オフリド

青く美しいオフリド湖と、そのほとりの街オフリド
かって365の教会があったという街は
長い歴史を持つ、美しい街でした。
2018年10月訪問

写真は湖畔に建つ聖ヨハネ・カネオ教会


オフリド湖はマケドニア共和国(旧ユーゴ)の南西、アルバニアとの国境に位置する世界最古の湖の一つです。湖の標高は693m。青く透明な美しい湖のほとりには前5000年ころから人々が暮らし、古代マケドニア王国、ローマ帝国の支配を受けます。そして、3世紀末からキリスト教が広まり、ビザンティン支配を経て997年にはブルガリア王国の首都となり、東方正教会の聖堂が次々と建てられることとなります。かっては市内に365の教会があったとされ、マケドニアのエルサレムと呼ばれたほどでした。14世紀にオスマントルコの支配下に入ると聖堂のフレスコ画は塗りつぶされモスクに転用されますが、独立後は修復によりかっての姿を取り戻しつつあります。



オフリドの観光は湖に突き出た旧市街が中心となります。泊まったホテルが湖畔のホテルだったので、朝の散策で旧市街を眺めることができました。湖に突き出た部分は湖に面した以外の三方を城壁で囲む造りとなっていて、城壁の中が旧市街となっています。

岬に建つ聖ヨハネ・カネオ教会
 
丘の上の サミュエル要塞と城壁

旧市街は道も狭くバスは中に入れません。

そのため観光は徒歩が中心となります。
下から丘の上のサミュエル要塞まで登って行くルートもあるそうですが、私たちのバスの運転手さんが地元の人で道に詳しいので、丘の上の方の城門までバスで運んでくれました。

右は城門近くにあった現在の街の地図。
オフリドの街は15世紀にオスマントルコの支配下に入った後も繁栄を続け、街は拡大します。
旧市街は街のごく一部。赤く囲った部分です。
新市街にはモスクが多いということでした。街ではキリスト教徒とイスラム教徒が仲良く共存しているそうです。

旧市街の観光したところを地図に書き込んでみました。



上の門



かって城壁には4つの門がありました。今残っているのは2つで、これは「上の門(UPPER GATE)」

門を入ると住宅街の中に小さな教会。
14世紀建立のデミトリヤ教会


オフリドの旧市街には、こんな小さな教会がたくさん残っています。
少し進むと立派な建物が見えて来ました。


聖母マリア教会(旧クリメント教会)

聖母マリア教会は名前の通り聖母マリアに捧げられた教会。

現地ガイドさんによると、聖母マリアに捧げたマリア教会はたくさんあるので、「プレビリウス(見渡せる)」と地元では呼ばれているそうです。

この教会は美しい壁画と、かって聖クリメントの聖遺物が納められていたことで有名です。

聖クリメントとはオフリドで大変尊敬されている聖人で、聖キリル(キュリロス)と聖メフォディ(メトディオス)の弟子でスラブ地方にキリスト教を布教した人物。
現在、スラブ圏で使用されているキリル文字を発明したのは彼らと考えられており、聖クリメントが完成したとされています。
それだけでなくマケドニアでは聖クリメントはヨーロッパで最初の大学をオフリドに建てたとされています。

地球の歩き方には聖母マリア教会が聖クリメント教会と表記されていましたが、現地ガイドさんによると聖クリメントの聖遺物が納められていたときは、そう呼ばれたけれど、今は他の教会に聖遺物は移されていて、そちらが聖クリメント教会とのこと。

聖クリメントは知恵を表わすため白髪白鬚の老人で描かれることが多く、
後には頭が大きく強調されるようになります。書かれている文字がキリル文字。
聖母マリア教会の説明図
 
 イコン博物館の大きな頭の聖クリメント

聖母マリア教会は横に回るとかなり大きた建物であることが分かります。美しい。

この教会のすぐ隣がイコン博物館

イコン博物館



オフリド中の教会の優れたイコンが集められたイコン博物館
11世紀から19世紀のイコンが展示されています。
写真撮影禁止なので売店で買ったお土産で紹介。

12世紀の受胎告知
   

オフリドには365もの教会があったと言われますが、そのほとんどは東方正教会です。
東方正教会の特徴は美しいフレスコ画とイコン。
特にイコンは東方正教会ならではのもの。

イコンは板絵であることが多いですが、単なる美術品・装飾ではありません。人々はイコンに祈り、口づけをしますが、イコンが信仰の対象というわけではなく、イコンを通してイコンに描かれたキリストやマリア・聖人に祈りを捧げているのだそうです。

正直分かりにくいですが、色々調べていたら「遠距離恋愛の恋人の写真」との例えがありました。ちょっと分かった気もしましたが・・・。

ともかくイコンは、なじみのある西洋美術とはちょっと違います。西洋美術が「人間」主義なのに対し、「神」の表現を追求したというべきなのでしょうか。
偶像崇拝禁止との関係もあるのかもしれませんが、一般にイコンは内面を強調し、平面的で動きのないものが多いといえます。

しかし、13世紀末あたりからオフリドでは動きのある写実的なイコンが描かれるようになります。ギリシャ正教のルネッサンスと呼ばれるそうで、その代表的作品が右の聖マタイ。福音記者であるマタイが布教をしている姿を描いたものです。動きのある自然な姿です。

ギリシャ正教のルネッサンス時代の作品は他にもいくつか展示されていました。
キリストの洗礼
 
 最後の審判

もちろん、いかにも「イコン」と言った作品も多いです。
イエス・キリスト
 
 聖母子。互いに指差すのは認めあう表現。


イコン博物館を出て、上の門の近くに戻ってから坂道を上がったり下ったり・・・。
特徴あるオフリドの民家が目に付きました。上に行くほど広くなる造り。道が狭い故の工夫だそうです。

 伝統的民家をあしらった街灯
 2階が広く、道にはみ出してます。


古代劇場



住宅街の中にいきなり現れる劇場。前2世紀に丘の斜面を利用してギリシャ劇場が建てられ、ローマ帝国支配下で剣闘士の興行も行えるように改築されました。

伝説ではオフリドの街を建築したのはテーベを建築したカドモス。かって街はギリシャ語で「リクニドス(光の街)」と呼ばれていました。
ローマ時代にはバルカン半島を横断しビザンティウム(現イスタンブール)に至るエグナティア街道沿いの街として繁栄します。

ローマ時代には劇場はキリスト教徒弾圧の舞台ともされ、ここで殉死した聖人も多かったそうです。そのため、後にキリスト教が広まると劇場の石材は教会に使用されるようになりました。加えて、丘の斜面に建てられていたため、いつしか崩れて埋まってしまい、劇場の上には住宅が建てられるようになります。

20世紀に発掘が始まった際は、劇場の上に14件の家が建っていて立ち退きも大変だったとのこと。かっては現在住宅が建っているあたりまで客席となっており、7000人を収容可能でした。
劇場は2000年からコンサートに使用されており、現在の客席は3000席だそうです。

美しい民家が並ぶ坂道を上ります。綺麗な街だなあ。
   


初期キリスト教会跡



建物の跡が残る遺跡の中に屋根で保護されている場所や新しい建物が混在している場所。現地ガイドさんは「複合建築群」と説明していました。ここは初期キリスト教会や中世の教会、オスマントルコ時代のモスクなどがあった場所。右端に写っている屋根は発掘で見つかった初期キリスト教会を保護しているもの。写真中央奥に写っている新しい建物は再建された大学、そして写真左端に写っているのは修復された聖クリメント教会(旧パンテレモン教会)。

屋根で保護された初期キリスト教会


残念ながら初期キリスト教会は見学できません。
しかし、修復された聖クリメント教会周辺には古代の遺構が複数残っていました。

聖クレメント教会(旧聖パンテレモン教会)



この教会は元々はローマ時代に建立されたもので、医師でもあった聖パンテレモン(聖パンテレイモン)に捧げられたもの。聖クリメントは916年に亡くなるとこの教会に葬られました。15世紀にオスマントルコの支配を受けるようになると教会はモスクに転用され、聖クリメントの聖遺物は聖母マリア教会に移されます。しかし、近時教会は修復され、2002年に聖クリメントの聖遺物も戻って来ました。そのため、今では聖クリメント教会といえば、この教会を指すのだそうです。

教会入口の聖クリメント


内部は写真撮影禁止なので紹介できないのが残念ですが、地下にローマ時代の礼拝所が残っているだけでなく古いモザイクや、保存状態は良くないものの中世のフレスコ画を見ることができます。聖クリメントの棺には聖クリメントを描いたイコンが置かれ、人々の信仰を集めていました。


聖クリメント教会の前にはローマ風の円柱が並んでいます。
初期キリスト教会の時代の司教館



聖クリメント教会のすぐ近くに残る5世紀の洗礼池


洗礼池が大きいのは当時の洗礼はキリスト教に改宗する大人達に対して行われたから。

モザイクが綺麗に残っています。卍に似ているものはは太陽のシンボル。



丘の上の要塞まで急な坂道を上ります。ここはちょっと坂がきつい。

サミュエル要塞

旧市街の丘の上に建つサミュエル要塞は10世紀から11世紀にかけてブルガリア王国のサミュエル王によって築かれたもの。ブルガリア王国ではオフリドが首都とされていました。

当時、大きな勢力をもっていたビザンティンから独立を守り、領土を広げたのがサミュエル王でした。

淡水湖であるオフリド湖に面する要塞は湖以外の三方を城壁で囲めば守りが容易であり、また湖のおかげで水にも困らず籠城にも適していました。
このため古代から要塞が築かれ、最初に要塞を築いたのはアレクサンダー大王の父フィリッポス2世とも言われています。

ブルガリア王国とビッザンティンの争いは半世紀に及び、サミュエル王は結局ビザンティンに敗れ、王の死後4年目にオフリドはビザンティンの支配下に入ることとなります。
戦に敗れた王は目をつぶされたとも、捕虜となった多数の兵の目がつぶされて王の元に送り届けられたのを見て卒倒して亡くなったとも言われています。
昔の戦いって、残酷ですね・・・。

要塞の中は建物の跡が残るだけ・・・。


しかし、城壁からの眺めは素晴らしい。

 聖母マリア教会が見えます
 見張り塔には国旗が立ってました

城壁から見たオフリドの街。旧市街の先には新市街が広がっています。


青い湖が美しい。



オフリドの眺めを堪能した後は湖畔の聖ヨハネ・カメオ教会に向かいます。
林の中を突っ切るのが近道。紅葉も始まってました。
   

林を抜けるとオフリドを代表するビューポイント

聖ヨハネ・カネオ教会



聖ヨハネ・カネオ教会は13世紀に建てられた小さな教会。上から見ると十字型をしています。ドームが三角形なのはアルメニアの影響。内部のフレスコ画は雨漏りで傷んでいますが味わいはあります。何より、美しい景色。最近、この教会で結婚式を挙げるのが大人気なんだそうです。

オフリド湖は太古の大陸移動の際にできた湖で深さが155mもあります。透明度が高く、本当に美しい。
冬も凍らず、この湖のおかげで街は高地にあるにも関わらず冬も温暖なのだそうです。


実は日本が環境保護のため排水管を贈っているのだそうで湖の美しさ維持に日本も貢献してます。

この後、湖畔沿いを歩いて行くか、3ユーロでボートに乗るか、という話になりました。波も穏やかだったので、ボートで街に戻ります。波も穏やかで気持ちが良い。青い湖が本当に綺麗。

ボートは聖ヨハネ・カメオ教会のそばをぐるりと廻ってくれました。


旧市街を見渡しながら街に向かいます。


サミュエル要塞の旗が翻っている・・・。


船着き場は、なんと、湖畔の民家の軒先でした。
ボートを下りて少し歩けば聖ソフィア大聖堂

聖ソフィア大聖堂




聖ソフィア大聖堂が建つ場所は、古代からオフリドで聖なる場所とされたところで、かっては異教の神殿が建てられていたそうです。

その後、初期キリスト教会が建てられ、11世紀にオフリドの中心となる司教座教会として現在の大聖堂が建立されました。
大聖堂が建てられたのが東西教会が分かれる前だったため、古い様式が残されています。

14世紀に増築されますが、オスマントルコの支配下でモスクとされ、美しいフレスコ画はモルタルで塗りつぶされてしまいました。

1950年代からモルタルを落とす修復作業が始まり、長い修復期間を経て、今では昔の姿が蘇っています。教会は美しいだけでなく音響効果も素晴らしいため、オフリドのサマーフェスティバルの時は音楽会が開かれるそうです。

教会内部は写真撮影禁止なので絵葉書で紹介します。正直、絵葉書の質が余り良くないのだけれど、それでも雰囲気は伝わるかと思います。

正面に描かれた聖母マリアは幼子イエスを抱いているのではなく、救世主の出現を世に示しているのだそうです。

そして、天井にはキリストの昇天の場面が描かれ、その下には天使や聖人が並んでいます。

救世主の出現を示す聖母マリア
 
 キリストの昇天


新市街に向かう途中、立派な伝統的民家がありました。
豪商の屋敷で、今は博物館になってます。
   


湖のほとりの聖クレメント広場


新しい街にはレストランやお土産屋さんが並んでいます。



随分と歩きました。
ホテルで休んでいたら、湖沿いの山に日が沈んでいきました。


そして、美しい夕焼け


オフリド満喫しました。
2泊できて幸せ。


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日本では余り資料が見つかりませんでした。
基本的に現地ガイドさんの説明を元にまとめています。