セビーリャ

アンダルシアの州都セビーリャ
日本ではセビリアと呼ばれることも多い街
かって新大陸の交易権を独占した街でもあります。
2018年3月訪問

写真は大聖堂とヒラルダの塔


セビーリャはギリシャ神話の英雄ヘラクレスが建設したという伝説を持つ街。グアダルキビール川のコルドバより下流の海に近い場所にあたり、カルタゴ・ローマ支配下で交易によって栄えました。
イスラム支配下、特に12世紀のアルモハッド朝支配下で街は発展し、更にレコンキスタ後の大航海時代に新大陸の交易権を独占してからは黄金期を迎えることになります。

大聖堂とヒラルダの塔

セビーリャの大聖堂は12世紀に建てられたモスクを取り壊し、その跡地に建設されたもの。
1401年に着工し、1519年に完成しました。なんでも、当時の街の人たちが後世の人たちが驚くような大聖堂を建てようと決めて建築したそうで、幅76m、奥行き116mという巨大さ。

この大聖堂より大きな大聖堂はローマのサン・ピエトロ、ロンドンのセント・ポールしかありません。つまり世界で3番目の大きさを持つ大聖堂です。当然、スペインでは最大の大聖堂。

その傍らに建つヒラルダの塔は元々あったモスクのミナレットを鐘楼に転用したもの。
高さは93m。下から3分の2くらいまでが、元々のミナレットのまま。

ヒラルダの塔のヒラルダとは風見鶏という意味。この塔の最頂部には信仰の勝利のシンボルである青銅製の像が置かれていて、それが風向きによって向きを変えるのです。

大聖堂に入るとヒラルダの塔に上ることができます。かってミナレットの時代にはロバに乗って登ったということで内部は階段ではなく傾斜した坂道になっています。軽い気持ちで登ったけど、結構きつい。34の数字が見えたら、終点です。

大聖堂近くから見たヒラルダの塔
 
 塔の途中から見た大聖堂

ヒラルダの塔から見たアルカサルとインディアス古文書館
セビーリャでは大聖堂・アルカサル・インディアス公文書館の3つの建物が世界遺産。


ヒラルダの塔に上って汗をかいてから、大聖堂内部の見学。

大聖堂、大きすぎます。本来の入口ではなく、横の入口から入るので、正直全体像がつかみにくいのですが、天井は高いし、大きすぎて、余計構造が分かりにくい。

本によると、ゴシック後期様式で、広々とした五廊式。両サイドにある礼拝堂の列を加えれば七廊式とのことですが、でっかい、という印象しか残りませんでした。

大聖堂の中央部分にはスペインの大聖堂によく見られる主祭壇が置かれた内陣と、それに向かい合う形の聖歌隊席があります。

内陣には鉄柵があって入れないのですが、鉄柵の間から除くと豪華絢爛。主祭壇の後ろにある祭壇衝立が黄金色に輝いています。
45に分割され、浮き彫り彫刻でキリストの生涯が描かれており、全部で1000体ほどの彫刻で飾られているそうです。

鉄柵からは細かい部分が見えないのが残念ですが、中央の聖母子はなんとか撮れました。
聖母子の上は生誕の場面でしょうか。

 豪華な祭壇衝立
 聖母子像

 内陣に向かい合う聖歌隊席
椅子はマホガニー製
 豪華なパイプオルガン
パイプの数8000

内陣近くで見上げた天井。大聖堂で最も高い天井ドームは37mだそうです。



コロンブスの墓
   

4人の王が棺を担ぐコロンブスの墓。4人の王は、レオン王国・カスティーリャ王国・ナバラ王国・アラゴン王国の象徴。4つのキリスト教国によりスペインは誕生しました。レオン女王兼カスティーリャ女王のイサベルとアラゴン王フェルナンドの結婚によりスペインは統一に近づき、このカトリック両王によって1492年にレコンキスタが完成するとともに、コロンブスの新大陸発見がなされます。
スペインに新大陸の富をもたらすことになったコロンブスはスペインでは大英雄。コロンブスの遺体は死後いくつかの場所を転々とし、1899年セビーリャに到着しました。

ムリーリョ作「聖アントニオの幻想」 一度盗難に遭い有名になった絵画。
   


訪れた3月下旬はスペインではセマナ・サンタ(キリストの死から復活までを追体験する行事)の時期。
大聖堂内でも祭りの準備が見られ、入口には巨大なタペストリーが架けられていました。
祭りで使うのか?豪華絢爛な聖具
 
 タペストリーが架かった本来の大聖堂入口

ヒラルダの塔から世界遺産のアルカサル・インディアス古文書館が見えましたが
3つの建物は非常に近い場所にあります。

インディアス古文書館



新大陸発見や征服当時の資料が展示されている古文書館。
入場観光はしませんでしたが、学者さんには堪らない場所でしょうね。

もう1つの世界遺産アルカサルは、古文書館のすぐ横です。

アルカサル(セビーリャ王宮)



アルカサルは12世紀にイスラムのアルモハッド朝が要塞兼居城として建設したもの。1248年にカスティーリャ王フェルナンド3世がセビーリャを奪還した後はカスティーリャ王の居城となり増改築が加えられました。この王宮、今でも現役だそうで、現役の城としては世界最古とのこと。王宮の中で見学できるのはペドロ王の宮殿と呼ばれる14世紀のペドロ1世が建てた部分です。


ペドロ1世はアルフォンソ11世の唯一の嫡出子でしたが、父王は愛人とその子エンリケらを溺愛し、不遇の少年時代を送りました。父王が突然亡くなったことから王位を継承しますが、父の愛人の子であるエンリケと王位継承権を巡る争いを続け、最終的にエンリケに殺害されます。

これによりエンリケが王位に着き、以後、イサベル女王の娘ファーナ女王まで、エンリケの子孫が、カスティーリャ王を継承します。

ペドロ1世は残酷王と呼ばれ、反対にエンリケは人望があったとされますが、勝者による宣伝もあったのでしょう。愚かな暴君との印象の強いペドロ1世ですが、最近では混乱の時代に王権を確立し、秩序を取り戻そうと努力し続けた王との評価もあるそうです。

ペドロ王の宮殿は外観からして、イスラム建築の影響が非常に強いことが分かります。

当時、建築や工芸はイスラム教徒の方がキリスト教徒より数段優れていたので、イスラム文化は憧れの対象でした。
この宮殿のようにイスラム文化の影響が強いキリスト教建築をムデハル様式と言います。

王宮の中に一歩入ると、まるでイスラム世界にいるようです。
廊下の壁にはアラビア文字の装飾
 
 美しい天井

王宮の入口を入ると左右に通路が分かれていて、左に進めば公的空間、右に進めば私的空間。

乙女の中庭



王宮の入口を左に進むと乙女の中庭と呼ばれる美しい中庭に出ます。

乙女の中庭は、その広さと装飾の見事さから宮殿の公的空間と考えられています。

池のある中庭を囲む廊下には14世紀ムデハル様式の美しい多花弁アーチと対になった円柱。
2階の回廊の手すりは16世紀に増築されたルネサンス様式。
異なる様式が絶妙な調和をもたらしていて、なんとも美しい。

アルハンブラ宮殿を思い出しますが、実はアルハンブラ宮殿はペドロ王の宮殿より後に建てられています。

ペドロ王の時代、グラナダのイスラム王朝はカスティーリャ王国に臣従していました。イスラム文化に傾倒していたペドロ王はセビーリャの職人だけでなくグラナダからも職人を呼び寄せ、この宮殿を建てました。そして、その職人たちがグラナダに帰って建てたのがアルハンブラ宮殿なのだそうです。
アルハンブラの方がより繊細で軽やかな印象を受けますが、ペドロ王の宮殿も別の魅力があると思います。

見事な漆喰細工のアーチ
 
 建物内から見た乙女の中庭

 回廊の壁を飾る美しいタイル
 美しい扉

乙女の中庭に面した部屋にも入ってみました。いずれも美しい
   

入口から右に進むと私的空間

人形の中庭

   

人形の中庭は乙女の中庭に比べ小さいですが、瀟洒な雰囲気が漂います。中庭を囲む円柱は、それぞれ種類が異なり、様々な場所から運ばれたもの。人形の中庭という名前の由来はアーチに人形の頭の様なレリーフがあるから、とのことでしたが、正直見ても分かりにくかったです。
それにしても透かし彫りや繊細なレリーフがなんとも美しい。ペドロ王が愛妾マリアのために建てたものかもしれません。王宮の中の離宮とも言える場所です。



人形の中庭と乙女の中庭の間に王が謁見をした大使の間があります。
ペドロ王の宮殿で最も豪華な場所といって良いと思います。

大使の間

豪華な彩色タイル
 
 見事な天井。木製だそうです。

王は立って謁見しました。
上のバルコニーで音楽隊に演奏をさせたそうです。


光ってしまって魅力を伝えきれないのですが、アップで撮ってみました。
繊細で本当に綺麗です。



周囲の部屋も魅力的
大使の間の隣の部屋は床が印象的
 こちらの部屋は天井が見事


王宮の外には広い庭園
池もあって、噴水ではなく建物から水が落ちていました。


上から水を落とすのって、ちょっと面白い。他で見たことなかった・・・と思う。
   


サンタ・クルス地区

大聖堂やアルカサルの北東に、かってユダヤ人街だったサンタ・クルス地区があります。
細い路地に、土産物屋やバルが並び、散策や休憩にもってこいの場所です。
   

サンタ・クルス地区でオレンジジュースを飲みながらまったりしました。
その後、少し離れたスペイン広場へバスで移動

スペイン広場



スペイン広場は1929年に開かれたイベロ・アメリカ博覧会においてスペインのパビリオンだった場所です。

この博覧会はスペイン・ポルトガルとアメリカおよび中南米諸国が参加しました。スペイン・ポルトガルと、その植民地による博覧会です。

元々はサン・テルモ宮殿の庭園の一部だったそうですが、広場を囲むように半円状の建物が建てられ、広場内には小川も流れていて、ボート遊びの人々で賑わっていました。
小川には4つの橋がかかっていて、それぞれ、レオン王国・カスティーリャ王国・ナバラ王国・アラゴン王国を象徴していて各国の紋章がついています。

建物側には54のタイルで出来たベンチが並んでいます。54というのはスペインの県の数。それぞれのベンチに県の歴史を描いたタイル画があって、見て回るのは楽しいのですが、ベンチでくつろいでいる人たちが多いのも事実。

広場は市民憩いの場といった雰囲気ですが、映画のロケ地とされることも多く、最近ではスターウォーズ・エピソード2の撮影で使われたそうです。

グラナダのベンチ


グラナダ王がカトリック両王にアルハンブラ宮殿を明け渡す場面。



セビーリャの街を離れる前に目に入ったコロンブスを記念したモニュメント


セビーリャは実に見どころの多い街でした。
街の繁栄を支えたグアダルキビール川に足を伸ばしたかったな。


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参考文献

添乗員ヒミツの参考書魅惑のスペイン・紅山雪男著・新潮社
プロの添乗員と行くスペイン世界遺産と歴史の旅・武村陽子著・彩図社
アンダルシア散策・日本語版・エディルクスSL(現地で購入)


基本的には現地ガイドさんの説明を元にまとめています。