アルチ

中国との国境に近いインド・ラダック
ラダックの入口レーの西、約67キロの小さい村アルチには
チベット仏教美術の宝庫と言われる寺院があります。
2014年8月訪問

写真はアルチ僧院スムチェク(三層堂)


ラダックの入口レーから西にインダス川の下流へ。川沿いの道を約60キロ走り、対岸に渡って少し行くとアルチの村があります。アルチの村の中にあるアルチ僧院ことアルチ・チョスコル・ゴンバはラダックで最も素晴らしいチベット仏教美術の宝庫。ラダックのみならずチベット文化圏の中でも一・ニを争うと言われるほどです。私がラダックを訪れた一番の目的もアルチ僧院でした。

空港のあるレーの街を出て、アルチを目指してしばらくインダス川沿いに走るとインダス川とザンスカール川の合流地点に出ます。下の写真で上から流れているのがザンスカール川、左から流れているのがインダス川。合流した2つの川はインダス川となって右に流れていきます。それにしても2つの川の色の違いが凄い。これは川に含まれる土の違いなんだそうです。



ラダックの多くは上の写真のような荒涼とした大地です。それが、ところどころでオアシスのように緑が現われ、村があります。国境が近いという防衛上の見地からか道は思いのほか良いのですが、一旦雨が降ると山が崩れるのだとか。途中、所々、道が無くなっているところがありました。

レーからノンストップで車を走らせるとアルチまでは約1時間半だそうですが、私たちのツアーでは途中チャイ休憩を取りながら、ゆっくりとアルチに向いました。標高3500mを超えるレーに比べアルチの標高は約3100m。レーより少しは空気が濃い気がします。




アルチ僧院(アルチ・チョスコル・ゴンバ)

アルチは杏とリンゴの木が多い場所。杏の花の季節はとても美しいそうです。アルチ村の人口は約700人。観光シーズンの短い夏には世界中から多くの観光客が訪れます。宿に荷物を置いて、アルチ僧院の見学に出かけました。

土産物屋が並ぶ道を歩いて行ったら、左の写真のような看板に出ました。

これはアルチ僧院の由来を示したもの。

リンチェン・サンボが108のお堂を建てようと思い、場所を探していた時、この地に杖を刺したところ、杖が根付いたことから、この地にお堂を建てることにした・・・というお話です。後ろの木が、その時の杖が根付いたものなのだとか。

ちょっと弘法大師の伝説みたいですね。

リンチェン・サンボというお坊さんは、チベット仏教復興に重要な役割を果たしたお坊さんで、非常にチベットでは尊敬されています。

チベットに最初に仏教が広まったのは7世紀。最初にチベット全土を統一した吐蕃王ソンツェン・ガンボの時代でした。
王の妃として唐から嫁いだ文成公主やネパールのテツィン妃が仏教を信仰していたことは有名です。


しかし、9世紀のランダルマ王は仏教弾圧を行い、暗殺されます。その後、吐蕃王家は分立。
一部の王家はラダックや西チベットに逃れます。
やがて、西チベットに逃れてきた王族の間で仏教再興の動きが起こりました。

そして11世紀、西チベット・グゲ王国の王の命令を受けてリンチェン・サンボがインドのカシミールに留学して仏教を学ぶことになります。

帰国後調べたら、実はカシミールに派遣された若者はリンチェン・サンボの他に21人いたのだそうです。しかし、生きて戻れたのはリンチェン・サンボの他に1人だけだったのだとか。今と違って、当時の留学というのは命がけだったわけですね。

リンチェン・サンボはカシミールから多くの経典を持ち帰り、その翻訳に努めたことから「翻訳官」と呼ばれたそうですが、経典だけでなく多くの建築家や仏師・絵師も連れ帰りました。
アルチ僧院は、これらの建築家・仏師等によって11世紀に建てられたといわれています。

アルチ僧院の中で見学できるお堂は4つだけ。最初に最も素晴らしいと言われているスムチェク(三層堂)を見学しました。

右の写真がスムチェク(三層堂)入口。



一見すると素朴な建物です。2階への階段なんて登るのが怖いような感じだし(上の写真右端)。

でも、この建物は11世紀のカシミール様式が良好な保存状態で残されている貴重なもの。例えば柱は木製でありながら柱頭はギリシャのイオニア様式を模しているのだそうです。また、アーチが多用されているのもカシミール様式なのだとか。近寄って見ると細かい彫刻も見事です。




実はアルチ僧院で見学できる堂は全て内部は写真撮影禁止。
撮影できる外側の壁画を撮ってみました。落剝が激しいですが釈迦牟尼。



多くの仏たち。
   


いよいよお堂の中へ。堂内では巨大な仏像と素晴らしい壁画に圧倒されます。写真撮影ができないのが残念ですが、撮影可能だったら撮りたいものが多すぎて数時間出れないかもしれません。

写真撮影禁止の話は事前に分かっていたので写真集が買えないか調べてもらったら、アルチ僧院の中で2500ルピーで写真集を売っているというのが分かりました。スムチェクとは別のお堂で本を売っていたので2500ルピー出したら、お坊さんからはそっけない「フィニッシュ」とのお返事。
仕方がないので400ルピーの廉価版を購入しました。下の写真がそれ。実は後にレーの街で2500ルピーの本も買えたのですが、どちらの本も表紙は同じ。添乗員さんから「般若波羅密多仏母」との説明を受けました。写真集では「SHAYAMA TARA」となっています。チベットの仏は日本と微妙に違って名前は難しい。彼女は「アルチ一の美女」と呼ばれているのだそうです。




写真集の他に絵葉書も買ったので絵葉書でお堂の中を紹介します。

堂内には高さ5mの観音菩薩・弥勒菩薩・文殊菩薩が祀られています。右の写真は観音菩薩。

これらの仏像の見どころは衣。それぞれ美しい絵が描かれています。観音菩薩の衣にはカシミールの王宮の様子などが描かれていて、とても美しい。

インドは細密画(ミニアチュール)が有名ですが、この衣に描かれているものは細密画の先駆け的なものなのだそうです。

もちろん、後ろの仏像や壁画も見事。写真集の表紙を飾っていた般若波羅密多仏母は、この観音菩薩の向って左下、ちょうど絵葉書で切れているあたりに描かれています。

実はアルチ僧院の絵葉書はアルチでは全く売っていなくて、レーの街でなんとか探し出すことができました。それも書店ではなく、杏ジャムやオーガニックを売っているお土産屋さんで。
14枚で200ルピーでした。


 弥勒菩薩
衣に描かれているのは釈迦の一生
 文殊菩薩
衣に描かれているのは修行の様子

お堂は南側が入口で、お堂の西面が観音菩薩、北面が弥勒菩薩、東面が文殊菩薩という配置になっています。文殊菩薩の衣に描かれる修行の様子は少し分かりにくいけれど、弥勒菩薩の衣に描かれた釈迦の一生はなじみのあるテーマだけにとても分かりやすい。釈迦の誕生のシーンや宮殿を出て髪を切るところなど、とても美しかったです。

お堂の中は暗く、懐中電灯は必須アイテム。
また、残念ながら、見学できるのは1階だけ。
なんでも、アメリカ人が2階から落ちたとかで、2階には入れなくなってしまったのだそうです。

ただ、お堂の中央部分は吹き抜けになっているので、上を見上げると2階の美しい仏の姿や曼荼羅を見ることができます。

白い肌の千手観音も魅力的でしたが、右の写真の仏も美しかった。写真集によると、緑ターラだそうです。ターラは観音菩薩の涙から生まれたといわれる菩薩で、チベットでは非常に人気があります。

カシミール様式の壁画の特徴として、①背景が紺、②細身、③寄り目というのがあるそうです。この絵葉書は特徴が良く出ている気がします。

他に、このお堂で見逃せないのが入口付近に描かれている大黒天。寺を守る存在ということで、馬に乗った綺麗な2体の女神(菩薩?)とセットで描かれています。


スムチェクの隣にはドゥカン(僧達の集会所)があります。
ここは入口の木彫が見事なほか、曼荼羅が見どころ。
青が基調となっていて、とても美しい。左の絵葉書がその一つ。

ドゥカンは本尊も立体曼荼羅になっており、砂曼荼羅も置かれていました。写真集を売っているのもドゥカンです。

アルチ寺院では、他にリンチェン・サンボが暮らしていたというリンチェン・サンボの間と呼ばれるお堂と、4体の文殊菩薩が置かれている文殊菩薩の間が公開されています。

リンチェン・サンボの間は正直なところ後世の稚拙な修復がなされてしまっているのが残念な印象ですが、有名なリンチェン・サンボの肖像が壁に描かれていました。鳥に似ている・・そうです。

文殊菩薩は4体それぞれ色が違っていて面白い。



お堂入口の木彫




アルチ僧院はどんどん建て増しがされたらしく、お堂の配置は雑然とした印象。公開されているお堂の他に、小さなお堂も幾つもあります。覗いてみたら、天井画が見事でした。青が印象的。




こちらは仏と高僧が描かれているようです。
   




ツァツァプリ僧院

アルチ村には他にもツァツァプリ僧院という小さな僧院があります。小川を渡って丘を登ったところにある僧院で、僧が常駐しているわけではなく、村人が鍵番をしています。子牛たちが放牧された丘を母牛の鳴き声を聞きながら登って鍵を開けてもらいました。
この僧院、詳しい歴史は分かっていないのですが、壁画が素晴らしく、しかも写真撮影自由。撮影禁止だったアルチ僧院の鬱憤を晴らすべく写真を撮りまくってしまいました。ガイドブックには3つのお堂があると書いてありましたが、私たちが見ることができたのは2つのお堂。

最初に入ったお堂。曼荼羅に圧倒されます。小さなお堂なのに凄い。
   


本尊は十一面千手千眼観音


円盤に千の手を彫るという様式は日本では見ない気がします。


小さなお堂ですが、内部は壁画がびっしりと描かれています。
曼荼羅と仏たち。
   


様々な曼荼羅と壁を埋め尽くすかのような千体仏
   



2つめのお堂。ストゥーパが置かれていました。
ストゥーパの後ろの壁画・・・馬の姿が印象的。古い様式のようです。



このお堂も暗く、懐中電灯が必要です。
それにしても色々な曼荼羅があるものですね。
   


曼荼羅に描かれている仏たちを写してみました。
   


上を見上げたら、吹き抜け部分にも美しい曼荼羅。




アルチ僧院が素晴らしかったのはもちろんなのですが
ツァツァプリ僧院も素晴らしかった。
鍵番のおじいさんは85歳
25歳の時10歳年下の奥さんをもらい
幸せな人生だと語っていました。
ダライ・ラマの祝福を受けたのが誇り。
帰り道で奥さんに会いました。
かわいいおばあちゃん。

おばあちゃんの隣は我らの現地ガイド
お坊さんに案内してもらうとかなり違います。
幸せな人生と語れるのは凄い羨ましい。



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参考文献

ダライ・ラマの仏教入門(光文社 ダライ・ラマ14世著)
増補チベット密教(筑摩書房 ツルティム・ケサン 正木晃 著)
図説チベット歴史紀行(ふくろうの本 河出書房新社 石濱裕美子著)
ラダック密教の旅(佼成出版社 滝雄一・佐藤健著)
ラダックザンスカールトラベルガイド(ダイヤモンド社)
チベット(旅行人)


基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。