ビシュケク

キルギスの首都ビシュケク
人口100万人
多くの民族が暮らす街です。
2016年GW訪問

写真はキルギスの英雄マヌス王の銅像


キルギス北部、カザフスタンとの国境に近い場所に首都ビシュケクはあります。天山山脈の支脈であるキルギス・アラ・トーの麓にあり、標高750〜900m。ソ連時代の都市計画に基づき造られた新しい街で、ソ連時代は多くのロシア人が暮らしていましたが、現在ではロシア人は数少なくなり、多くの民族が暮らしているそうです。道の両脇には木が植えられ、晴れていれば山と緑が美しい街のはずだったんですが・・・・残念ながらお天気に恵まれず、雨にたたられました。


ホテルからの眺め。本来ならば美しい山脈を見られたはずなのですが・・・
ただ、緑が非常に多いことは分かると思います。




アラ・トー広場

ビシュケクはソ連時代に計画的に造られた新しい街。
シルクロードの交易が盛んだったころは、ビシュケクから東のイシク・クル湖に向かう途中の街が栄えていました。7世紀に玄奘三蔵が訪れたアク・べシム遺跡やブラナの塔で有名なパラサグン遺跡はビシュケクから東に約60qのところにあります。

そういうわけで、ビシュケクの街中には歴史的な古いものはないのですが、首都として国の祭典・式典が行われるというアラ・トー広場を訪れました。

アラ・トーとは「山脈」という意味。晴れていれば山脈の眺めが素晴らしかったはずです。残念。

広場にはキルギスの伝説的王・マナス王の銅像と大きな国旗。マナス王の銅像の後ろには国立歴史博物館があります。

マナス王は1000年前にキルギスを治めていたとされる伝説の王。
マナス王と息子セメティ、孫セイテックと3代に渡る英雄の活躍を語る叙事詩は世界最長の叙事詩で、その語り部アキンズの技芸は世界文化遺産となっています。


広場周辺の建物は世界遊牧民大会の飾り付けがされていました。
世界中の遊牧民が集まって遊牧民のオリンピックみたいなのをするそうです。



マヌス王の銅像に近いところに大きな国旗が掲げられていて、その下では2人の衛兵が国旗を守っています。1時間ごとに交代式があるというので見学しました。足を高く上げて歩いてくるのですが、お国柄でしょうか、ちょっと動きが合わなかったりして、それがかえって面白かった。

   



ロシア・スラブ大学付属博物館

元々のツアーでは国立歴史博物館を訪れることになっていたのですが、改修工事に入ってしまったということで、代わりにロシア・スラブ大学付属博物館を訪れることとなりました。

博物館は大学構内にあります。左の写真は大学入口に立っているプーシキン像。

この大学、正式名称にはエリツィンの名前が入っているそうで、中に入ったら、エリツィンの胸像もありました。

大学の中に入って、階段昇って、曲がって、案内人でもある大学の研究員(足が長いのか、やたら速足)に小走りで必死に付いて行ったところにある小さな部屋が「付属博物館」でした。

旅行会社は「博物館」って言ってましたが、実際は、ロシア・スラブ大学内の研究室の一室と言った感じでしょうか。

とはいえ、こういった場所には案外凄いものが置いてあったりします。博物館に展示されているものがレプリカで、実はオリジナルがこんなところにある・・・というのも良くある話。ここにはアク・べシム遺跡が砕葉鎮と確認されることとなった石碑なんかもあるのです。


まずは、サカ族の武器や馬具



騎馬民族だったサカ族の鐙(あぶみ)
馬に乗るときに足を乗せる馬具です。猫って言ってたけど、猫と言うには逞しすぎる気が・・・
中央アジアにいたネコ科の動物ってなんでしょう。雪ヒョウ?


紀元前の長い長い間、中央アジアに暮らしていたサカ族はペルシャ系のアーリア人、すなわち白人だったと言われています。当初は狩猟生活をしていましたが、やがて馬を乗りこなすようになった彼らは紀元前12世紀ころから遊牧生活を始めるようになります。遊牧騎馬民族だったサカ族はアケメネス朝ペルシャやアレクサンダー大王も手こずる優れた戦士だったようです。

しかし、紀元前3世紀、東からモンゴロイドの遊牧騎馬民族が西進を始めます。フン族・匈奴と呼ばれた彼らを皮切りに、以後、トルコ系・モンゴル系の遊牧騎馬民族が次々とこの地に入ってきます。白人からモンゴロイドに支配者は代わっていくのですが、一方でペルシャ系のソグド人はイスラムが入ってくるまでシルクロードの交易を支配するし、なんというか民族が入り乱れる感じ?

サカ族の鍋
足が鶏の足の形をしてます。
 
 ソグド人の土器 種もみを入れていたらしい
女性の姿だそうですが??

この博物館にはイシク・クル湖から発見されたものも数多く展示されています。イシク・クル湖には水中遺跡とも言うべき沈んでしまった遺跡が幾つもあって、そこからは様々な民族の生活用品が見つかっています。サカ族・フン族・ソグド族の生活用品が幾つも展示されていました。


トルコ系のバックル




イシク・クル湖からの発掘品と並んで目を引くのはアク・べシム遺跡や、その周辺からの発掘品。
その中でも見落とせないのが下の石碑。小さな地味な石碑ながら、良く見ると漢字が刻まれていて「砕葉鎮」の文字があります。この石碑が発見されたことで、アク・べシム遺跡が玄奘三蔵が訪れた「素葉城」で後に「砕葉鎮」が置かれた場所ということが確定されました。




アク・べシム遺跡の近くにはクラースナヤ・レーチカ遺跡という遺跡もあります。
巨大な涅槃仏が見つかったことで有名な遺跡ですが、綺麗な三尊仏がありました。

   


アク・べシム周辺から見つかった謎の物体


上の写真、仏教関係のもの、と言われたんですが、仏教の何?って聞いたら、良く分からない、と言われました。

何だろう。手が一杯あるみたいに見えるから、千手観音か何かじゃない?とか、結構議論となったんですが、結局、良く分かりませんでした。

帰国後も、良く分からないままなんですけど、写真見てたら、ひょっとして右の写真みたいなチベットの父母仏とか男女合体尊とか言われているものなんじゃないか、って気がしてきました。

男性と女性が抱き合った姿の父母仏は、女性がお尻を見せて、男性が女性の背中に手をまわしているのが一般的。上の写真、なんとなく女性のお尻と、その上の背中に手を回しているように見えるんだけど、違うかなあ・・・・

まあ、この謎の物体が父母仏かどうかは不明なんですが、実はアク・べシム遺跡周辺からはチベット仏教がらみの物が数多く見つかっているそうです。


西突厥(6〜8世紀)が使っていたシリア製のコインと
カラ・ハン朝(10〜13世紀)が使っていた中国製のコイン


東西が交差している感じですね。


人口100万人というのが信じられないくらい静かな街でした。
緑が多いからでしょうか。
美しい山々が見られなかったのが、本当に残念


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参考文献

中央アジアの歴史 講談社現代新書 間野英二著
文明の十字路=中央アジアの歴史 講談社学術文庫 岩村忍著

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。