モヘンジョダロ パキスタン南部に位置するモヘンジョダロ モヘンジョダロとは「死者の丘」という意味。 インダス文明最大の遺跡は古代の計画都市でもあります。 2014年12月訪問 写真は沐浴場付近から見たストゥーパ
踊り子像から更に進むと巨大な神官王像が置かれ、その背後に遺跡が見えて来ます。 最初の写真にも写っているモヘンジョダロ遺跡の象徴とも言えるストゥーパです。 モヘンジョダロは4キロ四方と非常に広大な遺跡です。 インダス文明最大の都市で3万人が暮らしていたと言います。 しかし、発掘されているのは、そのわずか15% 遺跡はストゥーパ周辺の「城砦部」と呼ばれる高台にある区域と 住居の並ぶ「市街地」に分かれています。 城砦部 まずは高台にある城砦部。ストゥーパを目指します。 城砦部は遺跡西側に位置します。 ストゥーパ
実はこのストゥーパや僧院も遺跡の煉瓦で出来ているそうです。 モヘンジョダロの煉瓦は、ほとんどが焼煉瓦。 出来が良いので昔から利用されてきたんですね・・・。 このストゥーパからは城砦部の遺跡が見渡せます。 まずはストゥーパのすぐ下にある「学校」と呼ばれる区域。写真右の青い看板の場所が「学校」 写真の左奥に小さく青い看板が写っていますが、そこが「沐浴場」 沐浴場付近をアップで撮ってみました。写真中央の青い看板があるのが「沐浴場」 沐浴場のストゥーパ側(東側)には幾つもの小部屋が並んでいます。 沐浴場の奥にあるのが「穀物倉」と呼ばれる場所。 周囲の建物には神官達が暮らしていたとも言われています。 モヘンジョダロの多くの建物は2階建てでした。2階の床・屋根・扉は木製だったそうです。 少し方角を変えて城砦部の南側を見たところ はるか先に霞んで見えるのがL地区。 武器が数多く発見されたことから「軍人地区」とも呼ばれます。
ストゥーパから降りて沐浴場を目指します。
昔はモヘンジョダロの家には水洗トイレがあり、排水溝は汚水を流すものと言われていましたが 最近では水洗トイレとされたのは水を使う儀式の場と考える説が有力のようです。 このため、排水溝が何を流すためだったのかも議論となっています。 沐浴場 沐浴場に着きました。 写真中央の青い看板がストゥーパの上から小さく見えた看板です。 手前に写っている煉瓦の台の上に柱があり、木製の屋根がありました。 沐浴場の広さは12m×7m。深さは2.5m。 小学校によくあるプールの半分位の大きさですが、かなり深さがあります。 南側と北側の2か所に階段が造られています。
沐浴場のストゥーパ側(東側)にある井戸の跡
穀物倉から見た沐浴場と排水溝。 排水溝は穀物倉の手前で左方向に大きく曲がっています。 穀物倉
実はここからは一粒の穀物も発見されていないんですって。 本当は全く違うことに利用されていたのかもしれません。
学校 「学校」と呼ばれる場所。ここから石のペンやインク壺が出たことに由来します。 書記みたいな人たちがいたんでしょうか。
ストゥーパから遠くに見えたL地区に向います。 モヘンジョダロの遺跡は発掘者の名前を取って地区に名前が付いています。 L地区 最初の方で書いたように、ここからは武器が出ていて軍人地区とも言われています。 大きな建物がありました。集会堂とも呼ばれているようです。 L地区を見学した後は市街地区に向います。しばらく遊歩道を歩きますが地面が白い。 これは塩。モヘンジョダロ遺跡は塩害が深刻な問題になっています。 歩くとふかふかした感じ。 しばらく歩いて市街地へ。まずはHR地区の見学です。 市街地 HR地区 HR地区は庶民・農民の住居地区だったと考えられています。 標準家庭の間取りは台所と浴室の他に二部屋。井戸がある家も結構残っています。
HR地区を進むと広い道路がありました。モヘンジョダロを貫いていた大通りです。 モヘンジョダロでは牛車のおもちゃが出ていますが、道に轍の跡は残っていません。
市街地には人々の生活を偲ばせるものがたくさん残っています。
大通りは遺跡の市街地を真っ直ぐに貫いています。本当に計画都市と言うにふさわしい。 大通りに沿ってしばらく歩くと、今度はVS地区に出ます。 VS地区
VS地区を抜けて更に進むと、少し離れた場所にDK地区があります。 DK地区 ここの建物は凄い。
DK地区は上流階級・貴族の住居地区と考えられています。 2階用の井戸はこのDK地区にしかありません。 井戸の高さから2階の高さも推定できます。1階の天井はかなり高かったようです。
以上で遺跡見学は終了ですが モヘンジョダロについては塩害問題を忘れてはなりません。
塩が噴き出している遺跡の様子 博物館 遺跡入口には博物館もあります。壁にはこぶ牛の模様。 こぶ牛はモヘンジョダロから発見された印章に多く彫られています。 ヒンドゥー教では牛はシヴァ神の乗り物として大切にされています。 4000年以上前から、この辺りでは牛が重要視されていたんですね。 博物館には興味深い展示品が多いですが、残念ながら写真撮影禁止 遺跡で買った絵葉書に1枚だけ博物館のものがありました。 写真が小さいですが、武器や人物像が分かるでしょうか。 博物館の壁には印章の模様が飾られていました。
遺跡の見学だけで3時間かかりました。 実に見ごたえのある遺跡です。 それだけに塩害が心配。 パキスタンの遺跡に戻る 南アジアの遺跡に戻る 参考文献 インダス文明 インド文化の源流をなすもの(NHKブックス) 四大文明 インダス(NHK出版) ユネスコ世界遺産D(講談社) 世界遺産を旅する8(近畿日本ツーリスト) 基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。 |
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