イシク・クル湖

中央アジアの真珠とも呼ばれるイシク・クル湖
キルギス観光の華といえる場所です。
美しい湖を一周して来ました。
2016年GW訪問

イシク・クル湖南岸からの眺め


イシク・クル湖はキルギス東北部に位置する湖です。湖の南には天山山脈が連なり、天山山脈を越えれば中華人民共和国新疆ウイグル自治区。湖の北にはクンゲイ・アラ・トー(クンゲイ山脈)が走り、クンゲイ山脈を越えればカザフスタン。2つの山脈に挟まれた標高1600mの場所に湖はあり、まるで山襞に隠されているようです。イシク・クル湖は、その美しさから「中央アジアの真珠」と言われますが、実は琵琶湖の9倍もの大きな湖。多くの川が流れ込むものの湖から流れ出す川は1つもないという不思議な湖でもあります。ソ連時代は魚雷の試験場があることから外国人立入禁止の幻の湖でしたが、今はリゾート客で賑わうキルギスを代表する観光地となっています。

湖の北岸チョルボン・アタの町の博物館に立体模型があったので山脈と町の名を入れてみました。


湖はキルギスの首都ビシュケクから東に約180qのところに位置します。ビシュケクと湖の間にはかって玄奘三蔵が突厥の王と会った素葉城(砕葉城)とされるアク・べシム遺跡があります。
7世紀にインドを目指した玄奘はタクラマカン砂漠を南下するルートではなく、砂漠の北の天山山脈を越え、イシク・クル湖に沿って湖の西のアク・べシムに向かい、そこから南下してサマルカンド・バーミヤンを経てインドに至る・・・という大回りのルートを取りました。随分と大回りなルートですが、これは当時の周辺国の政治状況を考えて安全策を取ったからだそうです。
玄奘が湖の北岸を通ったのか南岸を通ったのかについては争いがありますが、玄奘が天山山脈のべダル峠を越えて南岸のバルスコーンに出たのは間違いがないそうです。南岸を通る方がアク・べシムまでの距離は短いのですが、古い遺跡は湖の北岸に集中しているとのこと。

現在、湖の北岸は観光が盛んなリゾート地となっていて、南岸には村々が点在しています。


イシク・クル湖北岸

夏にイシク・クル湖に行く場合はカザフスタンのアルマトイから飛行機の直行便が出ていて、とても楽だし早いんだそうです。凄い賑わうんですって。でも、私たちはGWのツアーだったのでキルギスの首都ビシュケクからアク・べシム遺跡やブラナの塔などを観光しながら車で湖に向かいました。
実はGWの時期はキルギスは梅雨のような気候の時期で、アク・べシム遺跡では大雨に降られました。湖に向かう途中で雨が止み、湖の西端にあるバルクチの街を抜けて、北岸の観光拠点チョルボン・アタの町に向う途中、やっと青空となり、天山山脈を湖の向こうに見ることができました。

残念ながら添乗員さんが車を止めてくれなかったので車窓からの眺め
ぼやけてしまいましたが、雪を抱いた天山山脈


天山山脈は湖の南を走っているので湖越しに見ることができるのは北岸からだけ。
車窓からなのでぼやけていますが、天山山脈が湖の向こうに延々と連なります。

肉眼ではもう少しはっきり見えたのですが・・・


北岸の観光拠点チョボルン・アタの町に着いたのは夕刻でした。
夕焼けが見えなかったので明日の天気が心配。


チョボルン・アタ

翌日は案じていたとおり雨。

岩絵野外博物館



チョボルン・アタの町の北西の山の斜面に紀元前8世紀から紀元前5世紀の岩絵が展示されている野外博物館があります。カザフスタンの世界遺産であるタムガリと同じくペルシャ系のサカ族が描いたものですがタムガリより時代はやや新しい。崖の岩肌に岩絵を描いたタムガリと違い、ここでは転がっている岩に岩絵が描かれています。この場所とタムガリは現在はキルギスとカザフスタンという別の国ですが、クンゲイ山脈を挟んで実は結構近いのだとか。この岩絵も元々はもっと山の上の方にあったのが転がって落ちてきたのだということでした。

この野外博物館には全部で900もの岩絵があるということで、じっくり見ると数時間がかかるそうです。入口近くの岩絵だけを見学しました。

上の写真は入ってすぐのところにある大きな岩絵。拡大したのが右の写真。

大きな山羊と、その左上に弓を持った人物。山羊の右上に描かれているのは雪ヒョウだそうで、サカ族は雪ヒョウを子供のころから育てて狩りに使っていたのだそうです。

かなり見事ですよね。タムガリより立派かも。

実はカザフスタンのタムガリが世界遺産候補となった時、ここの岩絵も候補となりました。しかし、ここは牛が放牧されていて草を食べる牛の角が岩絵を傷つけてしまうということで登録にならなかったのだそうです。ユニセフの人たちが調査に来たときは牛だらけだったのだとか。

岩絵は点在していますが、岩絵があるところに旗が立っているので見つけやすくなっています。

岩絵の内容は狩猟民族だったサカ族らしく、狩りの様子や色々な動物たち。

鞭のようなものを使った狩りの様子
 
 立派な山羊
山羊の他に、鹿やフタコブラクダも描かれていました。


イシク・クル湖クルーズ

チョルボン・アタの町からはクルーズの船も出ています。
雨で山々が見えないのが残念。おまけに寒い。

 青い湖水が恐ろしい
港に停泊する船
 

お天気だったら天山山脈などが見えたはずなのですが・・・凄い残念


歴史文化博物館

町には小さいながら結構充実した博物館があります。

馬に乗る人物と動物の黄金製品
 
 遊牧民が使った馬具


岩絵の写真展示もありました。
 旗を持つ馬上の人物と鹿
 たてがみが見事な馬

岩絵を描いたサカ族はアーリア系と言われ、アケメネス朝ペルシャのダレイオス大王を翻弄し、アレクサンダー大王も手を焼いたことで有名なスキタイも、その一派と考えられます。イシク・クル湖周辺にかって暮らしていた人々はアーリア系の白人だったわけですが、その後、この地には東方からモンゴル系やトルコ系の人々が次々に移動して住みつくようになります。そういった多くの民族の遺跡がイシク・クル湖には沈んでいて、様々な民族の痕跡が発見されるのだそうです。

博物館を見学してから湖東端に位置するカラコルの町へ向かいました。
大きなホテルはありませんが、泊まったホテルは家庭的な雰囲気。
かすかに夕焼けが見えたので、明日こそ晴れるかも。


カラコル

翌日、カラコルの町では朝から晴れました。カラコルは天山山脈・テルスケイ山脈への登山基地となっている町で、近くの美しい渓谷などが見どころです。晴れたので散策を楽しめました。鷹狩を見ることもできます。観光の中心は山に入ったところだし、町の中心は湖から10q近く離れているのですが、町の郊外で入り江のように陸に入り込んだイシク・クル湖も見ることができました。



この日は夕焼けが綺麗でした。夕焼けが見れると晴れる気がする。


イシク・クル湖南岸

翌日は朝から晴れ渡る素晴らしいお天気でした。イシク・クル湖の東端のカラコルから南岸を通って首都ビシュケクまで戻ります。南岸の方が道路が湖に近い位置を通っているとのことで、晴れたイシク・クル湖を満喫できそうです。

カラコルの町からずっと天山山脈が見えていました。
雪を抱いた山脈は、やっぱり見ごたえがあります。あの山々の向こうは新疆ウイグル。



しばらく進むと湖の近くに出ました。砂浜になっています。


湖の向こうにはクンゲイ山脈。山の雪が残ったあたりに雲がかかっています。
あの山の向こうはカザフスタン。

 素晴らしい透明度
湖の青と山の青
 


しばらく湖を眺めながら西に進んでいましたが、途中、車は湖を離れて山に向かいました。車が停まったのは玄奘三蔵も通ったベダル峠に通じていた道。べダル峠は1世紀から18世紀までイシク・クル湖と新疆ウイグルを繋ぐ道として多くの隊商が行き交いました。玄奘三蔵も、そのルートを通ったわけです。玄奘は「氷の山」と記し、凍死したものが「10人のうち3,4人もおり、牛馬の失われたものはそれ以上にはなはだしかった」、山を越えるのに「7日かかった」としているので、なんとなく道なき道を進んだのかと思っていましたが、実は多くの隊商が古代から通っていた道を通っていたのです。まあ、よく考えれば当たり前の話ですが。それにしても、そのような厳しい道を行き来して交易していた昔の隊商って凄いですよね。当時の交易品って貴重品だったんでしょうね。



この少し先に金鉱山があって、現在では一般人はこれ以上近づけません。中国の新疆ウイグルに通じていた道も今は通れなくなっているそうです。写真を撮ったあたりはバルスコーン村と言い、かっては隊商たちで賑わったそうですが、今では何とものどかな、何もない村でした。

道から少し外れて天山山脈を写してみました。一番左側の雪を抱いた低い峰がべダル峠
低く見えますが標高4284m。



再び湖に戻ります。氷の山を抜けてイシク・クル湖が見えた時、玄奘はどう感じたのでしょうか。
玄奘はイシク・クル湖を冬でも凍らない「熱海」と記し、湖水は「塩辛い」としています。
実際、イシク・クル湖は塩湖で、冬も凍りません。


湖に戻り、昼食のレストランのあるボコンバエバ村を目指します。
途中、カヌーが湖に出ていました。ここも綺麗なので写真休憩。



このあたり、湖が入り組んでいて、天山山脈と湖を一緒に写せる場所がありました。
天山、やっぱり豪華な山々です。



この後、湖に沿って西に進み、ボコンバエバ村というところで昼食となりました。南岸は余り観光が盛んではないと言っていましたが、それでも昼食会場はユルタが並んで、なかなかの雰囲気。泊まることもできるようです。湖のほとりのユルタに泊まるのは素敵でしょうね。星が綺麗だろうな。




レストランから見たクンゲイ山脈。
山々の頂上付近を覆っていた雲が流れ、雪山が綺麗に見えます。


それにしても綺麗な湖水

湖のほとりでは馬が放牧されていました。


この後、徐々に湖岸を離れ、湖の西端にあるバルクチへ。
バルクチからビシュケクまでは高速道路が通っています。
ビシュケクに着いたのは午後7時ころでした。

最後に晴れてイシク・クル湖を満喫できましたが
やっぱり、クルーズで天山山脈を見たかったなあ。



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参考文献

玄奘三蔵、シルクロードを行く 岩波新書 前田耕作著
中央アジアの歴史 講談社現代新書 間野英二著
文明の十字路=中央アジアの歴史 講談社学術文庫 岩村忍著

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。