マチュピチュ 空中都市マチュピチュ 15世紀から16世紀にかけて栄えたインカの都市です。 伝説のインカ最後の都市ビルカバンバを探すハイラム・ビンガムにより発見されたのは1911年。 400年間眠っていたこの遺跡はかってのインカの都市の姿を見せてくれます。 2004年5月に訪問。 写真は定番の墓地からの風景
インティプンクから見たマチュピチュ全景 マチュピチュ中央に緑の大広場.。 大広場を挟んで左側の小高いところがインティワタナ(日時計)、右側が居住区。 大広場の手前が倉庫や太陽の神殿などがある王族もしくは神官の居住区。 画面左の小高い部分がインカ道から続く見張り小屋(小さく写っている)。本来の入り口はこの近く。 その下は段々畑。 画面左下がホテル。ホテルの横が現在の遺跡入り口 マチュピチュはコンドルの姿に作られているとの説もあります。 マチュピチュの最盛期は1530年ごろだったと考えられているようです。 どのような都市だったかについて争いはありますが、宗教的都市だったとするのが有力とのこと。 見張り小屋と葬儀用の石
太陽の門
採石場〜聖なる広場〜インティワタナ
主神殿(左下)と神官の館(右下)
こちらの写真は3つの窓の神殿を中央広場から写したもの。後ろはインティワタナ。
聖なる広場から進んで小高い丘を登るとインティワタナ(日時計)があります。
太陽の地区・太陽の神殿
太陽の神殿はマチュピチュで最も素晴らしい建物ではないでしょうか。 この神殿は巨大な自然石の上に石を組んで造られています。 近くで見ても、巨石と石組の継ぎ目が目立たないくらい見事なものです。
太陽の神殿のそばには水汲み場もあり、儀式に使ったのではないかと言われています。 マチュピチュには全部で17の水汲み場があり、今でも綺麗な水が流れています。 というのも、水道施設は花崗岩でできており、花崗岩には浄水効果があるからなのだそうです。 インカの水道施設というのはかなりのもので、サイフォンの技術を知っていたとも言われています。 コンドルの神殿
左下はコンドルの頭と言われるもの。コカの葉が供えられていました。 右下は拷問場といわれるもの。座って壁にある穴に手を入れることができるのは確かなようです。 居住地区 大広場から見た居住地区。 居住区といわれるところは高台から低いところまでかなりの範囲に及んでいます。 高台には貴族が住んでいたとか、低いところは工業地区だとか言われています。
段々畑と管理人小屋
マチュピチュ観光は期待を裏切りませんでした。 蘭など綺麗な花も咲いていますし(アンデス原産の蘭は多く、GWはシーズン)、 もちろん、リャマもいます(観光用でしょうけどね)。 観光中に雨にも降られましたが、晴れてから流れる霧の美しいこと。 遺跡を出る時、誰かがケーナでコンドルが飛んで行くを吹いていました。 ちょっと、できすぎでした。 南米の遺跡に戻る 参考文献 アンデス・インカをゆく(小学館 義井豊 著) 略奪された文明(NEWTONアーキオ 編集主幹 吉村作治) 失われた都市マチュピチュ 日本語版(イポカンポ出版 アネタ・デゥスト/ホセ・ミゲル・ヘルセル著) マチュピチュはまだまだ謎が多く、基本的に現地ガイドの説明に基づいてまとめました。 |
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