太陽のワカ・月のワカ

ペルー第3の都市、北ペルーのトルヒーヨ。
その郊外に太陽のワカ・月のワカがあります。
モチェ文化を代表する遺跡で、モチェ遺跡とも呼ばれます。
2011年9月訪問

写真は発掘調査が進む月のワカ。


モチェ文化は紀元前後から後700年にかけて栄えた文化です。この時代は、アンデス各地で多様な文化が花開き、南ペルーでは地上絵で有名なナスカ文化が栄え、ボリビアのアンデス高地ではティワナク文化が発展しつつありました。そしてペルーの北海岸を中心に栄えたのがモチェです。

もっとも、モチェ文化の詳細はまだ分かってはおらず、各地で発掘調査が進んでいる状況です。
かっては太陽のワカ・月のワカがあるモチェ川流域の政治体制が北ペルー全体に勢力を伸ばしたと考えられていましたが、近時、北ペルーの中でも北部にあるランバイケ地域でシパン王墓が発見発掘され、ランバイケの政治体制についても注目が集まるようになりました。

とはいえ、太陽のワカ・月のワカの巨大さは群を抜いています。かなりの権力がこの地にあったのは間違いありません。下の写真は月のワカから見た太陽のワカと居住地区。



太陽のワカは基底部の長さ345m、幅160m、高さが30mという巨大さ。近くではとても全景を写真に収めることができません。メキシコのテオティワカンの太陽のピラミッドの基底が222m×225mですから、それに並ぶ巨大さと言ってもいいように思えます。太陽のワカと月のワカは約500m離れているそうですが、月のワカに登って初めて全景が分かるほどの巨大さ。
太陽のワカはアダベと呼ばれる日干し煉瓦を1億6000万個も積み上げて作られたとか。この太陽のワカの背後にモチェ川が流れています。



少し離れたところから撮った太陽のワカ。実に巨大です。一部しか写りません。

太陽のワカは行政地域だったと考えられています。これに対し、月のワカは宗教地域と考えられています。そして、太陽のワカと月のワカの間には居住地区があったと考えられており、住居跡の発掘が進められています。

次の写真は太陽のワカ近くから居住地区・月のワカを見た写真。周囲のいたるところで発掘調査が進められています。



月のワカの背後にある山は白い丘と呼ばれます。モチェ川とこの白い丘の間に太陽のワカ、居住地区、そして月のワカがあるわけです。モチェは灌漑能力に優れており、モチェ川から月のワカまで水路が引かれていました。


ツアーでは、まず太陽のワカを見学して、居住区、月のワカの順で廻りました。

 居住区から見た月のワカ
発掘調査中の居住区
 


太陽のワカは外観を見学できるだけで、登ることも禁止されています(登ったのがばれるとガイドさんが怒られるそうです)が、月のワカでは近時発見された多くの壁画が公開されています。


いよいよ月のワカ。
まるで工事中の建築現場のようです。



現地ガイドさんが月のワカ正面広場の復元図を見せてくれました。

大きな広場と色鮮やかな壁画。ここは雨乞いの儀式が行われた場所。日本の常識と違って、北ペルーの海岸地帯は乾燥地帯となっています。そのため雨乞いは大事な儀式だったのですが・・・



まず戦争で捕虜を捕まえます。そして、捕えた捕虜を月のワカの上にある部屋で断食させます。儀式が近づくと捕虜たちは裸にされ、首に縄を巻かれて左手のスロープを降ります。その後、広場の左奥の小さな部屋で、捕虜は儀式前の最後の準備をしました。

いよいよ雨乞いの儀式が始まると裸の捕虜を引き回します。そして、捕虜の体中に傷をつけ、捕虜の体から流れた血を神官が杯で受け、王がその血を飲み、その周囲を踊り子が踊ったのだそうです。なんとも恐ろしい儀式です。それだけ雨乞いが切実なものだったのでしょうけれど・・・・。


月のワカに入ったところ。
正面の壁には何段にも描かれた壁画が残っていました。
人が写っているところの奥にある小さな部屋が捕虜が最後の時を過ごした場所です。




正面に見える壁画です。

     壁画の保存状態から、上の方は今一つよく分かりませんが、壁画は7段からなっています。

遺跡にあった説明図も並べてみました。

1段目は裸の捕虜と捕虜を引き連れる神官。捕虜達の首は縄で繋がれています。
下から2段目は手を繋ぐ儀式のダンサー。
3段目はクモ、魔術師の守り神でもあります。
4段目は魚を持っている漁師とも首切り人とも言われています。
5段目は保存状態が悪いですが犠牲者の首を持つドラゴン。

その上には、うっすらとですがヘビ。天空を意味します。

そして、更に上にはモチェの創造神にして最高神のアイ・アパエックが描かれていたそうです。


 1番下が繋がれた捕虜
2段目はダンサー、3段目はクモ
 3段目のクモから5段目のドラゴンまで
4段目が持っているのは首ではなく魚と思いたい。


月のワカでは調査・修復が続けられています。
左下は1段目の神官。神官の後に縄で繋がれた捕虜が続きます。
右下は2段目のダンサー。
   



捕虜が最後の時を過ごした小部屋。壁画が美しい。



この壁画はモチェの世界観を示しているのだそうです。
神官やイグアナ、トトラ舟などが描かれています。


儀式の凄惨さと裏腹に、おとぎ話のような夢の世界のような・・・


美しいのでアップで撮ってみました。



横壁には戦いの儀式が描かれてました。頭を打たれた方が負け。




捕虜が繋がれて降りたというスロープを上がっていきます。



スロープを上がると、巨石のある小さな広場に出ました。
ガスがかかってましたが、白い丘の頂上が見える場所のようです。
ここは神聖な場所だったそうで、ここでも儀式が行われたそうですが・・・
説明図でも分かるように、ここは生贄を捧げた場所です。
   

興味深いのは、ここで発見された生贄の遺体はエル・ニーニョによる洪水後に葬られていること。
雨乞いの儀式だけでなく、洪水に対する儀式も行われていたわけです。
過酷な自然の中で暮らしていたモチェの人々の切実な祈りなんでしょうけれど・・・。



月のワカの頂上部分に出ました。多くの壁画が残っているようです。



残っていた壁画と説明図
   

かっては、かなり色鮮やかに飾られた空間だったようです。
しかし、ここには捕虜達が雨乞いの儀式前に断食をさせられた部屋が残っています。
捕虜の部屋に通じる階段はモチェで発見された唯一の階段です。 

   

捕虜達は雨乞いの儀式の前、3日間をここで断食して過ごしたのだそうです。



月のワカの見学範囲は結構広く、歩いて移動しながらの見学が続きます。

月のワカは古い神殿の上に次々と新しい神殿が建てられていくという「神殿更新」がよく分かる神殿でもあります。「神殿更新」は中米のマヤが有名ですが、南米でも同じように見られるというのが実に興味深い。月のワカからは、埋もれていた古い神殿も多数見つかっています。

新旧の神殿の中で共通しているレリーフがモチェの創造神・最高神であるアイ・アパエック。時代によって微妙に顔が違うようですが、共通しているのが耳の部分が8の字というか○2つで描かれていること。髪がヘビか波のような形をしていること。牙が凄くて、怖い顔。日本の鬼のようです。
黄色で顔の周りに描かれているのは、マンタともヘビとも言われています。

   


モチェの人たちは様式化が得意です。
海鳥だとか、マンタだとか、ヘビだとか・・・
どれがどれだか分かりませんが、妙に惹きつけられます。
センスいいですよね。
海鳥やマンタからモチェが海洋国家でもあったことが分かります。

   



巨大なワカの更新を続けたモチェは軍事的な国家で、王の下に神官・貴族・戦士・平民・捕虜という階層社会だったと考えられているようです。

モチェでは灌漑技術が進み、モチェ川流域の耕地面積は飛躍的に拡大し、人口も増えました。それが大きな権力を生んだんでしょうが、元々北ペルーは雨乞いの儀式からもうかがわれるように、雨が少なく水は極めて重要。水利権を巡っての争いも多かったのではないかと言われています。争いを優位に進めるため、社会の階層化も進んだのでしょう。


アドべ・日干し煉瓦にも、階層社会の存在をうかがわせるものが残っています。

右の写真を見てください。アドべに色々な「しるし」が付いています。

どうやら村・集落ごとにアドべの作成が義務付けられていたようです。

税金のようなものだったのでしょうか。

支配地域から集められたアドべで神殿更新が続けられたんですね。


 
神殿更新を続けたモチェですが、後700年ころに滅びます。モチェの滅亡は他国に攻め滅ぼされたものではなく、内部的な崩壊だったと考えられています。

炭疽菌と思われる病気にかかった人物の像が描かれている土器が発見されていることから、伝染病の流行があったのではないかとも言われていますし、モチェ滅亡時には異常気象が多発したとも分かっていることから、凶作が続いたからではないかとも言われています。

残虐な儀式を続けても異常気象が続く中で、人々が信仰を捨てたのかもしれませんね。



実に見ごたえがありました。

日干し煉瓦でできたモチェ文化の神殿は今では泥の丘にしか見えません。
しかし、かっては非常に美しい立派な建物だったこと、それをこの遺跡は教えてくれます。

こんなに凄いのに、なぜ、世界遺産になっていないんでしょうか。
それとも世界遺産になるのは時間の問題?

近くには博物館もあります。
工夫が見られる博物館で見ごたえがありました。
残念ながら写真撮影は禁止でしたが・・・



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参考文献

古代アンデス 神殿から始まる文明(朝日新聞出版・大貫良夫/加藤泰建/関雄二 編)
沈黙の古代遺跡 マヤ・インカ文明の謎(講談社+α文庫・増田義郎監修・クォーク編集部編)
黄金王国モチェ発掘展(TBS)

参考文献が少なく、基本的に現地ガイドさんの説明を紹介しています。
今後、発掘調査が進めば、全く違う事実も出てくるかもしれません。