのもの。躍進中の街という感じで活気があります。



アルマトイ市内の見どころを紹介します。


国立中央博物館



カザフスタンの歴史などを紹介する国立中央博物館。
ここは正面ホールだけが写真撮影可。撮影料、およそ2ドル。
正面ホールに入るとカザフスタンの地図と各時代の人形が置かれていました。



人形は遺跡から発掘された装束を復元したものをまとっています。

現地ガイドさんの説明がほとんどなかったので、博物館の説明書きと
帰国後、調べた本(中央アジアの歴史・講談社現代新書)などに従ってまとめてみます。

紀元前17世紀から紀元前13世紀の女性像。

紀元前18世紀から紀元前8世紀ころにかけての1000年間、中央アジアの草原地帯にはアンドロノヴォ文化と言われる青銅器時代が続いていました。

アンドロノヴァ文化は、4期に区分され、前12〜前9世紀にかけての第3期に羊の飼育と乗用の馬を持つ遊牧民の活動が開始され、前9〜前8世紀にかけての第4期に遊牧社会が成立したとされています。

ということは紀元前17世紀から前13世紀にかけてのこの女性は、遊牧民の活動が開始される前の狩猟生活時代の女性ということになりますね。

彼女の服の布目はまだ粗いですが、他方で黄金で飾られ、既にズボンとブーツを履いています。おそらく彼女は馬を乗りこなしていたのではないしょうか。

ちなみにカザフスタンの世界遺産タムガリの岩絵は紀元前14世紀。彼女も岩絵を描いたペルシャ系アーリア人のサカ族と思われます。

黄金の飾りやイヤリング
 
 腕輪と指輪も豪華


次は博物館の目玉とも言える「黄金人間」

アルマトイ近郊のイッシク古墳から出土したもののレプリカです。
紀元前4〜前3世紀ころのサカ族の王子と考えられます。博物館の説明書では「GOLDEN PRINCEーWARRIOR」とありました。

サカ族については、ギリシャ人が「スキタイ」と記した民族と同一視する説があります。ヘロドトスによれば紀元前5世紀にアケメネス朝ペルシャのクセルクセス1世がギリシャ遠征をした際、サカ族も参加しており、彼らは「とんがり帽子のサカ」と呼ばれていたのだそうです。先が尖ってぴんと立った帽子が特徴だったとか。
もっとも、サカの一派がスキタイとする説もあるようで、サカ族の詳しいことはわかっていないのですが・・・いずれにせよ、ペルシャ系のアーリア人であることは間違いないようです。

右の王子は紀元前4〜3世紀ですから、時代は少し下りますが、やはり帽子が特徴的。

また、紀元前4〜前3世紀というとアレクサンダー大王の時代でもあります。アレクサンダー大王はタジキスタンのホジャンドまでは兵を進めましたが、その地を流れるシルダリヤ川の対岸のスキタイを破ることはできませんでした。
彼ら遊牧民は優れた戦士だったようです。


それにしても赤と金の組み合わせは派手
 
 帽子の飾りは羽と動物


 まさに「とんがり帽子」
帽子の横や後ろも豪華です
 飾りをアップで撮ってみました。
動物が躍動的

この帽子の形は後のクシャーナ朝の王子が被っていた帽子とちょっと似ています。
クシャーナ朝は1世紀から3世紀にかけて中央アジアから北インドを支配したペルシャ系の王朝
仏教を保護したカニシカ王で有名ですが、王族はとんがり帽子を被っていました。
とんがり帽子・・・ペルシャ系の伝統なんでしょうか。


胴体部分とベルト。重くないのか・・・。
 
 見事な剣と鞘。馬の鞭も手にしています。

衣装を飾る金細工は4000以上だそうです。
アレクサンダー大王の軍と戦っていた騎馬民族は、こんな派手派手しい格好だったのかもしれません。



紀元前2世紀から後4世紀の女性の復元像

 赤とピンクが可愛い。
 帽子の飾りは金ですが、ネックレスは玉?



紀元前2世紀から後1世紀 「フンの軍備」「戦士の長」との説明書き

 同じ遊牧民でも、なんとなく東洋風
 弓を入れる矢筒でしょうか

フン族とあるので、いわゆる「匈奴」でしょう。匈奴は紀元前3世紀ころにモンゴリアの草原地帯に現れ、その後、西進します。5世紀にヨーロッパを苦しめたアッティラは有名ですよね。紀元前2世紀から後1世紀というこの像は、ヨーロッパに西進する前のフン族の姿ではありますが・・・・。
フン族・匈奴はモンゴル系もしくはトルコ系の言葉を話す遊牧民だったと言われています。彼らの出現で中央アジアの支配者はペルシャ系の白人の遊牧民からモンゴロイドの遊牧民へと代わっていくことになります。



正面ホールには突厥の戦士の墓に置かれたという石人も展示されていました。
   

写真撮影可能な正面ホールだけを紹介しましたが、この博物館はカザフスタンがソ連に加入してからの歴史や、民族、更には恐竜なども展示されています。頭蓋骨からの復元が面白かった。

博物館見学の後、市内の見どころを廻りました。


28人のパンフィロフ戦士公園



「28人のパンフィロフ戦士公園」はアルマトイ市内にある大きな公園です。

ここは第2次世界大戦の時、対ドイツ戦(大祖国戦争)でモスクワを防衛したカザフスタン出身のパンフィロフ将軍が率いた28人の戦士(内キルギス人が6人)を記念して造られた公園。

公園には上の写真のように戦士たちのモニュメントが置かれ、カザフスタンの子供たちにとって人気の撮影ポイントとなっています。

モニュメントの前には無名戦士の墓。途絶えることがないという火が燃えていました。

私たちが訪れた時、無名戦士の墓には多くの花が手向けられ、勲章をたくさん胸に付けたお年寄りが詣でる様子をTV撮影されていました。

お年寄りは第2次世界大戦に参戦した元戦士だそうで、TV撮影の後は子供たちに囲まれていました。英雄なんですね。

旧ソ連だったカザフスタンは第2次世界大戦では戦勝国なわけです。
花を手向けるため公園に向かう人も何人も見かけました。


公園内には美しい教会もあります。

ゼンコフ正教教会



公園の中央に建つ美しい教会。

実は私たちのツアーは28人のパンフィロフ戦士公園に隣接するホテルに宿泊していたので、ホテルの部屋の窓から、この教会の屋根を見ることができました。最初の方に載せた写真に緑の木々の中に屋根が写っていると思いますが、写真の屋根は、この教会の屋根です。

この教会、1904年にロシアの高名な建築家ゼンコフによって建てられたもの。

1911年の地震の時も倒れず、さすがゼシコフと言われたのだとか。木造なのだそうですが、壁の黄色や屋根のドームの色取りがなんとも可愛く、美しい建物です。

内部は写真撮影禁止ですが、ロシア正教らしくイコンが並び、厳かな雰囲気。

美しい音楽が流れてきたので何かと思ったら、教会のドームにある鐘の音でした。

外に出て見上げてみたら、鐘のある場所に人影が見えます。どうやら、人が幾つもの鐘を操り、美しい音楽を奏でているようです。
とっても印象的な音色でした。


公園内部にはカザフ民族楽器博物館もあります。

カザフ民族楽器博物館



公園内にある可愛らしい木造建築。ここはカザフ民族楽器博物館です。館内は残念ながら写真撮影禁止でしたが、カザフスタンの代表的民族楽器を展示しています。ちょっと三味線みたいな楽器です。館内では演奏も行われていて、美しい音楽を聴けます。展示品を見るより楽しいかも。



コクトベ

ロープ―ウェイに乗って市内を展望できるコクトベに
残念ながら天気が下り坂でした。どうやら市民憩いの場所みたいです。

アルマトイとは「リンゴの里」という意味
リンゴはアルマトイのシンボル
 
 天気が悪いのが残念ですが
観覧車の後ろにはアラタウ山脈



民族音楽ショー

日本に帰る前の夕食時に民族音楽ショーを聞けました。
我々と似た顔立ちの人たちが奏でる草原の音楽。



カザフスタンは世界で9番目に広い国土を持ちます。
今回訪れたのは、ごくごく一部。
また、機会があれば訪れたいものです。



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カザフスタンの遺跡に戻る




参考文献

中央アジアの歴史 講談社現代新書 間野英二著
文明の十字路=中央アジアの歴史 講談社学術文庫 岩村忍著

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。