サブラタ

リビア北西部のサブラタ
地中海を臨む場所に美しいローマ遺跡が残ります。
2007年5月訪問


写真はイシス神殿


サブラタはフェニキア人によって紀元前6世紀ころに建設された街です。フェニキア人の海洋国家カルタゴはリビア北西部に、サブラタ、オエア(現トリポリ)、レプティス(レプティス・マグナ)という拠点都市を築き、3つの都市はギリシャ語で「3つの都市」を意味する「トリポリス」と呼ばれました。

リビア北西部は、このトリポリスからトリポリタニアと呼ばれます。この地は古来からリビアの食物供給地帯で、現在も人口の7割が生活する豊かな地域です。

サブラタは海洋国家カルタゴの下、アフリカ内陸部と地中海を結ぶ交易の拠点として栄えました。カルタゴがローマ帝国に滅ぼされてからは、一時期、西アフリカのベルベル人国家ヌミディア王国の支配下に入りますが、ヌミディア王国がローマ帝国と対立するようになるとローマ帝国側に付き、自治権が認められるようになります。その後、紀元2世紀のトラヤヌス帝の治世下で属州からローマ植民都市に昇格し、多くのローマ風建築物が建てられ、街は最盛期を迎えます。現在遺跡に残るのは、ほとんどがローマ帝国時代のものです。


市長の家



遺跡に入ると、まず巨大な建造物・劇場が目に入りますが、その前に市長の家を見学です。イタリアが修復したもので、柱が立っているところはプール。モザイクも残っています。

しかし、やはり、後ろの劇場が気になります。海も見えています。


ローマ劇場


ローマ劇場は2世紀後半に建てられたもので3階建て、北アフリカ最大の劇場です。かっての収容人数は5000人。現在も1500人収容が可能です。当時のローマ皇帝セプティミウス・セウェルスはトリポリスの一つレプティス・マグナの出身であったため、出身地であるトリポリスに多くの建造物を建てました。このローマ劇場はセウェルスの息子によって建てられたものです。

ローマ劇場は地中海を背に建ち、舞台の背景となる3階建ての楽屋には108本のコリント式の柱が残っています。白とピンクの大理石で出来た美しい建造物です。

   


舞台の基壇にはセウェルス帝の家族の姿や神話のレリーフが残っています。左下の写真の中央にはトロイ戦争の発端となった美を競う三女神の姿が彫られています。左がアフロディテ、真ん中にアテナ、左は首が失われていますがゼウスの妻ジュノ。また、観客席の手すりにはイルカなのか魚なのか、かわいいレリーフ(右下)。

   

建造物も見事ですが、この劇場からの眺めは素晴らしい。海のすぐそばに建っているため、観客席や楽屋から地中海と地中海を背にした遺跡を見ることができます。「海のあるローマ遺跡」として有名なサブラタならではの景色です。陽射しは強いものの、本当に美しく、素晴らしい雰囲気です。

   
左は観客席から望遠で撮ったもの。おそらくバッカス神殿。
海の青さも素晴らしい。


ローマ劇場から海に近づく形で見学しながら移動します。

劇場の裏手には民家の跡が残り、クリスチャン教会や灯台址、オセアヌスの浴場などが残っています。

右の写真はクリスチャン教会。

2世紀に神殿として建てられた後、4〜5世紀にはキリスト教会として使用されるようになったもので、モザイクが二重に残っています。

柱が残っていますが、これはエジプトの花崗岩。

真ん中には寄付の台が残っています。
また、この隣には5世紀に建てられた洗礼堂も残っていました。

灯台は、かっては24mの高さがあったとも30mの高さだったとも言われています。現在は基礎しか残っていませんが、海上交易で栄えたサブラタならではでしょう。

オセアヌスの浴場は床以外は全て大理石で建てられたという豪華なものだったようです。


イシス神殿

劇場から海際を右に進むとイシス神殿です。


イシス神殿は海に近い丘の上にあります。イシスと言えば、有名なエジプトの女神。ここでは豊穣の女神として信仰されたそうです。現在、神殿には26本の柱が残っています。30m×45mの神殿です。地中海を背に並ぶ柱は美しく、サブラタ遺跡で一番の撮影ポイントかもしれません。

   


劇場方向に戻り、今度は劇場の左側のエリアに移動。
カルド通りともワイン通りとも言われる道を通って見学は続きます。


フォーラムの浴場



美しいビーナス(アフロディテ)像が目に入ります。レプリカかと思ったら、本物だそうです。
ここはフォーラムの浴場という場所。フォーラムとは公共広場の意味。市民が楽しんだ浴場や公衆トイレ、そして海に面したボイラー室とサウナなどが残っています。公衆トイレはローマ遺跡ではお馴染みですね。市民はトイレをしながら会話を楽しんだといいますが・・・。

左下の写真はフォーラム周辺。
中央は公衆トイレ。椅子のようになっているのがトイレです。
右下はボイラー室とサウナ。
     


バッカス神殿



フォーラムの近くにバッカス神殿(バッカス・リーベル)があります。5本(4.5本?)の柱が残っているだけですが、なかなか存在感のある神殿です。

バッカス神殿の左手にはユスティニアヌスの公会堂と呼ばれている建物の跡があり、ここからは見事なモザイクが発見されていて、遺跡近くの博物館に展示されています。
他にも、ローマにならって最高神ジュピター(ゼウス)・妻ジュノ・知の女神ミネルバの3神を祀るゼウス神殿、医療の神を祀るセラピス神殿など、次から次に現れますが、正直保存状態はそんなに良くありません。


元老院



アーチが残っているのは元老院。4世紀に再建されたものだそうです。背後に多くの柱などが残っているのがわかるでしょうか。これらの柱が全て神殿などの跡です。

劇場左のエリアは見どころ満載で、メモを取っていたのですが、柱ばかりなので正直よく分からなくなってしまいました。この周辺には、アプレイウスの教会、裁判所、富豪が寄贈したフラヴィウス・ツイルスの泉、アントニウスの神殿、南のフォーラムの神殿などが残ります。アプレイウスというのはギリシャの詩人で女性を騙して訴えられたものの見事な弁舌で無罪になったのだそうです。

左の美しい柱はアプレイウスの公会堂に残っていたもの。
近くには美しい柱頭も転がっていました(右)。

   


私のメモだとフラヴィウス・ツイルスの泉には「人物像が残る」とあるので、下の写真が泉なのではないかと思います。後ろにあるのはアントニウスの神殿・・・かな。アントニウスの神殿は狩の神を祀っているそうです。





自由時間に散策してみました。
それにしても海のある遺跡というのは素敵です。

フォーラムの浴場周辺





右手の5本の柱はゼウス神殿。道を挟んで左側が元老院などです。





フェニキア人の塔


ローマ時代の遺跡見学が終わり、遺跡入口近くの博物館に向う途中に右のような塔が見えました。

これはフェニキア人の塔と呼ばれているもの。

紀元前2世紀のもので、フェニキア人一家のお墓なのだそうです。

サブラタは元々はフェニキア人が建設した街ですが、フェニキア時代のものはほとんど残っていません。

フェニキア人の国カルタゴが滅ぼされてから、ローマ帝国の下で繁栄したサブラタですが、ローマ帝国の衰退に伴い、次第に衰退し、後5世紀にはゲルマン系のヴァルダン人の襲来により、多くの建造物が破壊されます。

ビザンチン帝国が再建したものの、7世紀にはアラブ軍の占領により、再び廃墟となります。

20世紀に入ってから発掘・修復が行われたものの、未だ発掘されたのは一部分だけで、また、海風に弱い材料により修復してしまったため、新たな修復が急がれているのだそうです。



博物館


遺跡入口近くには博物館があり、遺跡から発掘された多くの彫刻やモザイクが展示されています。

右はユスティニアヌスの公会堂の床を飾っていたモザイク。

6世紀のビザンチン帝国皇帝ユスティニアヌス時代のものです。

オリーブの木を描いているのだとか。
床一面を使った豪華なものですが、モザイクそのものは、とても繊細で綺麗です。
大きなものなので、2階に昇らないと全体を見ることはできません。


他にも、多くのモザイクや、セプティウス・セウェルスの妻の像やアフロディテなど神々の像など、多くの彫刻も展示されています。

ただ、彫刻の多くはヴァルダン人によって首を落とされてしまっているため、どちらかというとモザイクの方が見ごたえがある気がします。

左は海神ポセイドンの息子トリトンのモザイク
右はライオンと豹のモザイク
   


海のあるローマ遺跡は本当に素晴らしい。
見どころの多い遺跡でもあります。
これだけの遺跡があるのだから、リビアは観光立国も可能だと思うのですが・・・。


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参考文献

世界遺産を旅する12(近畿日本ツーリスト)
21世紀世界遺産の旅(小学館)
ユネスコ世界遺産(講談社)


私が訪れたのは、いわゆるアラブの春の前。
カダフィ大佐が健在だった時です。
現地ガイドさんやドライバーさん、ツーリングポリスの人たちは元気でいるのでしょうか。
遺跡は破壊されていないのでしょうか。


基本的に現地ガイドさんの説明に基づいてまとめています。