コインブラ

ポルトガル中部に位置するコインブラ
ポルトガル第3の都市であり、かって都でもあった場所
コインブラ大学とともに発展した学問の都です。
2019年5月訪問

写真は丘の上のコインブラ大学と街を流れるモンデゴ川


リスボンの北約195q、ポルトの南約120q。コインブラはポルトガルの中部に位置する街です。ローマ帝国の時代からポルトガル中部の中心都市だったということで、街の近郊のコニンブリガ遺跡は現在も残るローマ時代の都市遺跡としてはイベリア半島最大の規模となっています。

ポルトガル王国の歴史はポルトガル北部のギマランイスから始まりますが、後にカスティーリャ王国からの独立を果たして初代ポルトガル王となるアフォンソ・エンリケス(アフォンソ1世)は独立前の1131年にギマランイスからコインブラに遷都しました。王はコインブラを拠点に南へのレコンキスタを進め、1143年に独立を果たします。
コインブラはポルトガル王国独立時の首都なのです。

1255年にポルトガル王国の都はコインブラからリスボンに移り、ディニス1世が1290年にポルトガル最古の大学を創設します。当初大学はリスボンにありましたが、1308年にコインブラに移されました。その後またリスボンに戻り、またコインブラに・・・としばらくはコインブラとリスボンを往ったり来たりしましたが、1537年以降はコインブラに落ち着き、その後、コインブラの街は大学の街・学問の街として大学とともに発展することとなります。

大学を創設したディニス1世はポルトガル中世の黄金期を築いた王とされています。王は開墾を進め農業を盛んにし、商業を振興し、海外貿易に力を注ぎました。王は学問も重視したんですね。1290年に創設された大学はヨーロッパでも屈指の古さを誇り、最古の総合大学の一つとされています。

右は大学にあったディニス1世とイサベラ王妃の肖像画。遠かったので少しぶれてしまいましたが・・・妃のイサベラは慈悲深いことで有名で後に聖女とされ、コインブラの守護聖人となっています。

歴史ある街で、ペドロ王とイネスの悲恋の舞台でもあるのですが
ツアーでの観光は世界遺産となっているコインブラ大学が中心となりました。

コインブラ大学

丘の上には大学の校舎がいくつも並びます。
観光するのは旧大学



鉄の門

旧大学への入口である鉄の門。無情の門とも呼ばれるそうです。

 17世紀に建てられた美しい門
 門の前の床には見事なモザイク


旧大学



現地ガイドさんによると、ここはイスラム時代に要塞があった場所。1131年にギマランイスからコインブラに都が移された時、王宮とされました。その後、都はリスボンに移り、大学も当初はリスボンに建てられますが、1537年にコインブラに大学が移った時に、この元王宮の建物が大学として利用されることになったのだそうです。王宮を使うなんて教育にかける意気込みが凄いですね。

アルカソヴァ宮殿


かって王宮だったというだけあって見事な建物。階段を上ると美しい回廊が広がり、入口正面には美しい彫刻が置かれています。こんな見事な場所で学べるなんて凄い贅沢という気がします、選ばれた学生達は黒いマントに身を包み、大学や街を闊歩します。同時に、大学で学ぶということは大変なことで、この回廊ではラテン語が義務付けられていたためラテン回廊と呼ばれます。

ラテン回廊
 
 入口正面の彫刻


武器の間



帽子の間


かって王宮の広間だった帽子の間は大学の学位授与式などの儀式が行われる場所。ポルトガルの歴代の王の肖像画が飾られています。ディニス1世とイサベル王妃の肖像画もここに飾られていました。現地ガイドさん曰く、ここはテストの間。博士課程の試験が行われる場所だそうです。
学生は一人で教授からの質問に答えないといけないという口頭試験。しかも、試験はラテン語のみで行われ、持ち込みは一切不可。そういえば椅子と机が一つぽつんと置かれてますね・・・。

歴代学長の肖像画が飾られた部屋もありました。学長の権威は凄かったそうです。
黒服の人はヴァスコ・ダ・ガマの一族の人なんですって。
   


中庭


旧大学の建物は広い中庭を「コ」の字型に囲む形で配置されています。「コ」の字の縦線部分にラテン回廊や帽子の間のあるアルカソヴァ宮殿があり、その両端から横に建物が伸びているという構造。

上の写真は「コ」の字の上の−部分。時計塔の横から連なる建物の中にはサン・ミゲル礼拝堂や大学で一番の見どころとされるジョアニナ図書館があり、図書館は上の写真の一番左端。

右の写真は時計塔と、サン・ミゲル礼拝堂の玄関付近を写したもの。
人がたくさん入って行く入口から入ると、右手がお土産屋さん。左手がサン・ミゲル礼拝堂という構造になっています。
写真手前の立派な玄関。人が座っている場所がサン・ミゲル礼拝堂の本来の玄関。

大学のシンボルとされる時計台は18世紀に建てられたもの。

ガイドブックなどでは「カブラ(山羊)」と紹介されていますが、現地ガイドさんは「羊」って言ってました。チャイムがなると学生が集まってくる様子を羊に例えたんですって。

広い中庭に立っているのがジョアン5世像。
大学で一番の見どころとされるジョアニナ図書館を建設した王です。

現地ガイドさんによるとポルトガルの黄金期は3回あるということです。最初の黄金期は中世、13世紀のディニス1世の時代。大学が創設されたころですね。次の黄金期は15世紀から16世紀の大航海時代。ジェロニモス修道院が建てられたマヌエル1世やジョアン3世の時代。

そして、第3の黄金期が18世紀のジョアン5世の時代。大航海時代により16世紀に第2の黄金時代を迎えたポルトガルですが、16世紀後半に皇太子のないまま王が死去したことからスペインに併合されてしまい、60年に渡りスペインの支配を受けます。1640年に再独立を果たしますが国力は衰えてしまっていました。
しかし、1693年にブラジルで金鉱が、更に1729年にはダイヤモンドが発見され、ポルトガルは一気に復活します。

ジョアン5世の治世はブラジルの金とダイヤモンドでポルトガルが大いに潤った時代。王は絶対王政を敷きました。現地ガイドさん曰く、ジョアニナ図書館は「本と国王をあがめるための建物」なんだそうです。

ジョアニナ図書館

図書館は1717年に建設が始まり1728年に完成しました。バロック様式の美しい玄関。
入口には知恵を得るための武器として本を利用することを促すラテン語の碑文が置かれています。
   

図書館の見学は予約制。本の保存のため人数も制限されているし、写真撮影も禁止。
絵葉書で紹介しますが、実物はもっとずっとずっと豪華です。
ジョアン5世の肖像画は金を豪華に使った金泥細工で飾られ、実に煌びやか。


世界一美しい図書館、ポルトガル最高の美術品と評されてるだけあって、本当に豪華。
絵葉書では写っていませんが金泥細工が実に見事で荘厳かつ華麗。
それだけでなく15世紀から18世紀の本がなんと6万冊も収められていて図書館としても素晴らしい。
本を保存するため壁の厚さは2m以上。極めて貴重な本も多いとのこと。
ちゃんと手続きを踏めば貴重な本を読むこともできるそうです。
本棚の装飾には中国の影響が見られるとのことでした。




美しい天井画
知恵の象徴の女性と、アメリカ・ヨーロッパ・アフリカ・アジアを象徴する4人の女性



図書館に隣接するサン・ミゲル礼拝堂も見学できました。

サン・ミゲル礼拝堂



この礼拝堂は1064年に建てられたもので、ポルトガル王国が成立するより前からの歴史があります。現在の建物は18世紀バロック期のもの。荘厳な印象の図書館と異なり、何とも明るく華やかな雰囲気。コインブラ大学の卒業生はここで結婚式を挙げることができるそうです。凄い特権。

金泥細工が美しいパイプオルガン
 
 美しいアズレージョ(装飾タイル)

オルガンの可愛い装飾



 聖歌隊席
 美しいアズレージョ(装飾タイル)


帰りに撮った鉄の門方向の眺め



大学の観光を終えて丘を下ります。
旧大学近くにあった風情ある建物。大学の関連施設でしょうか。



古い建物が見えて来ました。旧カテドラルだそうです。


旧カテドラルはポルトガル初代王アフォンソ1世によって1162年に建てられたロマネスク様式の建物。
レコンキスタ中に建てられているため要塞の機能もありました。
 
 


大学が丘の上にあるため基本坂道か階段ということになります。

上るのは大変そう。
 
 水がめを大学に運んだ女性の像

丘の上の大学まで水を運ぶのは大変だったろうなあ・・・。
水がめを運んだ女性と学生の恋物語とか、あったんでしょうね。

 イスラムの時代からあるアルメディーナの門
 コインブラの象徴・・・らしい。

コインブラでは学生たちによるファドが有名
男子学生が歌い、コミカルなものが多いのが特徴なんだそうです。

風情のある街並みが続きます。

 
 


下まで降りて来ました。黒マントの学生たちが歩いてます。



コインブラの街には綺麗な建物が多い気がしました。




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参考文献

図説ポルトガルの歴史 金七紀男著 河出書房新社ふくろうの本
るるぶ情報版ポルトガル JTBパブリッシング

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。