コルドバ

後ウマイヤ朝の首都コルドバ
かってのヨーロッパ最先端の文化の街
美しいメスキータが有名です。
2018年3月訪問

写真はメスキータ内部


スペイン南部アンダルシア地方のコルドバは711年にイスラム教徒が西ゴート王国を倒した後、
756年に後ウマイヤ朝の首都とされた場所。トレドが西ゴート王国やカソリック・スペインの都とされたのに対し、スペインのイスラム教徒たちは元々北アフリカから渡って来たため、アフリカに近いコルドバを都としました。
後ウマイヤ朝を拓いたアブドゥル・ラフマンはダマスカスを都としていたウマイヤ朝の貴公子。750年にアッバース家がウマイヤ家を宴に招いて虐殺し、アッバース朝を興した際、唯一生き残った人物です。彼は母の実家であるモロッコに逃れた後、後ウマイヤ朝を興しました。
後ウマイヤ朝はアッバース朝と競うように栄え、10世紀のコルドバの人口は50万を越えたとも言われます。この規模の都市はコンスタンノーブル以外にありませんでした。大図書館もあり、当時の最先端の医学・数学・天文学を学ぶためにヨーロッパ各地から学生が集まったといいます。


ローマ橋とカラオーラの塔

コルドバ旧市街に通じるローマ橋と橋の南のカラオーラの塔
ローマ橋は前1世紀末、初代ローマ皇帝アウグストゥスの時代にかけられた橋です。


コルドバの街の歴史は古く、前10世紀には町が出来ていました。現地ガイドさんによるとイベリア半島には銀や銅・錫などの鉱物資源が豊富だったため、既に前10世紀にはフェニキア人が交易のため訪れていたそうです。
その後、前3世紀にカルタゴに征服された後、前152年にローマの支配下に入り、ローマ帝国下でローマ属州の州都とされて、コルドバはイベリア半島最大の街に発展しました。ネロ帝の家庭教師セネカはコルドバの出身です。

街の繁栄は橋がかかるグアダルキビール川の存在によるところが大きかったそうです。グアダルキビール川は水量が豊かで古代は大型船が海からコルドバまで航行することができました。このためコルドバは鉱物資源などの集積港として繁栄したわけです。

豊かな水量を利用して水車も作られました。水車は粉ひきだけでなくアルカサルに水をくみ上げるための水車もあったそうです。橋の近くには大きな水車が残ってました。

川は街の防御にも役立ち、敵の来襲時は橋の一部を破壊して侵入を防いだそうです。橋の南にあるカラオーラの塔は橋の防御のためイスラム時代に築かれた砦が後に強化されたもの。

ローマ橋、橋の上流側と下流側で形が違って面白い。
 上流側
 下流側


プエンテ(橋)の門



ローマ橋を渡った先にある橋の門。元々は街の城壁の一部をなしていた門を16世紀にフェリペ2世が改築したものです。10世紀に絶頂期を迎えていた後ウマイヤ朝ですが、11世紀になるとイスラム勢力の分裂が始まり、イベリア半島北部に逃れていたキリスト教徒の勢力拡大を許すことになります。1236年、カスティーリャ王国のフェルナンド3世がコルドバの街を奪還。以後、コルドバの街はキリスト教徒の街となります。私が訪れた3月下旬はスペインではセマナ・サンタ(キリストの死から復活までを追体験する行事)の時期。祭りの準備で周囲は賑わってました。門のすぐ近くには街の守護聖人ラファエロのモニュメントも置かれています。

17世紀末バロック様式
 
 守護聖人ラファエロ

橋の門や聖ラファエロのモニュメントのすぐ先には大きな壁がそびえています。
コルドバの街最大の見どころ、メスキータの外壁です。

メスキータ

外壁に残るかっての門の装飾
 
 鐘楼

メスキータとはスペイン語でモスクの意味ですが、単にメスキータと言えばコルドバのこのモスクを指します。後ウマイヤ朝を拓いたアブドゥル・ラフマン1世が建築を始め、以後、約200年に渡って増築が繰り返されて、990年には間口137m、奥行き174mという当時ではメッカのモスクより巨大なモスクとなりました。礼拝堂と中庭で6万人が礼拝可能だったというから驚きです。
しかし、レコンキスタ後の16世紀にメスキータは大聖堂に改築されてしまいます。当時の市民の大反対を押し切っての改築でした。改築にあたったエルナン・ルイス親子がメスキータの重要性を理解して、その破壊を最小限に食い止めたのは幸いでしたが、それでも美しさが破壊されたことは否定できません。でも、大聖堂になってから数百年経っているのに、未だに大聖堂ではなくメスキータと呼ばれ続けているのはスペイン人のメスキータへの尊敬・敬意の表れなんでしょうね。


元々のモスクでは礼拝堂と中庭は礼拝をする場所として一体化しており、礼拝堂に入りきれない信者は中庭で礼拝をしました。そのため中庭と礼拝堂をつなぐ19のアーチは全てオープンになっており、礼拝堂の中の導師の声が中庭まで響き渡るように設計されていました。イスラムの礼拝は跪いて行い場所を取るため、そのような構造をしていたわけです。

これに対し、キリスト教の礼拝は椅子に座って行われ場所を取りません。このため礼拝は大聖堂内部のみで行われるようになり、アーチのほとんどは壁で塞がれてしまいます。

そして、かって礼拝の場所だった中庭は礼拝のために敷き詰められていた石を引き剥がし、オレンジの木を植えた庭に変えられました。
中庭にはイスラム教徒が身を清める水盤もありましたが、それは噴水に変えられます。

鐘楼も、かっては礼拝の時を伝えるミナレットでした。ミナレット当時の高さは30m。

現在の鐘楼の中には10世紀のミナレットが埋もれているそうです。現在の鐘楼は17世紀のもので高さは55m。

オレンジの木が植えられたオレンジのパティオ(中庭)
ここのオレンジは苦くて食べられないそうです。


大聖堂となってから塞がれてしまった礼拝堂と中庭をつないでいたアーチ



礼拝堂に入ります。入口付近。一番古い部分です。


礼拝堂の中に入ると、そこは赤と白の二層アーチを石柱が支え、まるで石柱の森のようです。

かっては1013本の石柱があったそうです。
16世紀にメスキータの中央部分に大聖堂が造られ、その周辺の石柱は取り払われましたが、それでも現存する石柱だけで856本。

入口を入ってすぐの場所は、後ウマイヤ朝を拓いたアブドゥル・ラフマン1世が最初に建築を始めた場所。
初期に建てられた部分ではローマ遺跡や西ゴート王国時代の遺跡の石柱を使っています。そのため、よく見ると石柱は色が違っていたり、柱頭の飾りが違っていたりします。上の写真や右の写真でも白い柱と黒い柱が混じっているのが分かると思います。

柱が様々なのに対して、アーチは白と赤の二色で統一されています。赤い部分は煉瓦です。

アーチが二層になっているのは高さを持たせるための工夫とされ、ローマ時代の水道橋をモデルにしたとも言われているそうです。
現地で買った本ではイスラム教徒の故郷のシュロの木をイメージしたのでは、と書かれていました。いずれにせよ、なんとも幻想的。

メスキータの天井は松の木製。美しい装飾が施されています。35年前に修復されたもの。
   

メスキータは3回にわたり増築されていますが、最初の2回は入口から奥に拡張する形で行われました。
最初の増築は840年代にアブドゥル・ラフマン2世が行いました。
この部分は最終的にはメスキータの中央部分となり、その一部が大聖堂に改築されます。


奥に進むと、大聖堂部分に置かれた椅子が並んでいました。


大聖堂部分の見学は後回しにして、まずは2回目の増築で拡大された場所を通りメスキータの入口から進んで最も奥にあるミフラーブ(メッカの方向を示す窪み)とマクスラ(カリフの祈祷所)を目指します。カリフというのはイスラム国の指導者のこと。いわば王族用の祈祷所です。

イスラム教の礼拝はメッカの方向を向いて行うのでメッカの方向を示すミフラーブはモスクに不可欠のものです。
増築は奥を拡張する形で行われたので、モスクの最も奥に造られるミフラーブは増築の度に古いものが取り壊されて新しく造り直されました。しかし、最後の3回目の増築は敷地の関係でもはや奥に広げることができなかったので、横に拡張する形で行われます。そのため、2回目の増築の際に造られたミフラーブがそのまま残されることとなりました。

2回目の増築は960年代にハカム2世によって行われました。当時、後ウマイヤ朝は最盛期を迎えており、コルドバには300ものモスクがあったと言われます。
その中で最も重要なモスクであるメスキータですから贅を尽くした建築となったのでしょう。ミフラーブ周辺の豪華でありながら品のある繊細な美しさには目を奪われます。

マクスラ(カリフの礼拝堂)周辺だけはアーチが5弁の花弁アーチとなっており、装飾も細やか。


マクスラの奥の美しい装飾が施されている部分がミフラーブ


マクスラの美しい天井部分。光を取るためのものでもありました。


メッカの方向を示すミフラーブの装飾
大理石装飾にビザンティンのモザイク。金箔を施した色ガラスが使われています。


マクスラの中央ドーム(ミフラーブの前)


ミフラーブの左右には入口があったようです。美しい装飾と天井のドーム
   

見とれるばかりの美しいマクスラとミフラーブ。大聖堂にする時に壊されないで本当に良かった・・・

今度は横に移動して3回目の増築部分へ。
増築前の壁やアーチの柱が残っていました。
   

3回目の増築の際はアーチの赤い部分は経費削減のため色を塗っています。
円柱に職人の名前が彫ってあったりして面白い。アラビア文字で彫ってあります。

再びメスキータの中央部分に戻って大聖堂を見学

 突然現れる異空間
 主祭壇

聖歌隊席 
パイプオルガン 

大聖堂部分も素晴らしいんですけど、メスキータの中に造る必要ないですよね。
この大聖堂は世界で唯一モスクの中にある大聖堂だそうです。

かって中庭への通路だったアーチ部分が塞がれて個人の礼拝堂になってます。
昔はこのアーチからもメスキータ内部に光が入っていたはずです。
そのころは、また違った景色だったんでしょうね。


なんとも神秘的で荘厳な場所
破壊を最小限に抑えてくれた建築家のエルナン・ルイス親子に感謝するばかり。
コルドバ市民が大聖堂改築に反対していたこともエルナン・ルイス親子の力になったんでしょうね。
当時のキリスト教徒の美意識・イスラム美術への理解に頭が下がります。


ユダヤ人街と花の小道

ローマ橋から見てメスキータの裏側にユダヤ人街があります。
 

メスキータの北側にあるユダヤ人街。迷路のような細い道に並ぶ白い壁の家々と壁を飾るゼラニウムの花々が魅力的。

ここはユダヤ人街と言われますが、現在、ユダヤ人たちが住んでいるわけではありません。
イスラム支配下においては、異教徒に対して寛容で、コルドバには多くのユダヤ人が住んでいました。しかし、1492年にレコンキスタが完成すると、キリスト教徒以外の異教徒はキリスト教への改宗か退去を迫られることとなります。そのため、ユダヤ人はこの地を離れることを余儀なくされました。キリスト教、結構厳しい。

スペインはイベリコ豚など豚料理が有名ですがイスラム教徒は豚肉を食べないから、豚肉を食べることが推奨された・・・という歴史もあるんだそうです。

今ではユダヤ人街には観光客相手のお土産屋やレストランが並んでいます。中でも花の小道と呼ばれる細い通りは、通りの途中からメスキータの鐘楼が見えることで有名。

お花の手入れ大変でしょうねって言ったら、現地ガイドさんが公務員のお仕事と笑ってました。観光課のお仕事?


お昼は花の小道近くのレストラン
お洒落なだけでなく、イベリコ豚おいしかった。



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参考文献

添乗員ヒミツの参考書魅惑のスペイン・紅山雪男著・新潮社
プロの添乗員と行くスペイン世界遺産と歴史の旅・武村陽子著・彩図社
アンダルシア散策・日本語版・エディルクスSL(現地で購入)

基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。