イムディーナとラバト

マルタの古都イムディーナ
聖ヨハネ騎士団以前の都だった場所
聖パウロが3カ月過ごした街でもあります。
2017年1月訪問

写真はイムディーナ大聖堂(聖パウロ大聖堂)


マルタ島の中央部に位置するイムディーナとラバトは元々は1つの街でした。歴史は古く、紀元前700年ころにフェニキア人が築いた街が始まりと言われています。街は島で一番標高の高いマルタ中央部に位置しており、これはフェニキア人が防衛を考えたからのようです。フェニキア人の後、島の支配者はカルタゴ・ローマと変わっていき、ローマ人の時代が長く続きました。キリスト教が広まったのもローマ人の時代です。
その後、870年に島にアラブ人が侵攻してくると街はアラブ人によって城壁で囲まれた中心部イムディーナと郊外のラバトに分割されます。アラブ人が去った後もイムディーナはマルタ島の首都として貴族や僧侶が暮らしていましたが、1530年に島が聖ヨハネ騎士団の所領となり都がスリーシティーズに移ると街は次第に寂れ、「静寂の町」と呼ばれるようになりました。


高台にあるので、遠くからも街が見えます。
イムディーナ大聖堂のドームは修復中でした。



イムディーナ

まずは城壁に囲まれたイムディーナから見学


イムディーナの町に入るメインゲート


ゲート前にあった街の説明図


街が城壁で囲まれているのが分かります。9世紀の街の中心部を城壁で囲んだわけですから、決して大きな町ではありません。かってのメインゲートは跳ね橋になっていたということですが、現在は橋が架かっていてバロック様式のゲートとなっています。聖ヨハネ騎士団がマルタに入るときの条件が「マルタの貴族と僧侶を侵すな」というものだったため、聖ヨハネ騎士団はイムディーナとは別に海沿いのスリーシティーズを築くのですが、地震でイムディーナが被害を受けた時に騎士団が復興したため、今の門には復興に当たった騎士団長の紋章が彫られています。




メインゲートに彫られた聖ヨハネ騎士団長マノエル・ドゥ・ヴィナーレの紋章
地震で破壊された街を修復した騎士団長です。



門を入るとこんな感じ。観光馬車が雰囲気演出。中世の趣き。



門の内側に彫られているのはマルタの守護聖人たち


3人の人物はマルタの守護聖人。中央は聖パウロ。右の女性は聖アガタ、左は聖パウロによりマルタで最初にキリスト教徒となった聖プブリウス。聖パウロは元々はキリスト教を弾圧する立場にあった人物ながら、「なぜ私を弾圧するのか」というイエスの声を聴いてキリスト教に改宗した人物。改宗後は熱心な伝道者となり、ローマから弾圧されることとなります。西暦60年、聖パウロはエルサレムで捕縛され、裁判のためローマに送られることとなりますが、途中船が難破し、マルタに流れ着きます。その時、マルタの人たちが火でパウロを温めようとしたところ、毒蛇が現れ、パウロを噛んだにもかかわらず、パウロは何ともなかった・・・そのため人々がパウロを聖人として受け入れた・・・という場面が彫られています。聖プブリウスは当時のマルタの長官でパウロによって父の病を治してもらったことからキリスト教徒となり、マルタ最初の司祭になったのだとか。聖アガタは美しいキリスト教徒でローマ支配者から愛人になれと迫れたのを拒絶したため、乳房を切り落とされたという聖人。乳房を持っている姿で描かれることが多く、上のレリーフもその様式。

ゲートを入ってすぐ左側にある見張り台
 
 ゲート入って右側は騎士団長の別荘

地震の復興に当たった騎士団長がどさくさに紛れて別荘を造っちゃったのだとか。

9世紀のメインロードを進みます。
弓矢を防ぐために道が曲がっているのだそうです。
   



イムディーナ大聖堂(聖パウロ大聖堂)と聖パウロ広場


大聖堂はマルタで最初にキリスト教徒となったプブリウスの館があった場所に建てられています。
幾度も再建され、現在の大聖堂は1702年に完成したもの

大聖堂の周辺はかっての行政の中心でした。立派な建物が並びます。
   


大聖堂内部




大聖堂の中には、聖パウロの難破の場面やその生涯が描かれていました。
聖パウロに捧げた教会であることから、聖パウロは聖ペテロと並んで描かれています。
聖ペテロは十二使徒の筆頭としてキリストから天国の鍵を預かった人物
聖パウロは十二使徒には含まれないのですが、ここでは凄い人気。

 聖ペテロ
主祭壇
 
 聖パウロ


美しい天井
   


美しい色大理石で飾られた床。実はこれは墓です。


大聖堂の墓は司教や大司教のものが多いのだとか。
見分け方として帽子の房が3つなのが司教。4つなのが大司教とのこと

 帽子の房が3つ
これは司教の墓
 房が4つの大司教 
十字架に横棒が一つ付くのも大司教の証


大聖堂を出て、更に街を散策

 イムディーナで一番古い建物(1階部分)
古い建物は窓が高い位置にあるそうです。
 街中に綺麗な像がありました。
聖母子像でしょうか。


こちらは2番目に古い建物
現在は博物館
 
 古い建物を利用して生活してるんですね
中庭が見えました


堡塁広場という眺めの良い場所に出ました。
ヴァレッタの街や海まで見ることができます。


マルタは東京23区の半分の大きさというのを妙に納得。
イムディーナが高台にあるからか、島の多くの場所を見ることができます。


ラバト

日を改めてラバトを見学
観光用の可愛いバスが客待ちしてました。


観光バスの裏手にある建物はローマ古美術館
ローマ時代のモザイクなどを展示しているそうです。
私は行く時間がありませんでしたが、ローマ時代のラバトを語る博物館みたいです。


街を歩くと、ともかく教会?が目に付きます。
一体、いくつの教会があるのだろう・・・

   


街中にあるキリスト教関係と思える場所・・・
本当にキリスト教が浸透している感じ。




更に歩いたら、立派なドームが見えて来ました。



ドームは聖パウロ教会のドームでした。
正面から見た聖パウロ教会



聖パウロ教会は、聖パウロが暮らしていたと言われる洞窟の上に建てられた教会です。

聖パウロがローマに送られる途中、船が難破してマルタに漂着したということはイムディーナのところで述べましたが、その後、聖パウロはこの地にあった洞窟で3カ月の間生活をしていたのだそうです。ここを拠点にマルタにキリスト教を布教していったわけです。

現在のマルタの人々は、ほとんどがキリスト教徒。聖パウロのマルタ漂着は、マルタにとって、何より大事な事件でした。

最近でも、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世は、この地で祈りを捧げたそうです。

また、このあたりは、かっての街の郊外にあたります。昔は公衆衛生の見地から死者を街中に葬ることは禁止され、死者は郊外に葬ることになっていました。このため、この教会の周囲には昔の墓地・カタコンベが多数残っています。

人々は地下を彫り、死者を葬る地下墓地を築きました。教会の周囲には聖パウロの地下墓地・聖アガタの地下墓地と名付けられた地下墓地が残っています。

聖パウロの地下墓地入口
 
 聖アガタの地下墓地のある聖アガタ教会


私たちは聖アガタの地下墓地を見学しました。

聖アガタはシチリア貴族の娘で美貌に恵まれたキリスト教徒でした。彼女は当時シチリアを支配していたローマ人支配者から妾となるように迫られましたが、これを拒絶したため、キリスト教徒として拷問を受け、両乳房を切り落とされたと言われています。

聖アガタが迫害を逃れてマルタに隠れ住んだという伝承があり、彼女はマルタ島の守護聖人となっています。

彼女が隠れ住んだとされる地下の洞窟は礼拝所となっており、更に、その奥には4〜8世紀の地下墓地・カタコンベが続きます。

礼拝所も地下墓地も残念ながら写真撮影は禁止でしたが、礼拝所では12〜13世紀のフレスコ画が印象的。アラブ人によって顔の多くが破壊されているものの、なんともいえない雰囲気がある場所です。

そして、地下墓地ではローマ人が死者を弔うために食事をした石のテーブルや、4世紀のフレスコ画も残っていました。


夜はライトアップされている静寂の街



巨石神殿から聖ヨハネ騎士団の間のマルタの歴史を語る街です。


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参考文献

日本語版マルタ諸島 Miller Distributours Limited

基本的には現地ガイドさんの説明に基づいてまとめています。