ボスラ

ヨルダン国境に近いボスラ
黒玄武岩の建造物が残る黒い石の町
遺跡の中に町がある不思議な場所です。
2003年8月訪問

写真はローマ劇場


ヨルダン国境に近くに位置するボスラは地中海と紅海を結ぶ地であり、しかも古代からシリアの穀倉地帯といわれるほど緑豊かであった場所です。そのため、ボスラは古代から栄え、ローマ帝国の時代にはローマのアラビア属州の州都として、イスラムの時代になってからはメッカへの巡礼の街として栄えました。あのムハンマド(マホメット)も、若いころ、ここでキリスト教を学んだことがあり、それが後のイスラム教の萌芽になったとも言われています。

ボスラで一番の見どころは2世紀に造られたローマ劇場でしょう。上の写真のようにボスラのローマ劇場では観客席の最上部には列柱廊がめぐらされています。この形のローマ劇場はボスラにしか残ってないとか。非常に保存状態の良いだけでなく収容人員5000人という大きな劇場です。

   

この劇場は今でも座席に座っての観劇が可能ですし、なんと座席番号まで残っています。北島三郎がコンサートをしたこともあるそうです(実話)。重厚な感じを受けるのは黒玄武岩で作られているからでしょう。ボスラの建造物は元々この地方一帯が火山地帯だったことから黒玄武岩で造られており、この黒い石が遺跡を荘厳というか、他にはない趣のあるものにしています。

半円形のオーケストラがローマ劇場の特徴ですがオーケストラ部分だけでなく、約1mの高さの舞台も非常に保存状態がいいのがボスラのローマ劇場の特徴です。舞台上の円柱廊にだけ白い石が使われているのがおしゃれですね。黒い建物の中のアクセントになっています。
舞台の後ろの壁はスケナエ・フロンスと言うそうです。かってはこの円柱廊は2階・3階部分にも、あったそうです。全て残っていたら、さぞ、壮麗だったでしょうね。




舞台上の柱です(左)。レリーフも綺麗に残っています。
部隊の上には壊れた柱も置かれていました(右下)。
   


ローマ劇場はちょっとした博物館のようになっていて色々なものが展示されています。
左下は女神像でしょうか。顔が失われているのが残念ですが美しい。
モザイクにラクダの隊商が描かれています。交易で栄えた街ならではですね。
   


美しいローマ劇場ですが、実は外観は全くローマ劇場とは思えないものです。イスラム教徒の時代になってから、このローマ劇場を取り巻く形で要塞が築かれ、その結果、ローマ劇場が保存されることになったのだとか。周囲には堀がめぐらされており、十字軍に2回襲撃されたものの落とされることはなかったのだそうです。

ローマ劇場の外観
劇場観客席の最上段にある列柱廊がちらりと見えます。




ローマ劇場の他にも、ボスラには列柱道路・ナバタイ人の門・風の門・ローマ風呂等が残っています。

左下は列柱道路。黒い柱が続くさまは、なかなかに美しい。また、右下のような門は幾つも残っています。

 



とはいえ、ローマ劇場に比べると、他はあまり保存状態は良くありませんし、復元も進んでいるとは言えないと思います。

ローマ劇場以外は、むしろ、遺跡を利用して暮らしている街の風景の方が楽しいかもしれません。

世界遺産でありながら、遺跡の円柱等を建築資材にして、今のボスラの人々は家を建て、飾り、暮らしているのです。当たり前のように円柱を玄関の門代わりにしていたり、遺跡かと思うとパラボラアンテナが付いていたり・・・。更には半地下の貯水庫(遺跡)にごみ捨ててたりして・・。

もう少し整備すれば・・と思う反面、今後も、民家の玄関や軒先ににローマの遺物を使い続けて欲しいとかも思ってしまう、そんな街です。

   


ここまでくると見事としか言えません。
絶対に人が住んでいます。




ボスラが世界遺産に指定されたのはパルミラと同じ1980年。
パルミラに比べて日本での知名度は低い気がします。
でも、ローマ劇場は見事だし、何より街が面白かった。


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参考文献

ユネスコ世界遺産(講談社)
世界遺産を旅する10(近畿日本ツーリスト)
イスラムの誘惑(新潮社)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。