ストピ遺跡

マケドニアのほぼ中央にあるストピ遺跡
マケドニアで最大のローマ遺跡であり
保存状態も大変良い遺跡です。
2018年10月訪問

写真は洗礼所


ストピはマケドニア共和国(旧ユーゴ)に残る最大のローマ遺跡。規模が最大なだけでなく保存状態も良いことで知られているそうです。

街を築いたのは前2世紀のマケドニア王フィリッポス5世。アレクサンダー大王死後、分裂したマケドニアの末期の王です。
マケドニアが滅亡するとローマ帝国の支配下に入りますが、街はエグナティア街道の拠点としてギリシャのテッサロニキと並んで繁栄することとなります。貨幣も鋳造していたそうです。
更に4世紀にキリスト教が公認されると、キリスト教徒の街として栄え、立派な教会が建てられるようになります。しかし、6世紀の大地震で街は放棄され、19世紀まで埋まったままでした。

フランス人によって発見され、発掘が進められていますが、発掘されたのは街の20%ほど。それでも広大な遺跡なのですから、かっては非常に大きな街だったのでしょう。

右は入口にあった遺跡の地図。街はバルダ川とエレゴン川(黒い川)に囲まれた地にあり、外壁と内壁が街を守っていました。かっての人口は1,5万人。内壁の中に住んでいたのは富裕層。遺跡には劇場・教会・公衆浴場の他、富豪の邸宅がいくつも残っています。

遺跡に入ると、まず劇場と大きな屋根が目に入りました。期待できそう。


ここでは遺跡ガイドさんが説明をしてくれます。ガイドさんの後に付いて出発。

劇場



ローマ時代に建てられたローマ劇場。元々は34〜36列あり、7600人収容可能だったそうです。
ここで演劇や音楽・パントマイム、そして剣闘士の試合が行われました。地下にネメシス女神の神殿があり、礼拝してから試合をしたのだそうです。ネメシス女神は義憤の神。人々が神に無礼を働くとそれを罰したといいます。真剣に、不正が行われないように・・・ということでしょうか。4世紀、キリスト教徒の街になると娯楽が不要となり、劇場の石は教会の石材とするため持ち去られてしまったということでした。左側がオリジナルで右側は修復したもの。席は指定席だったそうです。

劇場を見た後は、丘の上の大きな屋根のあるところに向かいます。


大きな屋根の下は大きなバシリカでした。

バシリカ(初期キリスト教会)



巨大なバシリカは上から見学する形になっていました。実に大きい。現地ガイドさんはフィリップ司教のバシリカと言っていました。3度にわたり増築されたもの。三廊式でモザイクも残ってます。

 モザイクだけでなく柱の跡も見えます
 モザイク部分。少し調整しました。

このバシリカに隣接する形で美しい洗礼所も残っています。
ここも上から見学します。

洗礼所



5世紀のモザイクが残る洗礼所。中央の大きな洗礼池で大人が洗礼を受け、小さな壺のようなところで子供が洗礼を受けたそうです。子供用というか赤ちゃん用でしょうか。
この洗礼所のモザイクは、その美しさで有名。ダビデの詩を描いたものということですが、美しい孔雀はマケドニア紙幣のデザインとして使用されています。

孔雀と動物が描かれています。
 
 孔雀をアップで撮ってみました。

横から見た洗礼所。孔雀が少し見えますが、これ以上近づけません。



今度はバシリカの裏手に移動です。途中にも美しいモザイクがありました。


バシリカの一部だったのか・・・綺麗。


バシリカの裏手に行くと、古代の道が残っています。

聖なる道と半円形フォーラム



この道は聖なる道(ヴィア・サクラ)と呼ばれていました。教会と墓地を繋ぐ道だったというのが名前の由来だそうです。

そして、この道の先にはヘラクレア門があり、マケドニア南部のヘラクレス・リンケスティス(現ビドラ)へと続いていました。また、サクラ門という門もあり、その門はエグナティア街道へ通じていました・・・・・と遺跡ガイドさんが説明してくれたのですが、ヘラクレス・リンケスティスはエグナティア街道沿いの街、実はストピは元々のエグナティア街道からは外れていて、おそらく街道が出来てから副街道的な道が造られたんじゃないかと思います。確認し損なったのが残念ですが。

面白いのは、この聖なる道に面して半円形のフォーラムがあったこと。
遺跡ガイドさんによると、街道沿いの今で言うショッピングセンターだったんだそうです。

今も半円形の基礎と数本の柱が残っています。
柱がピンク色で綺麗だなあって思ってたら、遺跡ガイドさんが、元々は10本のピンク色の柱で飾られたショッピングセンターだったんだよ、と教えてくれました。豪華なショッピングセンターですね。

柱の背後に見えるのが店舗の跡なんでしょうか。どんな商品を売ってたんでしょう。



古代のショッピングセンターから道を進むと居住区に出ます。

ドムスの家



3世紀の大邸宅。衣料を扱っていたらしく貝紫の色素が発見されました。
紫を使うことができるのは、当時、皇帝か司教のみ。ということは高級衣料店?


少し進むと立派な建物が見えて来ます。

テオドシウス宮殿




テオドシウスは東西に分裂していたローマ帝国を再統一し、392年にキリスト教を国教とした皇帝です。皇帝の死後、東西ローマの分裂が確定的となりました。

テオドシウス「宮殿」と呼ばれますが、この街に宮殿があったわけではなく、この街にテオドシウス帝が訪れた時に泊まったという建物です。

とはいえ、ローマ皇帝が宿泊するわけですから、豪華な造り。
特徴的なのは7つの壁龕と、中庭を囲む円柱、そして、美しいモザイクでしょうか。

7つの壁龕には、セラピス・アフロディテ・アポロンといった神々が飾られていました。
それらの像は発掘されたのがユーゴスラビア時代だったため、当時の首都ベオグラードに運ばれてしまったのだそうです。返してもらうのは難しいんでしょうか。本来、像があった場所で見てみたい気がしますが。

また、柱も豪華です。よく見ると色々な種類の柱が置かれているのが分かります。
ピンク色の大理石や緑色の大理石なんでしょうか。きっと高い石なんだろうなあ。

テオドシウス宮殿に沿って道を折れると、別の豪邸が現れます。

ペリスティアの家



大実業家だったと考えられるペリスティアの家。この家には、なんと46もの部屋があります。使用人も含めて50人が暮らしていたのではないかと考えられています。昔の金持ちは桁が違う。

ダイニングルームで食事を摂りながら商談をしました。


当時、人々はお腹が一杯になるまで食べると、食べたものを吐いて、再び食べ始めたと言います。
また、食事の時はベッドで寝転び、くつろぎながら料理や酒を楽しんだんだそうです。
ベッドを3つ置いていたとのことでした。

魚のモザイク。
 
 よく見ると、タコもいます。

ダイニングルームと廊下を挟んで隣には白い柱が残る部屋もありました。


なんと、この部屋にはプールがあります。

プール
 
 プールに飾られた家族のレリーフ

ローマ時代からお金持ちの家にはプールがあるんですね・・・。

大金持ちの家の並びに、こんな場所があります。

公共水飲み場



クレペ山から地下水道を引いていたのだそうです。

水飲み場と道を挟んで向かい合っているのがローマ遺跡に不可欠なもの。

大浴場



男性用の大浴場だそうです。お風呂上りに水を飲んだのかしら。

大浴場のあたりから白い柱がいくつも見えます。

ポルパモスの家とシナゴーグ



ユダヤ商人ポルパモスの家とユダヤ教の聖堂シナゴーグの跡だそうです。
キリスト教徒だけでなくユダヤ人も暮らす街だったんですね。
手前がポルパモスの家。この家もかなり大きい。建物の横を通ってモザイクの残る部屋へ。


美しいモザイク。ここで宴会しながら商談したのでしょう。


モザイクの牡鹿はダビデの詩に基づくのだそうです。



小浴場



シナゴーグの裏手あたりに位置する小浴場。
この浴場からは女性の装飾品が発見されていて、女性用だったと考えられています。

少し離れたところへ移動

公文書館



街の歴史を書いたパピルスを納めた公文書館
書架の壁は市壁となっています。
公文書館には閲覧室もあって、美しい大理石の床が残っていました。



劇場の近くに戻って来ました。

カジノ



カジノ用の大理石のサイコロのモザイクがあったことが名前の由来
結構、立派な建物です。



ここまで来ると劇場は、すぐ近く。これで見学も終わりかと思ったら
遺跡ガイドさんが「もう一つ見せたいものがある」とのこと。
少し離れたところまで歩きます。

イシス神殿



遺跡ガイドさんは「コンプレックス」と言っていました。複合建築体ということでしょう。
ここはイシス女神の神殿を中心に複数の建物があったようです。
イシス女神は豊穣・多産の女神。元々はエジプトの神ですがローマの庶民に人気でした。
イシス女神の神殿からは2,5mもの巨大な女神像が見つかっているそうです。




以上で観光終わり。
最初は45分くらいの見学時間という話だったんですが
遺跡ガイドさんの説明に熱が入り、倍の90分ほど見学できました。
遺跡ガイドさん、ありがとう。


モザイクも数多く残っていて見ごたえのある遺跡です。
更に発掘が進むと良いですね。

見学後、ギリシャに向かいました。
遺跡近くを通る高速のおかげで国境まで1時間でした。


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日本では余り資料が見つかりませんでした。
基本的に遺跡ガイドさんの説明を元にまとめています。