キュレーネ

リビア北東部のキュレーネ遺跡。
デルフィの神託によりギリシャ人が建設した植民都市です。
ローマ帝国の支配下に入ってからも北アフリカの文化の中心地でした。
2007年5月訪問

写真はアポロンの聖域


紀元前630年ころ、飢饉に悩むサントリーニ島ティラの住民はデルフィでアポロンの神託を受け、植民地を開拓するためリビア東部に移住します。地中海からほど近い小高い丘に泉を見つけた彼らはアポロンが愛したニンフの名前を取って、この地をキュレーネと名付けました。
キュレーネを中心としたリビア北東海岸沿いの緑豊かな一帯はキレナイカと呼ばれ、ギリシャに食料を輸出する穀倉地帯として発展します。

キュレーネは紀元前331年にはアレクサンダー大王に征服され、その後はプトレマイオス朝の支配下に入り、更に紀元前96年にはローマ帝国の支配下に・・と次々に支配者を変えますが、ヘレニズム時代・ローマ時代を通してアレクサンドリアと並ぶ北アフリカの文化の中心地でした。

遺跡の見どころは市街地とアポロンの聖域、ゼウス神殿、そしてネクロポリスと分かれています。


ゼウス神殿



キュレーネ遺跡の北東にゼウス神殿はあります。ドーリア様式の神殿で、建てられたのは紀元前6世紀。アテネのパルテノン神殿より古い神殿で、大きさも同じほどのものだそうです。
地元の石灰岩を利用して建てられており、基壇からの高さは18m。かっては14mものゼウス神像が祀られていました。ゼウス像の指が博物館に展示されています。

   




市街地

市街地は丘を利用して建設されたキュレーネの遺跡の中で最も高い場所にあります。元々はギリシャ式のアゴラ(公共広場)、ギリシャ式劇場が建ち並んでいましたが、2世紀のユダヤ人の反乱と4世紀の地震で被害を受け、その都度、ローマ帝国によって再建・復興されたためギリシャ式のアゴラはローマ式のフォーラム(公共広場)に、ギリシャ式劇場はローマ劇場に変わっています。

フォーラム

市街地の入口にあるフォーラム。
後1世紀のトラヤヌス帝の代の運動場を後2世紀のハドリアヌス帝がフォーラムにしたもの。
   


劇場

フォーラムに隣接して2つの劇場があります。
これは小さいけれど古い印象を受けました。



こちらはギリシャ時代の劇場がローマ時代に手を加えられたものだそうです。



フォーラムの周辺には劇場の他にも、バシリカやアポロ神殿の神官だったジェイソン・マグナスの家などが残っていますが、正直、印象的だったのは立ち並ぶ柱や、壁の上に並ぶ人物像が取り付けられた柱です。

   



アゴラ

フォーラムから進むとアゴラと呼ばれる広場に出ます。
ここに美しい彫刻がありました。
船に乗る勝利の女神ニケなのだそうです。
   
キュレーネの人々がサントリーニ島から船でリビアを目指したことと関係あるのでしょうか。
とても印象的な像です。


デメテル神殿

円形の特徴的な神殿で、デメテル女神と娘ペルセポネを祀っています。
座っているのがデメテルで立っているのがペルセポネだそうです。
デメテルは大地の女神で豊穣を司り、娘ペルセポネは死者の国の女王です。



ここには支庁舎やバットス1世の墓、ギムナジウム、柱が2本だけ残るジュピター神殿等があるのですが、余り保存状態は良くありません。広い場所にところどころ建物の跡がある、といった感じ。

   




アポロンの聖域

市街地からのどかな風景を見ながら坂を下りていくとアポロンの聖域と呼ばれる場所に出ます。
ここはキュレーネで最も古い区域です。



アポロの聖域は紀元前7世紀から前4世紀にかけて建造されました。当時のキュレーネはアテネ、シラクザに次ぐ大きさのアクロポリスだったということです。
ここはアポロの神託によって発見されたアポロの泉と、アポロンへの感謝のために築かれたアポロン神殿があり、アポロン神殿はキュレーネで最も古い建物と言われています。
上の写真で4本の柱が残っているところからが聖域。左手奥に何本も柱が並んでいるのがアポロン神殿です。入口近くにはローマのトラヤヌス帝が建てたトラヤヌス帝の浴場もあります。


アポロンの泉

神託によって発見されたというアポロンの泉は山の北斜面にあります。
この泉の前にアポロンの聖域が広がっているのです。




入口には四本の柱が残ります。ここから聖域に入ります。
入ってすぐのところにあるのは宝物庫とも武器庫とも言われる建物。
   



ニンフの泉

聖域を進むとアポロン神殿が見えて来ますが、
その手前の広場にニンフの泉があります。



このニンフの泉はアポロンがさらったというニンフに捧げられたもの。地図で確認すると、ちょうど、この泉の後ろの山にアポロンの泉があります。

神話ではアポロンは美しいニンフのキュレーネがライオンを素手で倒したのを見て、恋に落ち、キュレーネをさらってリビアに拉致し、そこで彼女と交わったと言われています。

キュレーネの街の名は、このニンフの名前に由来します。
神託によって発見されたアポロンの泉のそばにアポロンに感謝するアポロン神殿と街の名の由来になったニンフの泉を造ったわけですね。

泉に飾られているライオンはキュレーネのシンボル。アルカイック期のものでしょう。街の歴史を感じさせます。


アポロン神殿



アポロン神殿はアポロンの聖域の中心的建物です。キュレーネの街は、このアポロン神殿を中心に建設されたのでしょう。現在は柱が残るだけですが、立派な存在感のある神殿です。アポロン神殿の横にはアルテミス神殿もあります。

アポロン神殿の柱も立派ですが、この周辺は何とも趣のある場所で散策すると実に楽しい。古い彫刻が古い建造物の間に残っていて、絵になります。

   


アポロン神殿を後ろから眺めたもの。



アポロン神殿の横を進むと壁がありました(左下)。
この壁はニュダモスの壁と言い、聖域を分かつ壁です。アポロン神殿の神官が造ったのだそうです。
更に進むと劇場があります(右下)。
音楽神でもあるアポロンに捧げた劇場でローマ時代は円形闘技場にされたそうです。
   



トラヤヌスの浴場

劇場から聖域の入口付近まで戻ってきました。
ここにはローマ帝国時代のトラヤヌスの浴場があります。

   

トラヤヌス帝の浴場はローマ帝国のトラヤヌス帝(在位98〜117年)が勢いよく湧き出る泉があった場所に造った浴場。アポロンの泉だけでなく、水が豊かな場所だったんですね。浴場にあるコリント様式の柱が青く美しい。この柱はギリシャから運ばれたものだそうです。


トラヤヌスの浴場と、背後のアポロ神殿。
遺跡が丘の上に建てられているのがお分かりでしょうか。





ネクロポリス

アポロンの聖域から更に下ったところにネクロポリスはあります。


山の斜面を利用して造られているのは市民のお墓。墓の形式や埋葬方法が時代とともに移り変わっていることから、キュレーネの人々の多様な宗教観を伺うことができる遺跡なのだそうです。

キュレーネは4世紀に地震の被害を受けながらも再建され、ビザンチン時代も生き残りますが、7世紀のアラブ軍の占領により、ついに破壊されました。



博物館

博物館には遺跡から発見されたものが数多く展示されています。
優れたものはイタリア等に運ばれてしまったそうですが、それでも十分見ごたえがあります。

ギリシャ時代のものと思われる彫刻。左はスフィンクスでしょうか。
   

どちらも古いアルカイック期のものだと思います。

メドゥーサを肩に載せるゼウス(左)とライオンとヘラクレス(右)
   


リビアの他の遺跡と違って海は見えないのですが雰囲気のある遺跡です。
ギリシャ時代のものには何とも言えない品のようなものがある気がします。
のどかな風景の中の素敵な遺跡でした。


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参考文献

世界遺産を旅する12(近畿日本ツーリスト)
ユネスコ世界遺産(講談社)
21世紀世界遺産の旅(小学館)

私が訪れたのは、いわゆるアラブの春の前。
カダフィ大佐が健在だったころです。
現地ガイドさんや、ドライバーさん、ツーリングポリスの人達は元気でいるのでしょうか・・・

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。