巨石神殿

マルタ島とゴゾ島に残る巨石神殿
ジュガンティーヤ神殿とタルシーン神殿を訪れました
ジュガンティーヤ神殿はピラミッドより古い世界最古の宗教施設です
2017年1月訪問

写真はタルシーン神殿の女神像


地中海シチリア島の南に位置するマルタ共和国は総面積が東京23区の半分ほどの小さな小さな島国です。ところが、マルタで一番大きなマルタ島と二番目に大きなゴゾ島では紀元前4100年ころから紀元前2500年ころにかけて巨石を利用した神殿が幾つも築かれ、現在までに23もの神殿が発見されています。下の写真はゴゾ島の博物館にあったマルタ島とゴゾ島の遺跡説明図。小さな島で人口も少なかったはずなのに、何故こんなに多くの巨石神殿を建てられたのでしょう・・・



ゴゾ島のジュガンティーヤ神殿は紀元前3600年ころのもので現存する世界最古の宗教施設として巨石神殿群の中で最初に世界遺産に登録されました。ちなみにエジプト最古の階段ピラミッドは紀元前27世紀、イギリスのストーンヘンジが紀元前2500年ころから紀元前2000年ころの建造とされていますから、その古さは際立っています。現在では他に5つの巨石神殿も世界遺産に追加登録されました。世界遺産に登録された巨石神殿全てを訪れたいところですが、私が訪れることができたのは一番古いジュガンティーヤ神殿と一番新しいタルシーン神殿です。

マルタの首都ヴァレッタの考古学博物館で展示されていた巨石神殿の立体模型
ジュガンティーヤ神殿
 
 タルシーン神殿

ジュガンティーヤ神殿は紀元前3600年ころの大神殿(左)と紀元前3300年ころの小神殿(右)が外壁で一つに囲まれている形をしており、大神殿は現存する最古の巨石神殿です。タルシーン神殿は後に世界遺産に追加登録された神殿で、右の第一神殿から左に順番に神殿が建てられていきました。一番左の第三神殿は紀元前2500年ころのもので現存する巨石神殿で最後に建てられたものです。どちらの神殿も内壁と外壁の間に石や土が入れられ補強されていたため、5000年以上もの間、その姿を保つことができました。
時代が新しくなるに連れて石組みが綺麗になり、神殿内に残るレルーフも複雑なものとなっていくのですが、半円が連なる形は全ての神殿に共通しています。 この形は女性の頭と胸と尻を象徴しているとか、子宮であるとか言われていますが、文字がない時代なので正解は不明。ただ、巨石神殿からは豊満な女性像や再生を意味する蛇やらせん模様、そして生贄にされたと思われる家畜のレリーフなどが見つかっていて、豊穣を祈る場所だったと考えられています。


ジュガンティーヤ神殿

ジュガンティーヤ神殿はゴゾ島の中央部に位置します。
入口は博物館になっていて、お勉強をしてから神殿に向かう形となっています。
博物館を出ると見えてきたのは神殿外壁部



外壁に使用されている巨大な石。まさに巨石神殿です。外壁の高さは約8m。

大きな石は重さ数トンに及ぶと言います。この石は神殿から直線距離で3q離れているゴザ島の丘の石だということ。重機はおろか車輪もなかった時代に巨大な石を運ぶのは大変だったに違いありません。むしろ不可能に思えますよね。

このため、この神殿は人間ではなくサンスーナという女巨人が造ったのだ、という神話が生まれました。左の写真中央部の縦に細長い石に手形のようなものが見えませんか。これは4本指のサンスーナの手形と言われているのだそうです。巨人が男ではなく女というのは、ちょっと面白いですね。

またジュガンティーヤ遺跡で特徴的なのは石の大きさが不均等であること。おそらく、まだ石を均等な大きさに切り出す技術がなかったのでしょう。でも、大きな石と小さい石(と言っても十分大きい)が絶妙なバランスで組まれているのは、別の意味で感動的です。石の形を考えながら組み合わせたんでしょうね。ちょっとクスコの石組みを思い出しました。


回り込んで神殿入口側に出ました。
分かりにくいですが、左が大神殿。右が小神殿。


神殿入口は東を向いています。おそらく太陽と関係があるのでしょう。このため左の大神殿を南の神殿、右の小神殿を北の神殿とも呼びます。大神殿は紀元前3600年ころのものですが、紀元前4100年ころから建築が始まったと言われています。小神殿は紀元前3300年ころのもの。
この神殿を築いた人々はシチリアから船で渡って来ました。シチリアからと分かるのはシチリア産の黒曜石やフリントなどの道具が見つかっているから。道具だけでなく、彼らは農作物の種と家畜とともにやって来ました。巨石神殿を築いたのは農業と牧畜をする人々だったわけです。


大神殿入口


入口近くまで来ると石の大きさが良く分かります。入口両脇の石の高さは人間より高いし、厚さもかなりのもの。また入口の向かって右側にはベンチとして利用された巨大な石も置いてありました。両脇の壁部分の石も実に巨大です。入口付近の高さは6mとのこと。
神殿が作られた時代は新石器時代。まだ金属も車輪もありません。石器で石を切り、丸い石を「ころ」として利用して運んだのだそうです。神殿入口付近に転がっている丸い石はころとして使われたもの。また、神殿入口には丸い穴が開いた石があって、これは生贄を洗った場所。

 転がっているのが「ころ」
アクリル板で保護されている生贄を洗った場所
 


入口から奥を見たところ。正面突き当りに部屋が1つあり、
その手前、通路を挟んで向かい合う半円状の部屋が2対つまり4室あるので全部で5室。


入口を入ったところで、現地ガイドさんの説明が始まりました。

入口を振り返って巨石を見てみると、石に穴が開いているのが分かります。
中央部分の石に穴が4つ開いているのが分かるでしょうか。また、右の背の高い石にも穴が開いています。
これらの穴には木が差し込まれ、ドアが作られていました。

中央の4つの穴が開いている石と向かい合う石にも同じように4つの穴が開いていて、木のドアか、もしくは布などがかけられていたのだとか。西部劇で良く見るスイングドアのような木製のドアか布などを木にかけた入口だったのではないかとのこと。

更に、現地ガイドさんの説明によると、この神殿には屋根もあったと考えられているそうです。
屋根は木材もしくは動物の皮で出来ていたのではないか、とのこと。
それだけでなく、石は磨かれ、その粉と貝殻で漆喰を造って石に塗り、更にその上に赤い染料を塗っていたのだとか。う〜〜ん。紀元前3600年という大昔なのに、凝った造りですね。


入口の先では半円状の部屋が向かい合っています。
内壁も小さな石が組まれるようになっていました。
   

一つ一つの部屋も大きい。遺跡の名前であるジュガンティーヤというのは「巨大」という意味で、これは部屋の大きさから来ているのだとか。

また、これらの部屋はどちらも祭壇のような石が置いてあります。そのうち右上の黄色い石は、なんとシチリア島の火山の石。よく見ると渦巻きというか螺旋が彫られています。神殿が野ざらし状態のため良く分からなくなってしまっていますが、昔は螺旋がしっかり見えたそうです。
螺旋は再生のシンボルとのことでした。

左上の写真の右の石の下に丸い穴があります。これは位置がちょっと低すぎるものの、神官が神託を伝えた穴の可能性もあるそうです。


さらに通路を進むと整備された部屋がありました。
祠が並んでいるように見えます。



通路突き当り、一番奥の部屋


鉄パイプでがっちりと補強されているので、ちょっと分かりにくいですが、この場所は神殿の中で最も古い場所だそうです。部屋は入ると一段高く石が組まれていて、その石には点々模様がたくさん彫られていました。螺旋だけでなく点々模様も巨石神殿では良く見られる模様なのだそうです。

   

大神殿の見学の後は、隣の小神殿へ

小神殿入口




内部から見た入口付近
 
 正面奥の部屋


小神殿は大神殿より新しく紀元前3300年ころに築かれたもの。新しいと言っても、まだピラミッドは出来ていない時代です。

ただ、時代が新しくなっているのに、大神殿より小さく簡素な印象。

とはいっても、入口付近の巨石は見事ですし、奥の祭壇のあたりは、石組みも細かく、いかにも神聖な場所、といった雰囲気。

この小神殿で面白いものが入口付近に彫られている四角い穴。上の丸い穴は巨石神殿時代のものですが、下の方、白い石に縦長に四角く穴が開いているのが分かるでしょうか。

この四角い穴は後の青銅器時代に青銅器で彫られたもの。

実は巨石文明を築いた人々は紀元前1800年ころ姿を消します。深刻な干ばつが起こり、島を離れざるを得なかったのではないかと考えられています。その後、青銅器時代に入ると青銅器を持った人々が島に渡って来ました。当時の人は巨石神殿を見てどう思ったのでしょう。どんな気持ちで穴を開けたのか、ちょっと興味深い。


遺跡に付属する博物館では神殿近くのストーン・サークルからの出土品も展示されていました。
紀元前5200年からのものだそうです。これも凄い古い。
まだ観光はできないそうなので、博物館を見るしかありません。

説明図
 
 手で握ったと思われる人物像

豊満な人物像


このように丸い人物像は巨石神殿からも数多く見つかっています。


タルシーン神殿

タルシーン神殿はマルタ島ヴァレッタの南東に位置します。



ここでは巨石神殿が連なるように建てられており、右から順に第一神殿・第二神殿・第三神殿と呼ばれています。上の写真の中央右寄りが第一神殿。その左の第二神殿では半円状の建物が向かい合う形で6つ並んでいます。そして一番左の巨大な半円状の建物が並ぶのが最も新しい紀元前2500年ころ建てられた第三神殿。神殿は時代を追うごとに巨大になっていっています。
それだけでなく、第一神殿の右側にも古い建造物の跡らしきものがあり、そこからは人骨も見つかっています。最近の研究ではここに最初の巨石神殿が建てられ、第一神殿が新しく建てられた時に神官を古い神殿の跡に葬った・・・と考えられているとか。この古い神殿跡はジュガンティーヤ神殿と同時期のものとされているので、タルシーン神殿は1000年もの長い間、ずっと聖域とされ続けていた場所ということになります。

神殿は街中にあって、テントの屋根で保護されていました。


 神殿の周囲を上から見下ろせるように歩道ができていて、神殿が半円状の構造物の組み合わせであることや、内壁と外壁の間に土が入れられているのが良く分かります。


まずは、最も新しい第三神殿


入口右手にベンチがあったり、入口手前に生贄を洗う場所があるのはジュガンティーヤ神殿と共通。
しかし、入口には左右の石の上に横に石が渡してあって、鳥居のような形。

この第三神殿は紀元前2500年ころに築かれたもの。ジュガンティーヤの大神殿より1100年ほど後のものです。

入口の石は巨石神殿と呼ぶに相応しい大きさですが、入口横の壁は小さな石が整然と積み重ねられています。ジュガンティーヤ神殿で不揃いの大きな石が組み合わされていたのとは随分異なっています。1100年の間に建築様式が変化していったことが良く分かります。

タルシーン神殿は後の青銅器時代に壊され埋められました。そのため、神殿上部は残っていないのですが、埋められたことでレリーフが保護される結果となり、非常に保存状態の良い美しいレリーフを見ることができます。
もっとも遺跡の物はほとんどがレプリカで、オリジナルのレリーフはヴァレッタの国立考古学博物館にあります。

右の鮮やかな螺旋のレリーフは国立考古学博物館入口に置いてある第三神殿入口にあったオリジナル。入口左右に同じような模様の刻まれた石が置かれていたということで、博物館でもきちんと2つ向かい合って飾られていました。4500年前のものとは思えない保存状態の良さです。

遺跡に戻ります。

入口を入ると半円状の部屋が向き合って並んでいるのですが、入ってすぐ右側にあるのが女神像

遺跡のレプリカ
 
博物館のオリジナル
 

上半身が失われていますが、スカートのような衣服をまとい、豊満というか肥大したというか丸い足。これは巨石神殿から数多く見つかっている豊満な女性像と同じく豊穣の女神だったのではないかと考えられています。上部が残っていたら、高さ2.5mもの巨大なものだったそうです。
また、この部屋には捧げ物を置いた場所ではないかと考えられている祠のようなものもあります。

遺跡のレプリカ
 
 博物館のオリジナル


女神像のある部屋の向かいの部屋には、興味深いレリーフが数多く見られます。
まず、灰色のカバーがかかった石には船のレリーフがあったとのこと。

 
 

こんな船でシチリアから渡って来たのでしょうか。


数多くの螺旋模様。螺旋は再生のシンボルと考えられています。
   


生贄に捧げた家畜のレリーフ。博物館のオリジナルの方が遺跡のレプリカより綺麗。
羊・豚・山羊と一目で分かります。動物の口も彫られていて可愛い。


通路に従って進むと第二神殿に出ます。

第二神殿

螺旋のレリーフが印象的
 
 手前には炉?火鉢?


ここには巨石神殿によく見られる木のドアの説明図がありました。
穴に木を通して、下の絵のようなドアにしていたのだそうです。



左手の部屋には大きな水桶。大きな石をくり貫いて造ったもの


第二神殿の方が第三神殿より石が大きい。しかも、大きさが揃っています。


保存状態は悪いものの興味深いレリーフ(オリジナル)


上の写真、ちょっと分かりにくいですが、左右の石に向かい合う形で牡牛が彫られています。

牡牛の背中のカーブや頭の向きがなんとなく分かるのではないでしょうか。

しかし、現地ガイドさん曰く、注目すべきは左の牡牛の下にいる豚のレリーフだそうです。

正直、豚と言われても、そういえば牡牛の右下に四角いのがあるな、四角の下は足だろうか・・くらいにしか見えなかったのですが、実は豚の下には子豚が13匹彫られていて、乳を飲んでいるんだそうです。

現地ガイドさんが言うには、豚というより、13という数字が重要なのだそうです。
13と言われてもピンときませんが、それは女性が1年に迎える月経の回数。

子供を産む女性の神聖を強調したものなのでしょうか。
どうやら、13という子豚の数は、母性・豊穣を祈るものであるようです。農耕民・牧畜民であった巨石神殿を築いた人たちにとって、それは何より重要だったのでしょう。


通路一番奥が第一神殿



一番奥の第一神殿はタルシーン神殿に現存する最も古い神殿ですが、一番小さく、正直、余り見どころはありません。

ただ、興味深いものとして、右の写真の「階段」があります。

現地ガイドさんは、この階段を「屋上に昇るための階段」と言っていました。

ジュガンティーヤ神殿でも、木か動物の皮で造った屋根があったのではないかと言われていましたが、皮であればテントのようなものだったのでしょうし、木であっても軽いものだったと考えられます。
しかし、ここでは「屋上に昇る」「屋上を歩く」ことができる屋根があったということで、より強度の強い屋根だったと想像できるわけです。

どんな屋根だったのでしょうね。第一神殿の石組みは良く見ると非常に石が整った形で切り出されています。階段部分の石も大きさが揃っています。
石組みが、これだけ整然とされていることを考えると、建築方法もかなり幅のあるものになっていたのでしょう。


第一神殿の隣にある古い神殿跡と思われる場所
2つの穴があり、そこから人骨が発見されました。


良く見ると、ここでも石が丸く置かれていますね。


国立考古学博物館



マルタ共和国の首都ヴァレッタにある国立考古学博物館ではマルタ各地の巨石神殿などからの出土品(オリジナル)が展示されています。

美しい螺旋模様
   


豊満な「女神像」とされるものの数々。首ははめ込み式で別に作られていました。

右下タルシーン神殿の女神像に似ています。
 
 横座りが素敵


マルタのヴィーナスと呼ばれる小像。手のひらにのるほどの小さな像です。マルタ島南部のハジャー・イム神殿から出土しました。

ハジャー・イム神殿は私は行くことができませんでしたが、タルシーン神殿と一緒に世界遺産に追加登録された巨石神殿です。

タルシーン神殿の巨大で豊満というか丸い女神像と比べるとリアルな女性の体を表わしている気がします。

実はこれまで紹介してきた「女神像」と言われるものについては、本当に女性?という声もあるのだそうです。他の女神像とされるものはマルタのヴィーナスと違って乳房が強調されていません。だったら太った男性じゃないの?お相撲さんの胸みたいなんじゃないの?という声があるわけです。

ただ、女神像とされるものも、このマルタのヴィーナス同様にお腹に手を回しています。だから、やっぱり女神なんじゃないかなあ、というのが現地ガイドさんの説。私も豊満な像は豊穣を祈る大地母神とするのが、やはり妥当な気はします。


ハル・サフリエニ・ハイポジウム神殿出土の「眠れる女性(Sleeping Lady)」像


なんとも美しい女性像。ちょっと現代彫刻のようでもあります。
これも手のひらサイズの小さな像です。

ハル・サフリエニ・ハイポジウムは地下神殿でもあり墓地でもあった場所。
紀元前2500年ころに石器で地下を彫って造られたもので世界遺産になっています。
2017年1月は修復中のため見学不可能でした。


小さな島の巨石神殿
築いた人々はどこに去って行ったのでしょう。


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参考文献

日本語版マルタ諸島 Miller Distributours Limited

基本的には現地ガイドさんの説明に基づいてまとめています。