オールドバガン
三大仏教遺跡の一つと言われるバガン
広大な遺跡の中心がオールドバガンです。
オールドバガンを独立してまとめました。
2015年12月訪問

シュエサンドー・パゴダから見たバガンの日の出


バガンはミャンマー中部、エーヤワディー(イワラジ)川中流域に位置する遺跡で、現地ガイドさん曰く、「ミャンマーの奈良」。9世紀ころから街が始まり、11世紀に成立したビルマ最初の統一国家・バガン王朝の都とされた場所です。
ミャンマーでは元々南部に住むモン族の勢力が強かったのですが、9世紀ころからビルマ族がエーヤワディー平原に侵入し、11世紀のアノーヤター王がモン族のタトゥン国を破ってミャンマーを統一し、バガン王朝が成立します。バガン王朝はモン族で広まっていた上座部仏教(小乗仏教)を取り入れ、この地に多くのパゴダ(仏塔・寺院)が建てられるようになります。
しかし、歴代の王や豪族が競うようにパゴダを建て続けたことで、やがて国家財政は逼迫し、13世紀の元の侵入でバガン王朝は滅びます。かって、この地には5000のパゴダがあったと言われ現在も2500のパゴダが残っています。


タラバー門



タラバー門はバガン王朝に先立つ9世紀にビルマ族のビンビャー王が築いた城壁の入口。この城壁の中をオールドバガンと呼びます。バガン遺跡はオールドバガン、ニューバガン、そしてニャウンウー村などの周辺の村一帯の約40Kuの広さがあります。広大な遺跡は見どころが非常に多いのでオールドバガンとその周辺を独立してまとめました。

オールド・バガンでは馬車での観光が定番
次々とパゴダが現れます。馬車で揺れながら写真撮るのは、ちょっと難しいけれど・・・
   

ちなみにパゴダというのは英語で仏塔と寺院を意味し、
パヤーというのはミャンマーなどで使われる仏教用語で「仏塔」を意味します。
寺院は僧が暮らしますが、仏塔は礼拝の対象。
英語のパゴダの方が(仏教良く分かってないから)大雑把な使い方。
馬車で向かった先は夕日の名所シュエサンドー・パヤーです。


シュエサンドー・パヤー



シュエサンドー・パヤーはバガンの中で数少ない登れる仏塔。城壁のすぐ外側にあって、夕日を見る名所として知られています。我々のツアーでは夕日だけでなく日の出もここから見学しました。

この仏塔は、バガン王朝を開いたアノーヤター王がモン族のタトゥン国を破って間もない1057年に建てたもの。
5層のテラスの上に仏塔が置かれる構造の立派な建物です。

シュエーサンドーの「サンド―」とは「聖なる髪」という意味。この仏塔にはアノーヤター王がタトゥン国から奪ったお釈迦様の髪が収められていると信じられています。

ミャンマーにおいて仏教はスリランカなど南から広まりました。そのため、ミャンマーの南を支配していたモン族のタトゥン国ではビルマ族より早く仏教が広がっていたようです。

スリランカから伝わった仏教は上座部(小乗)仏教。日本に伝わった大乗仏教と異なり、観音や菩薩は描かれず、お釈迦様だけが信仰の対象です。仏塔はお釈迦様と同視されるものでした。そんな仏塔にお釈迦様の聖遺物が収められているというのですから、非常に重要なものだったのでしょう。

裸足にならないといけないとはいえ、よく外国人を登らせてくれるものです。

ということで、シュエサンドー・パヤーの歴史的意義は大したものなのですが
やはり、何と言っても、ここの魅力はバガンの景色を見渡せること。


パゴダに上って日が沈むのを待ちます。
多くのパゴダ・・・実に素晴らしい。



夕映えのバガン遺跡
   

多くのパゴダが建ち並ぶさまは、実に見事です。
ボロブドゥール・アンコールと並ぶ3大仏教遺跡と言われるのも納得。


バガンの夕暮れ



そして、日の入り



翌日、暗いうちに再びシュエサンドー・バヤーに向かいます。
昨日とは反対側で日の出を待ちます。

暗闇からパゴダの姿が現れ始めます。



東の空が美しい色に染まり始めました。



日の出です。



日が昇ると、いくつもの熱気球が空に上がって来ました。
なんとも幻想的。



かなり明るくなってきました。バガンの朝です。
   

日の出を堪能した後は、バガンで有名な寺院を巡りました。



アーナンダ寺院



城壁の外側、タラバー門から南東に位置するアーナンダ寺院は「バガンで最も美しい寺院」と呼ばれています。1090年にバガン王朝3代目のチャンスィッター王によって建てられました。
バガン王朝の初代王はモン族を破って統一を果たしましたが、2代目はモン族の反乱で落命し、3代目がモン族との融和を図って国を落ち着かせたのだそうです。

寺院は東西南北に仏像が置かれ、それぞれの仏像の前に礼拝堂がある、という十字型の構造をしています。入口から入ると両脇に壁画が残っていました。蓮の花と・・・顔が3つあるような・・・。



現地ガイドさんに聞いたところ、お釈迦様ではないとのことですが、では何なのかについては要領を得ませんでした。

大乗の影響ではないとのことですが、顔が3つあるというのはインド・ヒンドゥーの影響なんでしょうか。

入口から進むと正面奥に仏像が置かれています。これは西側の仏像。現在、修復中です。

その手前に大きな丸い石版があって、お賽銭が山と積まれていますが、実はこれは仏足石。

確かに良く見ると、両足が彫られているのが分かります。随分と巨大な足跡です。

アーナンダ寺院の仏像は4体とも金属製とのことですが、創建当時のものは南北の2体だけ。

火災で東西の仏像は焼失し、その後、作り直されたものだそうです。

それぞれの仏像の大きさは9.5m。遠くから眺める時と下から見上げる時とで表情が異なり、(ある意味当たり前なのですが)なかなか見事。


 北側の仏像。11世紀の創建当時のもの。
 東側の仏像

4体の仏像は回廊で結ばれているのですが、回廊には全部で1500もの壁龕があって、それぞれに仏像や釈迦の生涯を描いたレリーフが置かれています。
これを見て回るのも楽しい。

レリーフの中にはバガンで最も美しいお釈迦様の誕生の場面を描いたものもあるのですが、カメラの調子が悪く、撮ったつもりが写っていませんでした。

かなりショックなのですが、それ以外にも美しいお釈迦様の誕生の場面があったので、代わりにそれを載せておきます。このレリーフも、なかなかに美しいと思ったので。

お釈迦様の母マーヤー夫人が出産のため里帰りの途中、ルンビニ園で休んでいた時、アショーカの木に咲く赤い花に見とれ、花を手折ろうと右手を伸ばしたところ、右脇の下からお釈迦様が生まれたという伝説のシーンです。

このレリーフだとお釈迦様の姿は随分と小さいですが、最も美しいと言われるレリーフのお釈迦様は、もうちょっと大きかった気がします。


バガンで最も美しいと言われるだけあって、外観も素晴らしい。
中央の尖塔も、それを取り巻く塔も見事です。



 美しい壁面
 こんなレリーフもありました


続いてはオールド・バガンの城壁の中へ
タビィニュ寺院の前で、こんなのどかな風景を見ることができました。
   



タビィニュ寺院



タビィニュ寺院は1144年にバガン王朝4代目のアウランスィードゥー王が建てた寺院。65mの高さがある「バガンで最も高い寺院」です。オールドバガンの城壁の中にあります。2階建てで、仏塔の形の尖塔が付いています。「タビィニュ」とは「全知者」すなわちお釈迦様の意味。

この寺院もアーナンダ寺院のように東西南北に仏像が置かれ、回廊でつながっているという構造なのですが、はっきりいってアーナンダ寺院のような美しさはありませんし、15世紀くらいに作られたという仏像も丸顔で稚拙な印象。でも、仏像を祀る部屋の一つに壁画が残っていました。仏像の上の天井には千体仏。仏像の前の礼拝所の天井や壁にも壁画が残ります。

   

右上の壁画。天井に描かれているのですが、中央には仏足が描かれていたそうです。
仏の下ではみな平等という意味なのだとか。
また、壁画には人物?天人の姿らしきものがうっすらと残っていました。
     


タビィニュ寺院を訪れたら、日本人としては外せない場所があります。
寺院の隣にあるタビィニュ僧院が守ってくれている日本人戦没慰霊碑です。
第二次世界大戦で命を落とした日本人のための慰霊碑です。
   

綺麗に管理して頂いていて本当に有難い。
なぜか、涙ぐんじゃいます。
お線香を供えることができます。



ゴドーパリィン寺院

ゴドーパリィン寺院もオールド・バガンの城壁内にあります。

タビィニュ寺院を少しスマートにしたような2階建ての構造。高さ55mでバガンで2番目の高さの寺院です。

この寺院、実は私たちのホテルの前にあって、バガン滞在中の良い目印になりました。

ゴドーパリィン寺院は12世紀末から13世紀初めにかけて建てられたもので、バガン王朝7代目のナラバティスィー王が建設を始めたものの、途中で王が亡くなったため、8代目のナンダウンミャー王が完成させたものです。

7代目王のころ、バガンではパゴダの建設が競うようになされました。お釈迦様の代わりでもあるパゴダを建てることは最大の功徳を得ることと考えられ、王族も豪族も幸せな来世を得るために勢力を注いだのだそうです。

しかし、それは結局、国の財政を逼迫させていきます。
13世紀に元から朝貢を求められても、既にバガン王朝にはそれを行う力はなく、結局1299年にバガン王朝は滅ぶことになります。


バガンがこれだけ素晴らしい遺跡なのに世界遺産になってない理由
遺跡内に政府がゴルフ場を作っちゃったから・・・というのもあるそうですが
1975年9月4日の大地震で多くのパゴダが被害を受け、その修復方法が問題だということ。
ミャンマーの人たちは、かっての技術でかっての姿に修復するというのではなく
今の方法で良いものにしちゃえばいいじゃないか、という感じで治しちゃったのです。
中にはトタン屋根のパゴダもありましたし・・・
彼らにとって、今、最も良い方法でパゴダを治すのが功徳を積むことなんですね。
そういう国民性って、困ったものかもしれないけど、なんか良いなあ。


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参考文献

地球の歩き方・ミャンマー(ビルマ) ダイヤモンド社


基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。