カックー
多くの仏塔が建ち並ぶカックー
仏塔の数はなんと2457
2000年に外国人に開放されました。
2015年12月訪問



カックーはミャンマー中部シャン州にある仏教遺跡です。2457もの仏塔が建ち並ぶ景観は壮観というしかありません。カックーはインレー湖の東に山を一つ挟んだ場所にあり、インレー湖と合わせて訪れる人が多いのではないかと思います。私たちのツアーではヘーホー空港から、まず、シャン州の州都タウンヂーを目指しました。カックー遺跡を観光するには少数民族パオ族の英語ガイドの同行が必要で、ガイドさんとタウンヂーで合流しなくてはならないからです。少数民族の地位向上の意味もあるのでしょう。ヘーホー空港からタウンヂーを経て遺跡まで3時間弱でした。

 私たちのガイドさん
かわいい。
 他のツアーの男性ガイドさんと並んでくれました。
パオ族の衣装、特に頭飾りは独特。

パオ族の女性の頭飾りは龍を表わしています。パオ族は自分たちを龍の子孫だとしていて、それを忘れないようにスカーフを龍の形に巻くのだそうです。スカーフの巻き方を実演してくれましたが普通のスカーフを器用に畳んだりして巻いていくことで、複雑でボリュームのある形に仕上がります。女性の黒い服も民族衣装。巻きスカートの下にはズボンも穿いています。
それにしても、かわいい。現地ガイドさんによるとビルマ族に比べ、少数民族は色が白い人が多いのだそうです。そういえばガイドさん、ミャンマーの日焼け止めタナカを付けてるんですが、色が白くて目立ちません。

昼食後、いよいよカックー遺跡です。



正面奥に白い仏塔が小さく写っているのが分かるでしょうか。ミャンマーの人たちは、この奥の白い仏塔を修復されているものの元々はアショカ王が建てた仏塔だと信じています。カックー遺跡は、そのアショカ王の仏塔の周囲に12世紀の王が、この地に住むパオ族とシャン族に命じて、家ごとに仏塔を1基寄進するように命じたのが始まり。シャン州には少数民族が多く住んでいるのですが、この地はパオ族とシャン族の境界だったとも言われています。

入口で靴と靴下を脱いで裸足になり参道を進むと、仏塔が整然と並んでいるのが分かります。



遺跡に入ったところで、ガイドさんからカックー遺跡の仏塔の説明がありました。
カックー遺跡の仏塔には3種類あります。

まず、多くが細長い釣鐘状の仏塔ですが、これにも2種類あって、仏塔頭頂部の飾りが、釣鐘状に丸くなっているものと、細くなっているものがあります。飾りが丸く釣鐘状なのがビルマ人が寄進したもので、細くなっているのが少数民族が寄進したもの。

また、数は少ないですが、左の写真の手前のもののように祠型のものもあります。
 ビルマ型
 少数民族型


大きく分けると3種類といっても、仏塔は一つとして同じものはありません。
それぞれの家で、財力に応じ、信仰心を示したのでしょう。

多くの彫刻で飾った仏塔
規模も大きく、お金持ちが寄進したのでしょう。
 
 後ろの仏塔は変わった形
狛犬のような獅子がいます。


こちらの仏塔は横に鐘まであります。



様々な仏塔が不思議な統一感で整然と並んでいます。
   



更に進むと屋根付の参道が現れました。アショカ王の仏塔が近いようです。

緑と黄金が後ろの白い仏塔に映えます。
 
 回廊の横には、こんな仏像のある寺院。

この仏像、少数民族の好みで唇が赤くありません。

回廊が屋根付になっている周囲には上の仏像を祀る寺院だけでなく、
他にも寺院がありました。

 行き止まりの階段・・・何のため?
 階段の上にはかわいいレリーフ


奥に進んでびっくり。パオ族の人たちが拝んでいるのは巨大な涅槃仏。


仰向けに横たわる釈尊を取り囲む弟子たち・・・
この様な涅槃仏は初めて見ました。像は着物を着ています。


そして、一番高い仏塔。アショカ王の仏塔を修復したと信じられている仏塔です。
真っ白で美しい。


それにしても、本当にアショカ王の建てた仏塔があったのでしょうか。アショカ王の領土ってミャンマーにまで及んでいたのかなあ。
日本語ガイドさんに聞いても要領を得ず、アショカ王の仏塔と言いながらミャンマーに仏教が広まったのは11世紀、バガン朝の初代アノーヤター王以降と強調したりもするのです。う〜ん。

でも、インドとミャンマーの距離を考えたら、11世紀まで全く仏教が伝わらなかったはずはありません。アノーヤター王が破った南部のモン族は既に上座部仏教を信仰していたわけですし、仏教が紀元前5世紀ころに始まってから、様々な形でミャンマーに伝わっていたのは間違いないはずです。実際、日本語ガイドさんも、2世紀ころの仏像がミャンマーで発見されていると言っていました。

そもそも、ブッダガヤで悟りを開いたばかりのお釈迦様に供物を捧げ、世界で最初の帰依者となったのはミャンマーの商人の兄弟でした。
この時、お釈迦様が兄弟に与えた髪の毛と爪が後々まで伝わり、ミャンマーの幾つかの仏塔に収められているとミャンマーでは信じられています。
そういった伝承を全て荒唐無稽とするのも、間違っているような気がします。

帰国後調べたら、アショカ王の最大領土は東はバングラデシュまでで、ミャンマーに支配は及んでいませんでした。

でも、アショカ王は仏教を布教するため、近隣の国々に使節を送っているのが分かりました。スリランカへの布教は有名ですが、どうやら、ミャンマーにも使節が行っているようです。

そうだとすればアショカ王の時代の古い仏塔があってとしても、おかしな話ではないですよね。アショカ王が建てたものではないにしても、アショカ王と何らかの関係がある仏塔が、ここにあったのかも・・・・。

アショカ王の仏塔の周囲はぐるりと回廊が囲んでいて、仏塔のそばに何体かの仏像が置かれています。
その仏像の一つを向いて立っているのが、写真の馬。
説明はありませんでしたが、お釈迦様の王子時代の愛馬カンタカでしょうか。
足のあたりは柱状になっていて、ちょっと稚拙な感じもしますが、反面、なんとも可愛い馬です。

ガイドさんによると、この馬の尻尾を3回なでると恋がかなうんですって。


アショカ王の仏塔のそばには他にも変わったものがあります。
これは黄金の豚。ガラスケースの中に入ってます。


日本語ガイドさんによると、「森の中から光が出たため、人々が光のもとを掘り出そうとしたが無理だった。しかし、この豚が仏舎利を掘り出した」というお話があり、この豚はえらい豚ということで像にされ、黄金に塗られて祀られているのだそうです。

また、アショカ王の仏塔の周囲の仏塔は黄金色に塗られています。


黄金に塗られた仏塔の中にはパオ族の伝説を彫ったものもありました。右の写真が、それ。

ガイドさんが話してくれたパオ族の伝説。

昔、龍女が人間の女に化け、錬金術師の男と結婚します。
右の写真、右側の頭に龍の首を載せているのが龍女。左側が錬金術師の男です。

しかし、ある日、男は妻が龍であることを知ってしまい、恐ろしさの余り逃げ出してしまいます。

妻は夫の帰りを待ち続けますが、夫が帰ってくることはありませんでした。

落胆した妻は2つの卵を産み、龍の世界に帰っていきます。

龍が生んだ卵はお坊さんによって守られ、やがて男の子と女の子が生まれます。
それが、パオ族の祖先というわけです。

龍の子孫であることを忘れないように、スカーフを頭に巻くのも、民族衣装が黒いのも、右の写真の龍女を模しているものなんですね。


次はカックーで2番目に高い仏塔を目指します。
その途中にも、様々な美しい仏塔が・・・。

この仏塔も鐘が付いています。
 
レリーフも美しい。
 


 レリーフが繊細で美しい。
 船に乗ったような仏塔

カックーで2番目に大きな仏塔に着きました。

この仏塔もアショカ王の仏塔と言われるもの同様に、真っ白な美しい仏塔です。

最初の方でも述べましたが、カックー遺跡は、元々12世紀の王が近隣の住民に対し、修復したアショカ王の仏塔の周囲に仏塔を寄進するようにと命じたのが始まりです。

その時、王が建てた仏塔が、この仏塔。2番目の大きさと言うのは、アショカ王に敬意を払ったんでしょうね。

王の名前はアウランスィードゥー。バガン王朝4代目の王です。
この王はバガンで最も高いタビィニュ寺院を建てた王でもあります。

しかし、いくら王が命じたと言っても、嫌々建てた仏塔なら、こんなにそれぞれ意趣を尽くした仏塔になるとは思えません。

カックー遺跡の仏塔は、ミャンマーの人々の仏教に対する篤い思いを示すもののような気がします。


整然と並ぶ仏塔



この景観は、やっぱり素晴らしい。



最後は日本語ガイドさんお勧めの撮影ポイント
池に仏塔が写って綺麗です。



この後、インレー湖のホテルに向かいました。
車で船着き場まで約2時間だったと思います。


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参考文献

地球の歩き方 ミャンマー(ビルマ) ダイヤモンド社
ブッダの生涯 創元社

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。