エヴォラ

アレンテージョの古都エヴォラ
ローマ時代からの歴史を持つ世界遺産の街
天正遣欧少年使節団も訪れた街です。
2019年5月訪問

写真はディアナ神殿


アレンテージョとは「テージョ川のかなた」という意味。リスボンから見てテージョ川の南からスペイン国境までのポルトガル東南部はアレンテージョと呼ばれる農業が盛んな地方です。
リスボンの東南約130q、アレンテージョのスペイン国境にも近いエヴォラはローマ時代からこの地方の中心として栄え、レコンキスタ後はイエズス会の修道院を前身とする大学が置かれて学芸の街ともなりました。城壁に囲まれた旧市街にはローマ時代の神殿や天正遣欧少年使節団が訪れたカテドラルも残り世界遺産となっています。

リスボンから車で1時間半くらいでしょうか。
エヴォラの旧市街を囲む城壁らしきものが見えて来ました。


エヴォラの街はローマ時代に二重の城壁で囲まれましたが
8世紀のイスラム軍の侵攻時にほとんどが破壊されてしまったため、
現在の城壁は14世紀に築かれた部分が多いそうです。

水道橋も見えて来ました。ローマ時代のものかと思ったら16世紀のもの。
アグア・デ・ラプラタ 「銀の水の水道橋」と呼ばれているそうです。



旧市街には大型バスは入れないというのでエヴォラ大学の近くでバスを降り
蔦に覆われた城壁を通って旧市街へ。


本当はエヴォラ大学も見学したかったんですがツアーなんで断念
エヴォラ大学はイエズス会の修道院を前身とする大学で
ルネッサンス期にエヴォラは学問の中心として栄えました。

坂を上ると古代の神殿が見えて来ます。
後ろに見えているのはカテドラルの尖塔。



ディアナ神殿



ディアナ神殿はエヴォラがローマ帝国の支配下にあった1世紀ころに建てられました。

月の女神ダイアナに捧げられた神殿とされていますが、皇帝アウグストゥスを祀る神殿とする説もあるようです。
現地ガイドさんによると、かっての街の中心で周囲を堀で囲まれていたのだそうです。

ポルトガルで最も保存状態の良いローマ神殿と言われていて、14本の柱が見事。保存状態が良いのは中世に要塞として使用されたから・・と言われてますが、現地ガイドさんによると実は柱と柱の間をセメントで壁を造り、豚の屠殺場として使ってたから保存状態が良いんだ、とのこと。そんなあ・・・。

保存状態の良い理由はともかく、コリント式の美しい柱
柱頭と土台は大理石、柱身は御影石を使っているそうです。



神殿の周囲にはロイオス教会やポサーダになっている修道院などが建っています。
下の写真の右側の白と黄色の可愛い教会がロイオス教会


ロイオス教会は内部のアズレージョが美しいそうです。

ディアナ神殿の裏手は公園になっていて、市民や観光客の憩いの場になってました。
   

神殿からカテドラルまでは数分しかかかりません。
途中の家がかっての異端審問所とか言われて、ちょっと怖かった。
見た目は普通の家なんですけどね。


カテドラル

カテドラルはレコンキスタ後まもなくから建設が始まったと言われています。

ローマ帝国滅亡後、アレンテージョ地方は西ゴート王国の支配下に入りキリスト教が信仰されるようになりますが、8世紀のイスラム教徒の侵攻によりイスラムの支配下に入りました。

1165年、「恐れ知らずのジラルド」がイスラムから街を奪還、翌1166年には独立間もないポルトガルの初代王アフォンソ1世の支配下に入ります。

街を取り戻したキリスト教徒は聖母マリアに捧げる大聖堂の建築を始めます。当初はイスラムの再来襲に備える要塞としての機能も持つものとして建設されたそうです。
一応の完成を見たのが14世紀。その結果、ロマネスク様式とゴシック様式両方の特徴を持つ大聖堂となりました。その後も増築が繰り返されています。

正面ファサードは要塞のようですが、面白いの2つの塔の様式が違うこと。
建築に長い時間がかかったため、途中で司教が変わり、司教の好みの違いで右と左が違うものになったのだそうです。

逆光になってしまいましたが、確かに右と左は違う・・・


司教さまが、仲違いしていいんでしょうか。
それともポルトガルではそんなこと気にしないのか・・・。

入口の12使徒像は1330年代に彫られたポルトガル・ゴシックの傑作。



カテドラルの中は荘厳な雰囲気
身廊部分の天井は半円形が続くロマネスク様式

 聖堂奥の主礼拝堂
 入口方向。2階部分は聖歌隊席


聖歌隊席近くのパイプオルガンと金泥細工の見事な祭壇に注目。


聖歌隊席の横、身廊左側上部のパイプオルガンはポルトガル最古のパイプオルガンで16世紀のもの。

天正遣欧少年使節団の4人は、このパイプオルガンの演奏を聴いたとも、伊藤マンショと千々石ミゲルが見事に演奏して司祭を喜ばせたとも言われています。

現地ガイドさんはポルトガルに来るまでの2年半の間に習ったんだよって言ってました。

1582年2月に長崎港を出港した4人の少年は1584年8月にリスボンに到着し、9月にエヴォラに到着。アレンテージョ地方を通ってスペインのマドリッド、そしてローマに進みました。

1585年3月に4人の少年はローマ教皇に謁見し、日本に帰国したのは1590年7月。翌年に聚楽第で4人が西洋音楽を演奏し、秀吉を喜ばれたとのことですから、オルガンの演奏を覚えていてもおかしくはないかもしれません。優秀な少年たちだったのでしょうし。

帰国後の彼らの悲劇を思うと胸が痛みますが、
彼らが見たのと同じパイプオルガンを見ることができるというのは感動的。

金色にまばゆい祭壇は18世紀にブラジルで金が発見された時に造られたもの。木彫に金を惜しみなく塗り込めた技法でターリャ・ドゥラーダという金泥細工。この金泥細工のバロック装飾はポルトガル・バロックの特徴とされています。祭壇に置かれたマリア像は15世紀に造られた「受胎した聖母マリア像」。お腹が大きくて妊娠していることが分かります。現地ガイドさんによると「O(オー)のマリア」と呼ぶそうで、アレンテージョ地方は人口が少なく子宝を望む人が多かったのだとか。

 過剰なまでに豪華な金泥細工の祭壇
多産の象徴ブドウの装飾
 Oのマリア
優しくお腹に手を置いています


奥に進めば主礼拝堂
18世紀ジョアン5世の時代にバロック様式で再建されたもの


王の好みでローマ・バロック様式
左手にはバロック様式のパイプオルガン。その向かいにはジョアン5世の席。
緑、白、黒、赤の大理石を使った豪華な造り。

祭壇上のキリストと天使像
 
 ポルトガルの守護聖人 昇天のマリア

入口のゴシック様式、本堂のロマネスク様式、途中に置かれたポルトガル・バロック様式の金泥細工の祭壇、そして、本堂奥の主礼拝堂のローマ・バロック様式・・・と様々な様式がカテドラルの中には混在しています。

また、このカテドラルは上から見ると十字架の形となるように建てられています。

12使徒像の置かれた入口から入ると中央に身廊、その左右に側廊が置かれているのですが、主礼拝堂の手前に交差廊が設けられていて、十字架の形となっているわけです。

交差廊にも礼拝堂が置かれているのですが、まず目を引くのは美しいバラ窓。ステンドグラスで作られた丸い窓です。

交差廊の左右にあるバラ窓は、左が「明けの明星」、右が「神秘のバラ」と呼ばれていて、どちらも聖母マリアを意味するということでした。

バラ窓は聖母マリアを象徴するものとして、ゴシック様式の発展とともに巨大化していきます。
このカテドラルのバラ窓は大きなものではないし、ステンドグラスも複雑なものではないのですが、素朴な美しさを感じました。

 明けの明星(左)
 
神秘のバラ(右)


銀で飾られた「三位一体の礼拝堂」
現地ガイドさんが是非見せたいとコインを入れて見せてくれた場所です。
コインを入れる前
 
 コインを入れると・・・

素晴らしい銀色に輝く空間。ナポレオン軍に奪われないように鉄格子で守っています。
コインを入れてしばらくすると灯りは消えます。


側廊部分の天井は交差ヴォールト。ゴシック様式
   


自由時間にカテドラルの裏手に回ってみました。
横から見たカテドラル。交差部のバラ窓が見えます。


時間不足で見学できませんでしたが
カテドラルは回廊も素晴らしいし、テラス式の屋根にも出ることもできるそうです。


10月5日通り

カテドラルの前から街の中心ジラルド広場までの道が10月5日通り
お土産屋さんやレストランが並び賑わってます。
   

特産品コルクを使ったアクセサリーやバッグなどのお土産がおススメ。
コルクの使い道はワインの栓だけじゃないんですね。


ジラルド広場

街の中心ジラルド広場。


広場の名前はイスラムから街を奪還した英雄「恐れ知らずのジラルド」からきているのでしょう。
「恐れ知らずのジラルド」が気になって調べたんですが資料がない。気になるなあ。
広場の周囲にはレストランも多く、昼食は広場近くの店で摂りました。


昼食後、バスに戻る途中の景色
エヴォラの民家は白壁に窓や入口を黄色などで縁取ったものが多いのですが
これはイスラムの影響なんだそうです。



エヴォラはヴァスコ・ダ・ガマが暮らしていた街でもあります。
ヴァスコ・ダ・ガマの像が公園に立ってました。



リスボンからの日帰り観光だったので
ゆっくりできなかったのが残念
長い歴史のある街だけに見どころは他にも多そうです。

☆おまけ☆

リスボンに戻る途中に絨毯で有名なアロイオロスという町に立ち寄りました。
丘の上に古城が残るのどかな町でした。


アレンテージョ地方は時間がゆっくり流れている気がします。


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参考文献

図説ポルトガルの歴史 金七紀男著 河出書房新社ふくろうの本
21世紀世界遺産の旅 小学館
るるぶ情報版ポルトガル JTBパブリッシング

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。