オリャンタイタンボ

クスコからマチュピチュに向かう途中にあるオリャンタイタンボ
インカ軍がスペイン軍を撃破した場所です。
その後、インカは伝説のビルカバンバへ落ちて行きました。
2004年5月訪問

写真は巨大な6つの巨石が並ぶ太陽神殿



 オリャンタイタンボはクスコから約88キロ、列車で約2時間。オリャンタイタンボからマチュピチュの玄関口であるアグアス・カリエンテスまでが約1時間半なので、クスコからマチュピチュへのちょうど半分くらいのところにあります。

オリャンタイタンボのタンボとはインカ語で旅籠の意味だそうで、インカ時代から交通の要所だったのかもしれません。クスコより標高が低く,暖かなこともあり、この一帯はトウモロコシが良く取れる肥沃な土地としてインカ時代から開発が進んでいた場所なのだそうです。

この遺跡のあるオリャンタイタンボの村の水道は今もインカ時代のものだとか。

そして、村をはさんでオリャンタイタンボ遺跡に向かい合う山にも、いくつもの遺跡が見られます。

山肌に遺跡らしきものがあるのは写真からも分かると思います。
貯蔵庫とのことですが、かなりの数です。

それだけでなく、この山には「顔」と呼ばれるものが3つほどあり、そのうちの1つ「皇帝の顔」とよばれているところから冬至の日に太陽が昇り、その光がオリャンタイタンボ遺跡の太陽神殿部分にさすのだとか。
山の稜線の左側に皇帝の顔はあるんですが、写真だとちょっと分からないですね。

クスコの街は昔から「ピューマの形で作られている」と言われているそうですが、このオリャンタイタンボの遺跡は「リャマの形を模している」とも言われているそうです。
そして、オリャンタイタンボ遺跡の太陽神殿部分がリャマの頭、しかも目の部分にあたるとのこと。

インカの都市計画は壮大です。



左下の写真が遺跡入り口。夕方だったので、土産物屋の屋台がそろそろ店じまいというところ。
目の前の段々畑が壮観ですが、この段々畑が有事には要塞となり、実際、1536年にインカ軍はここでスペイン軍を撃破しました。
この段々畑の横の階段を約300段ほど登ると、左手に10の壁龕の神殿、その奥に太陽神殿があり、有名な6個の巨石が鎮座しています。行く時間はなかったのですが、右手にも建物があり、更に遺跡が広がっています(写真右下)。

   

上の写真だけだと段々畑の大きさも、この遺跡の大きさも分からないと思うので、次の写真を見てください。段々畑一段の大きさが分かってもらえると思います。上の写真の段々畑一段がこの広さなわけです。人物後方の段々畑の壁に足場のようなものがありますが、これを利用して段々畑間の移動をしていたとのこと。

これだけの大きさがあれば要塞としても十分機能したというのが頷けます。

ピサロによってインカ皇帝アタワルパが処刑され、帝国が滅亡したのは1533年のことです。
しかし、その後もインカ軍はスペイン軍に対し、ゲリラ的攻撃を続け、1536年には反乱軍がオリャンタイタンボに立て籠もりました。
スペイン軍はオリャンタイタンボを攻めたものの、守りが固く撃退されてしまいます。

その後、インカ軍は更に奥にある「ビルカバンバ」に移動していきました。ビルカバンバはインカ最後の都市として伝説の場所となり、マチュピチュもビルカバンバを探していたハイラム・ビンガムによって発見されたことは有名です。



段々畑横の階段を上がると、立派な石組みの場所に出ます。



この部分は、昔は段々畑側にも石の壁があって部屋のようになっていたらしいのだけど、インカ軍がここを撤退してからスペイン軍に破壊されてしまい、現在のような姿になってしまったとのこと。

実際、この遺跡の下には大きな石がごろごろと転がっています。復元すればと思いますが、どの石がどこの部分か分か分からないので復元できないんだそうな。もったいない。

写真の左奥に写っているのが10の壁龕の神殿。下の写真は壁龕付近で撮影したもの。 
   

壁に窓のような窪みが作られています。これが壁龕。10あるので10の壁龕の神殿と呼ばれます。かっては、おそらく黄金の神像などが飾られていたのでしょう。

それにしても立派石組みです。オリャンタイタンボの石は黒いので重厚な感じがします。

写真に子供たちが何人も写っていますが、子供たちがいる門をくぐると、ぐるりと回りこんだところに広場があり、有名な6個の巨石がある太陽神殿跡に出ます。

民族衣装を着ている子供たちはチップ目当て。一応、モデルとして、おめかしをしているのだけど、何人か集まると鬼ごっこやらなんやらで遊び始めちゃうお子ちゃまたちでした。


門をくぐったところで現れる6個の巨石。


この6個の巨石。高さは4m。幅は10mあります。この石は、写真の後方にある山から切り出されたものだとのこと。山から谷を挟んで、更に階段を300段上がったところまで、どのようにして運んだのか、インカの土木技術を改めて思い知らされる遺構です。

太陽神殿跡と紹介してきましたが、実際にはこの巨石が何だったのかは確定していません。おそらく造りかけの太陽神殿の壁だったのだろうと言われていますが、ここもスペイン軍によって破壊されたのか、詳しいことは分からないようです。

この巨石の一つに描かれている模様はボリビア・チチカカ湖の近くにあるティワナク遺跡で見られる模様と同じと指摘されています。インカの石組みはティワナクに学んだと言われており、関係があるのかもしれません。 


おめかしした子供が巨石のそばに来てくれました。石の大きさが改めて分かります。



オリャンタイタンボの遺跡は駆け足での観光でしたが、とても素敵な場所でした。
周囲の景色も素晴らしく、できれば落ち着いてじっくり見たい場所です。



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参考文献

黄金帝国の謎(文春文庫ビジュアル版・森本哲郎編)

基本的に現地ガイドさんの説明に基づいてまとめました。